523 透明人間の術
洞窟の奥にまで響く足音と絶叫。
ものすごい勢いで駆け付けて来るグラスディル。
彼は王妃さまの部屋の前に辿り着くと、愕然としながらしばし立ち竦んでいた。
「おお、うおお……」
悲痛な声を漏らす白服のケイオス。
彼が必死に守ろうとしていた王妃さまの部屋。
その廊下と隔てていた扉は破片一つ残さずに消滅している。
目尻に浮かんだ涙を拭って、グラスディルは室内へと入ってきた。
視線を巡らして、それほど荒らされていないことに気付く。
その表情には悲しみの代わりに怒りの炎が点り始めた。
「ヒト共めぇ、一体どういうつもりなのだ……!?」
グラスディルは大きな足音を立てて部屋の外に出た。
なぜか室内に向けて一礼してから、術らしきものを唱える。
すると部屋の入口は左右から盛り上がった岩石で塞がれてしまった。
絶叫と足音が遠ざかっていく。
どうやら私たちを探しに行ったらしい。
「ふぁぁ、本当に気付かれなかったね……」
内心かなり緊張していた私は、ようやく安堵して胸をなで下ろした。
「当たり前だ。无天聖霊魂玲瓏陣は姿だけではなく、あらゆる音、気配、そして輝力さえも完全に遮断する。どんな特殊能力を持っていようが、直感に優れた者であろうが、発見されることは絶対にない」
先生が解説をする。
実は私たち、ずっと部屋の中にいた。
ヴォルさんなんてグラスディルの目の前にいたのに。
あいつはその姿にまったく気付くことなく、どっかに行っちゃった。
「おまえは、とんでもない術を編み出したな……」
カーディが険しい目つきで先生を見上げていた。
彼女の身体はやや透明がかって、後ろの景色が透けて見える。
透明でもその効果を受けている私たちには、しっかりとお互いの姿を確認できる。
最初に他のみんなが消えちゃったときは本気でビックリしたけど、術者である先生が『術の効果を分け与える』つもりで触れれば、他の人も同じように透明になれる術なんだって。
「だからずっと秘密にしていたんですよ。こんな術が存在することを知ったら、ミドワルト中の国家が総力を挙げて私を殺しに来るでしょうから」
「え、なんで!?」
すごいと思うけど、姿が透明になる術くらい、普通にありそうな術なのに。
これを使える先生がなんで殺されなきゃいけないのかわからない。
そんな私にカーディが呆れたように説明をする。
「わからないのか? こんな術を扱える人間が他国にいれば、機密は漏洩し放題、要人の暗殺し放題になる。問答無用で敵対国家を崩壊せしめる、とんでもなく危険な術なんだよ」
「で、でも先生はそんなことやらないでしょ?」
「やるかやらないかは問題じゃない。できるという時点で脅威なんだよ、特に、物事の優先順位のわからない馬鹿共にはね」
そういうもんなのかなぁ。
国のえらい人たちの考えはわからないや。
そう言えば今回の代表を選ぶときも、人類の危機だっていうのに、実力に関係なく自分の国の代表を増やそうとしてたっけ。
「っていうか、こんな術があるなら、最初から使えば良かったんじゃないか?」
「この術の行使には強力な触媒が必要です。ミドワルトに存在する物質だと最低でも中輝鋼石が必要なので、たとえ世界の危機だとしても使用を許可をする国はないでしょうね」
「理屈はわかる。けど、もしシャイン結晶体がなかったらどうするつもりだったんだ」
「その時はその時、別の方法は用意しています。恐ろしく手間が掛かるので予定が大幅に狂ってしまいますが」
「あの、ちょっといいですか……?」
私は先生とカーディの話に割り込んだ。
二人に同時に視線を向けられて気まずいけど、それよりも問題があると思うんだよ。
「閉じ込められちゃいましたけど、どうやって出るんですか?」
グラスディルが部屋から出て行くとき、入口の壁を塞いでしまった。
なので、現在この部屋は、完全に外から塞がれている状態だ。
透明だからって壁をすり抜けられるわけじゃないだろうし。
「もう一度、僕が壊しましょうか」
「ダメだ」
ジュストくんが控えめに提案した。
先生はあっさり却下する。
「と言うか、無理だ。今のお前たちは外の物質への干渉ができない。一度術を解いて再びかけ直すのは消耗が激しすぎるから止めてくれ」
「じゃあ、どうやって出るんですか?」
「壁をすり抜けるんだよ」
はい?
なに言ってるんだろうねこの先生。
先生は不審な目を向ける私を無視してグラスディルが塞いだ岩の前に立つ。
「无天聖霊魂玲瓏陣は身体と意識を半分ずつ位相のズレた世界へと移動させる術だ。だから意思の力で干渉度合いを調節すれば物質を透過することもできる」
本当になに言ってるんだかわからないね。
「見てろ」
先生は岩に手をつき、力を込めて押した。
そしたら、先生の身体が岩の中に入っちゃった!
もちろん岩は割れていない。
先生の腕がなくなったちゃったわけでもない。
そのまま全身が岩の中に入り込むと、しばらくして別の場所から顔だけを出してきた。
「こういうことだ。お前らもやってみろ」
岩の中から頭だけを出して喋る先生、すごく怖いよ!
なにがこういうことなのかわからないけど、とにかくやってみるしかないね。
まずはカーディから。
続いてジュストくんと私。
最後にヴォルさんと、順番に岩を越えて通路に出た。
やってみると意外に簡単だった。
っていうか、壁をすり抜けるの面白いかも。
どこでもバレずに入れるなんて、なんかイタズラしてる気分。
「ちなみに、すり抜け中は絶対に下を向くなよ」
「下?」
「足下の地面を抜けてどこまでも落ちていくぞ」
ぞっ。
そ、それは怖すぎる。
「あと、着ている衣服を下手に意識すると、自分と繋がりが断たれて脱げる可能性がある。一人で恥を掻くだけなら構わんが、脱げた服は術の影響外になって、外から見られてしまうからな」
便利だけどいろいろと怖い術なんだね……気をつけよっと。
「と言うわけで、このまま俺たちは王の居城へ向かう。気付かれないよう王を探し出し、そして――」
「王を暗殺するんですね」
ジュストくんは緊張した面持ちで手の中の武器を見つめながら言い、先生はこくりと頷いた。
「この状態でスペル・ノーヴァを限界まで溜め、放つ直前に透明化を解除する。王が気づいたときにはもう遅いというわけだ」
暗殺かあ……
ちょっと卑怯だけど、それが一番確実なのかも。
たった一人の勝手でまた魔動乱を引き起こされちゃたまらないもんね。
「……ふん」
ふと、ヴォルさんがつまらなそうな顔をしていることに気付く。
「どうしたんですか?」
「別にぃ」
さっきの失敗を反省して口数が少なくなってるのかと思ってたけど、なんかずいぶん不機嫌そう。
もしかしたら、暗殺っていうやり方が気に入らないのかもしれない。
ヴォルさんは自分の力に自信がある人だからね。
とりあえず、私たちはまた洞窟を歩き始めた。
途中で出会った岩の巨人はちっとも私たちに気づかない。
明らかに怪しそうな場所を通っても、罠はもう一切作動しなかった。
本当に無敵状態なんだあ。
これなら安心して歩けるし、とっても楽ちんだね。
「うおおおっ、ヒト共どこだーっ!」
あ、グラスディルだ。
ものすごい勢いで正面から走って来る。
横を通り過ぎるけど、もちろん私たちには気付かない。
なんとなくだけどあの人、実はいいやつな気がするよ。
こんな洞窟で、王妃さまの部屋を一生懸命守り続けてるんだもん。
エヴィルの王さまをやっつけたら、ああいう人たちとも仲良くできるのかな?




