515 転移の泉
森を抜けた先に大きな湖があった。
霧でかすんだその向こうに小島が見える。
湖の畔から島までは長い石の橋が架けられている。
橋を渡って小島へ。
そこには石造りの小さな神殿があった。
中はがらんとしていたけれど、竜を模した像の裏に地下へと続く階段がある。
光源はないのに、なぜか階段だけが闇の中に浮かび上がって見える。
それ以外の周囲は真っ暗で、暗闇に向かって手を伸ばすと壁があることがわかる。
一番下まではかなりの距離があって、ひたすら闇の中に降りていく感じがしてゾッとする。
私たちは一列になって階段を降りた。
ある程度まで降りた時、ふと違和感があった。
薄い膜をくぐり抜けたような、どこかで感じた覚えのある変な感覚。
「あれ、今の……」
「結界だ」
私が呟くと、先生が答えてくれた。
そうだ、それそれ。
旅の最中、久しぶりに町に入った時の安心感。
あの感覚は集落に張られた結界のせいだって、誰かから聞いたことある。
「ここの結界は輝工都市並に強力なものが張られている。エヴィルストーンを体内に持つビシャスワルトの生物は決して近寄れない聖域だ」
「エヴィルの世界なのに、エヴィルが入れない結界があるんですか?」
先生は私の質問に答えない。
肝心なところは教えてくれずにまた歩き続ける。
むー、こうなったら聞いても無駄だってわかってるもんね。
だから自分で考えてみる。
誰がなんのために作った施設なんだろう。
うーん。
わからん。
いろいろと考えていると、唐突に階段の終わりが見えた。
小さなフロアに無数のエヴィルストーンが敷き詰められている。
一番多いのは赤とオレンジで、ところどころに黄色や緑も混じっている。
「これって……」
「興味本位で入り込んだマヌケが結界に引っかかって落ちてきたんだろ」
カーディが言う。
なるほど、下り階段の途中で結界にぶつかったのか。
そのまま死んじゃって、エヴィルストーンになって転がってきたんだ。
ある意味、罠みたいなものだね。
ますますこんな場所が存在する意味がわからない。
「先に行くぞ」
フロアの先には扉があった。
先生は扉を開いて先へと進んでいく。
しばらく細い通路が続く。
相変わらず周囲はすべて真っ暗。
なのに、道だけが不気味にくっきりと見える。
やがて、また別の扉が現れた。
その向こうには広い空間がある。
剥き出しの地面の向こうに小さな湖があらわれた。
心なしか湖面がぼんやりと光っているように見えた。
人が立っている。
湖の上で瞳を閉じ佇む、神秘的な女の人。
髪の色も服も薄い紫色で、背中にはうっすら羽が見える。
彼女は背筋をぴんと伸ばし、両手を拡げながら私たちを出迎えた。
「ヒトが立ち入るなど十五年ぶりですね」
この声は羽の女性かな?
口はまったく動いていない。
どうやって喋ってるんだろう。
「あなた方は何者ですか? さあ、答えなさい……」
「ミドワルトから来た人間だ。ここの転移泉を使わせて頂きたい」
「ほう。この泉の正体を知っている者ですか」
先生の言葉に興味深そうな反応をする羽の女性。
この人が何者かとか、ここはなんなのかとか、疑問はあるけどとりあえず。
「ねえねえカーディ。あの人ってさ、私たちが来る前からずっとあのポーズで立ってたのかな」
隣にいるカーディに耳打ちする。
無言と冷たい視線が帰ってきた。
だ、だって気になるじゃない。
あんな不安定な場所で、いかにも待ってましたって感じでさ。
っていうか、十五年以上もこんな狭い部屋で暮らしてたの?
食べ物は? ご趣味は?
「あれは生物じゃないよ」
少し間を置いてから、カーディが答えた。
「え、どっから見ても人間じゃない。それとも羽があるから大きいフェリキタス?」
「うるさいな。黙って二人の話を聞いてな」
怒られちゃったよ。
まあいいや、ここは先生に任せよう。
「あなた方は以前にも泉を利用したことがあるのですか?」
「俺だけな。十五年前は世話になったな」
「……もしや、あの時の少年?」
なんか知り合いっぽい。
ああそっか、十五年前といえば、五英雄がこのビシャスワルトに来た時じゃない。
先生たちはきっと、その時にもこの泉に立ち寄ったんだ。
「言われてみれば他の方々にも見覚えがあります。そちらの少年と赤い髪の少女には、どこか懐かしい面影がありますね」
羽の人はヴォルさんとジュストくんの方を向きながら言う。
たぶんノイモーントさんとアルジェンティオ英雄王さまに似てるんだ。
そう考えると、私とカーディ以外はみんな五英雄の関係者なんだよね。
いちおうプリマヴェーラさまの再来とか言われてるけど、直接は関係ないし……
「ではもしかして、そちらの少女は……」
「ええ」
「おお、おおお……」
ん?
なに、私のこと?
泉の女性は表情も変わっていない。
けど、なにやら驚いているのはわかる。
「と言うことは、あなた方は今度こそ王の所へ行くつもりなのですね?」
なんか勝手に納得しちゃったみたい。
たぶん先生に聞いても教えてくれないんだろうなあ。
「そういうことなら構いません。どうぞ泉をお使いください……そしてどうか、王の目を覚まさせて」
泉の女性はすぅっと滑るような動きで後ろに下がった。
それと同時に、泉がぼんやりと光を放ちはじめる。
やがてその光は眩しいほどに強くなる。
「行くぞ、飛び込め」
言うが速いか、先生は泉の中に飛び込んだ。
ええ、なにそれ!
入るの?
この中に?
あまりに説明不足な先生の行動に対して、私は躊躇せざるを得ません!
「先に行くからね」
カーディも先生に続いて迷うことなく光の泉に入っていった。
しばらく待っても二人が浮かんでくる気配はない。
「多分、これは転移装置の一種ね」
ヴォルさんが言う。
「転移装置?」
「離れた場所に移動する道具の一種よ。有名なのは札の形をしたやつだけど、こういう風に固定されてるタイプの転移装置だと、予め指定された場所に通じているものね」
そういえば、前に先生がそんな札を使ってた記憶があるよ。
ぐにゃっと周りの景色が歪んで気持ち悪かった。
「ど、どうします?」
「行くしかないでしょ、ほら」
ヴォルさんは私の手を掴んで泉に向かって歩いていく。
「ちょ、ちょっと!」
「大丈夫、怖くないから」
「それはわかってますから。せめて心の準備をしてから」
「いいから。行くわよ!」
「いやあああ!」
私なんかがヴォルさんの力に抵抗できるわけもなく、あっさりと泉の中に引きずり込まれてしまった。
周囲の空間が歪む。
水中なのに、冷たさも温かさも感じない。
沈んでいる感覚すらなく、けれど息を吸うこともできない。
遠くに光を感じる。
目を開けば、歪んだ青い景色の中だった。
奇妙な浮遊感の中、私はヴォルさんに手を引かれている。
光を追いかけ泳いでゆく。
やがて、私たちは出口へと辿り着いた。




