529 魔王の娘
「なっ……」
あのヴォルさんが、やられた……?
それも、あんなにあっさりと。
最強の技で挑んだのに、何一つダメージすら与えられないまま。
魔王は何事もなかったかのように歩を進めてる。
「うっ、おおおおおおおっ!」
ジュストくんが駆ける。
自分を認めてくれたばかりの最強の仲間。
そのヴォルさんがやられたことに、怒りを燃え上がらせる。
「待て、ジュスト!」
「待ちません!」
彼は先生の制止を振り切って、魔王へと向かっていく。
二重輝攻戦士の瞬発力で一気に距離を詰める。
「スペル・ノーヴァ!」
彼が白い闇を纏った剣を振り上げた、その直後。
「む」
魔王の表情が変化する。
いまさら気づいたって遅い!
あの攻撃は魔王だってやっつける。
圧倒的破壊力を持った伝説の聖剣は、魔王を――
空振りして、宙を薙いだ。
「後ろーっ!」
私は声の限りに叫んだ。
ジュストくんは振り向く間もない。
一瞬にして背後に回った魔王が、彼の背中を小突いた。
「がはっ!」
軽く裏拳で触れただけ。
ただそれだけの攻撃なのに、ジュストくんは激しく吹き飛ばされた。
何度もバウンドして、ゴロゴロと床を転がり、テラス近くまで転がってしまう。
動けなくなった彼の側で、コウモリ飾りの夜将リリティシアが妖艶な笑みを浮かべていた。
「危ない武器ねえ。とりあえず奪っておくかしら……あら?」
ジュストくんの身体が光に包まれる。
光は丸い球体となって、繭みたいに彼の体を包んだ。
かと思ったら、次の瞬間には音も立てずに消失してしまった。
「えっ、なに……?」
ジュストくんが消えた。
何をされたの?
魔王に? それとも夜将に?
ううん、誰がやったかなんて問題じゃない。
ジュストくんは……いったいどこに行ってしまったの!?
「そういうことか、アルジェンティオの野郎……!」
グレイロード先生は苦々しげな表情でジュストくんのいた場所を睨みつけている。
「ね、ねえ! ジュストくんはどうしちゃったんですか!?」
「あいつなら心配ない。おそらく、一足先にミドワルトへ帰ったんだろうさ」
「えっ……な、なんで?」
「それより問題は俺たちの方だ。こいつはもう、逆立ちしたってどうにもならねえ」
かなり苛立っているのか、いつもにも増して口調が荒々しい。
ヴォルさんがやられ、ジュストくんもいなくなった。
私たちだけでこいつらに勝てるわけがない。
魔王。
その強さは桁違いだった。
しかも周囲には、私たちがなんとか倒したエビルロードと同格の敵が四人もいる。
「逃げ、ますか?」
弱気が首をもたげ、そんな言葉が自然に口から出た。
「ルーチェ」
「ご、ごめんなさい」
怒られると思って身構える。
けど、先生はすでに落ち着きを取り戻していた。
感情を込めない声で、淡々と私に現状の説明をしてくれる。
「ジュストがいない以上、魔王を倒すのは不可能になった。だが、このまま逃げるわけにも、黙って殺されるわけにもいかない。俺たちの肩にはミドワルトの命運が掛かってるんだ」
「それじゃ……どうするんですか?」
「せめて一矢報いる。ウォスゲートを発生させている装置を破壊するぞ」
ゲートを発生させている装置……?
「以前の俺たちと一緒だ。両世界の繋がりを断ってミドワルトに逃げ帰る。時間稼ぎにしかならんが、少なくともこの先また数年間は問題を先延ばしにできる」
「な、なるほど」
根本的な解決にはなってないけど、現状ではそれが最良の手段かもしれない。
「幸い厄介なやつらは全員ここに集まってやがる。装置の位置は目星がついてるから、この場所から抜け出すことさえできれば、誰にも邪魔されることなく破壊できるだろう」
「でも……どうやって抜け出すんですか?」
二つある出口のうち、片方は三人の将が立ち塞がってて無理。
私たちがやって来たドアとの間には、今まさに魔王がいる。
どっちも突破するのは難しい。
また、外に通じるテラスには夜将が居座っている。
私たちは完全に囲まれている。
ここから易々と逃がしてくれるとは思えない。
こいつらもきっと、私たちを全滅させるつもりで集まったんだろうし。
あえて脱出できる可能性があるとすれば――テラス側。
そちらには夜将ひとりしかいない上、大きく退路が開かれている。
思い切ってあそこから飛び出すのが一番無事に逃げられる可能性が高いと思う。
先生も考えは同じみたい。
視線は前を向いたまま、そっちに注意を向けている。
一番の問題は、離れた所に倒れているままになっているヴォルさんだ。
瀕死の重傷を負ってる彼女を治療する余裕はあるか。
それとも、あの状態のまま運んで行くのか。
先生はどう考えているんだろう。
「わかってると思うが、逃げるとしたらテラス側しかない」
先生は私に作戦を伝える。
「俺が今から極天戦神魂光核弾を撃ち込む。やつらを倒すことはできないだろうが、その隙にカーディナルと一緒に外に飛び出せ」
その術はたしかドラゴンさえも塵ひとつ残さずやっつけちゃう超威力の輝術だ。
仮に敵が耐えきったとしても、周囲は確実にメチャクチャになる。
うまく行けば部屋が崩れる可能性だってある。
「え、えっと。それだとヴォルさんは?」
「諦めろ」
え?
「それは、どういうことですか?」
「助けている余裕はない。このまま置いていく」
「そんな……!」
いくら絶体絶命だからって、自分たちが逃げるために仲間を犠牲にするなんて!
「他に、まだ方法が――」
「わかってくれ!」
「っ!」
「ここで全滅したら何にもならないんだ。俺たちは最後の一人になっても、絶対にやり遂げなきゃいけない。それだけ重いものを背負ってるんだ」
私を怒鳴りつける先生。
その声は、まるで自分自身を斬る痛みに耐えてるよう。
無慈悲な判断とは裏腹に、胸が痛くなるような悲痛な叫び声だった。
わかってる。
先生だって辛いってことは。
でも……
「時間がない。いくぞ!」
私の覚悟が決まらないうちに、先生は懐から取り出した小瓶を地面に叩きつけた。
ゆっくりと近づいてくる魔王を睨みつけ、すぐさま高速詠唱を開始。
その声が途切れた。
「な……」
先生の足下に闇が蹲っている。
ぶちまけた触媒のための小瓶の中身が……
たぶん聖水みたいな液体が、瞬く間に蒸発して、黒い煙になっていく。
「だめだよ、床を汚しちゃ」
影の一部が盛り上がる。
のっぺらぼうの顔から子どものような笑い声を響かせた。
黒将ゼロテクス。
扉近くにいたはずの不定形の化け物。
そいつが、いつのまにか先生の足下にまですり寄っていた。
「そうそう。今日の魔王様はご機嫌なんだから、わざわざ不興を買うこともないわ」
夜将リリティシアはいつの間にかカーディのすぐ後ろに立っている。
「貴女も邪魔しちゃダメよ、黒衣の妖将。わかっているでしょうけど、どれだけ速く動こうと無駄ですからね。私の針からは決して逃れられないわ」
「……ちっ」
「将達の言う通りだ。無駄な抵抗は止めよ」
もう数歩の距離まで迫っている魔王が低い声で言う。
「ミドワルトの英雄たちよ。余はそなたらに感謝をしている。大人しく軍門に降るのなら命までは奪わぬ。むしろ客人として丁重にもてなすことを約束しよう」
「なにを……っ」
「ほら、動いちゃダメだって」
先生は黒将にまとわりつかれて動けない。
夜将に背後を取られているカーディも同じ。
気付けば魔王が私のすぐ目の前に立っていた。
「あ……」
まるで蛇に睨まれたカエル。
逃げなきゃと頭ではわかっているのに。
身体が、まったく動かない。
魔王の腕が私に伸びる。
大きな掌が私の頭に触れた。
「ひっ」
鼻先にナイフを突きつけられたような恐怖の中。
魔王は私の頭を、場違いなほど優しく撫でた。
「な、なに……?」
「我が娘を、ここまで連れてきてくれたのだからな」
むすめ。
つれてきた?
「久しいな。会いたかったぞ、我が娘ヒカリよ」
魔王が私のことを見ながら何か言う。
え?
なに?
誰が、誰の娘だって?
「魔王様とヒカリお嬢様、ついに念願の親子対面ね。感動で涙が出ちゃう」
夜将は何を言っているの?
ヒカリって誰?
「あれれ、もしかしてお嬢様、何も知らないのかしら?」
「そうみたいだね。知ってたらこんな反応はしないよね。きっと、ヒトに都合のいい嘘を吹き込まれて、利用されてたんだよ。可哀想なお嬢様!」
夜将と黒将の会話が、内容はまったく頭に入ってこないのに、やけに耳に触る。
「可哀想なお嬢様に、ぼくが教えてあげるね」
「よせ……」
先生の力ない制止を無視して、黒将ゼロテクスは意味のわからないことを言う。
「きみは魔王様と王妃ハルさまの間に生まれた娘なんだよ! ……あっ、ハルさまっていうのは、ヒトの間でプリマヴェーラって呼ばれてるお方のことね!」




