488 ▽最強戦士のとっておき
新代エインシャント神国が主導する異界侵攻作戦に協力すべし。
ヴォルモーントはその大賢者からの要請を再三にわたって断り続けてきた。
星帝十三輝士一番星という立場を考えれば、早々に新代エインシャント神国へと向かうべきだったのに。
彼女は己の役割を無視し、セアンス共和国の輝工都市アンデュスに滞在し続けた。
それもすべて、母の治療という目的があったからだ。
禁呪の影響で病に冒された母。
その延命に必要な、治療器具を使わせてもらうため。
それを理由にヴォルモーントは、アンデュスの議員たちにいいように使われてきた。
その原因を作った者。
議員と手を結び、ヴォルモーントの足を止めた者。
母の苦しみ利用した、許せない敵。
それがこのエルデだ。
大賢者グレイロードと並び、ミドワルト最強と言われている戦士、ヴォルモーント。
ケイオスとしては姑息な手段を使ってでも一カ所に封じ込めておきたかったのだろう。
だが、エルデは絶対にやっちゃいけないことをした。
ヴォルモーントにとって、誰よりも大切な母親を利用したことである。
「このまま絞め殺されるか。それともバラバラになるまで肉をちぎり取られて死ぬか――」
ヴォルモーントの口元に邪悪な笑みが浮かぶ。
手の中で悶える、無力な敵を血走った目で睨みつける。
母を苦しめた罪、万死に値する。
この男が原因と知った時から彼女の手は、血と悲鳴と死と贖いを求め続けてきた。
「オマエに選ぶ権利はないけどなァ!」
首を掴んだまま、エルデの体を地面に叩きつける。
その体で岩を削り、裂けた背中から夥しい量の血飛沫が舞う。
「がっ……!? き、キサマァ……」
喀血しながらも、エルデの両目は赤毛の戦士をしっかり見据えていた。
その瞳が大きく開かれると、直後に左右の壁が大きくせり出す。
「調子に乗るなァ!」
二つの壁面がヴォルモーントの体を押し潰した。
※
「はぁっ、はぁっ……!」
呼吸を荒げ、エルデは口元の血を拭う。
「こ、ここまでとは……だが、頭に血が上って油断したようだな」
すでにヴォルモーントの姿はない。
圧倒的な質量に押し潰され、この世から消えた。
かなり焦ったが、とっさの反撃が間に合い、なんとか助かった。
エルデは説明の相手を求め、黒衣の妖将に目を向ける。
「ボクがなぜ、逃げ場のないこんな洞窟に潜んでいたかわかるかい?」
幼き少女の姿となった黒衣の妖将は返事をしない。
助けに来た仲間はすでに死んでしまったというのに。
次は自分が殺される番だとわかっていないのだろうか?
その態度を不満に思い、顔を歪めながらエルデは言葉を続ける。
「実はね、この洞窟はすべてボクの輝力によって具現化したものなのさ。言ってみれば、君たちはボクの体内にいるようなものだ。だからその気になればこんなふうに一瞬で相手を飲み込むこともできる」
「へえ、それはすごいなあ」
声はすぐ後ろから聞こえた。
ヴォルモーントが、エルデの肩に手を置いている。
岩に押しつぶされたはずの彼女は……無傷。
「な、何故だ!?」
※
カーディナルは興味がなかった。
こいつの自慢話にも、必死に考えた策とやらにも。
これから死に行く者のお喋りに付き合う価値などないのだから。
「何故だと思う? アタシが何をやったと思う? ふふふっ……理解できないまま死ね!」
輝鋼精錬された武器よりも遙かに恐ろしい指。
一番星はその握力だけでエルデの肩肉をちぎり取る。
「ぐわああああっ!」
地面を転げのたうち回る銀髪のケイオス。
ヴォルモーントはむしり取った肉片を投げ捨てた。
真っ赤に染まった手で、自らの長い髪をフッとかき上げる。
「無様ね」
「こ、このっ!」
余裕を見せつけるような格好のヴォルモーントは、一見すると隙だらけ。
彼女はまたも真上から伸びてきた巨大な円柱に押し潰された。
エルデの顔に笑みが浮かんだのは一瞬
直後にまた、驚愕に凍り付く。
「なんでだ、なんで避けられる!?」
赤毛の戦士は腕を組んだまま、離れた場所の壁面にもたれ掛かっていた。
「なんでだと思う?」
「くっ!」
足下から盛り上がる岩で両足を固定。
彼女が寄り掛かっている岩壁を輝力で硬化する。
そのまま周囲の岩の質量を増加させ、一気に押し潰した。
並の輝攻戦士を上回る防御力があろうが、逃げ場がなければ潰れるしかない。
なのに、ヴォルモーントはまた、別の場所に現れる。
「……ほんと厄介な技だよ、あれは」
カーディナルはエルデに対する僅かな哀れみを込めて呟く。
自身もかつて、あれに翻弄されて倒された記憶がある。
※
「なんなんだよ、なんなんだよお前は……!」
この女は決して手を出してはいけない相手だ。
そう聞いていたから、万全の準備をしてきたつもりだった。
上役の命令通り、肉親を利用して動きを止めるという姑息な手段を使った。
だが、それがバレてしまった以上、自分の手で始末するしかない。
それでも、絶対的に有利な状況にさえ持ち込めば。
奇襲で命を奪うことは可能だと思っていた。
なのに、こいつには……
自分の力が、全く通用しない。
「アタシは血まみれノイモーントの娘。星帝十三輝士一番星、ヴォルモーント」
再び赤毛の戦士はエルデの背後に現れる。
彼女は銀髪のケイオスの腕を掴む。
そして、無造作に引きちぎる。
「ぐああああああっ!」
「アンタもよく知ってるんじゃないの?」
「お……おのれっ! おのれぇっ!」
四方八方の岩壁から、鋭く尖った岩の槍が射出される。
しかし、それらは一つたりともヴォルモーントの体には刺さらない。
彼女はそれらを躱し、あるいは受け止め、己の武器としてエルデに突き刺していく。
気付けば、エルデは身体を岩壁に縫い付けられていた。
「う、が……!」
「小技にしか頼れない雑魚ね。張り合いのないヤツ」
「ふさ、ける、な……」
エルデは決して弱くなどない。
正体を気付かれずに星輝士に入り込み、三番星にまで上り詰めた実力。
秘密を知った二番星のゾンネと真っ向から戦い、深手を負わる戦闘力。
衰えていたとはいえ、五英雄ノイモーントの身体を蝕むほどの呪術力。
同じような潜入作戦に従事している他のケイオスと比べても、頭一つ飛び抜けた実力者であることは間違いない。
魔動乱期に前線に出ていたら、黒衣の妖将にも劣らぬ悪名を轟かせていたであろう。
それが、こうも惨めに、簡単に、赤子扱いされ、負ける理由はなんだ?
「いいわ。もう飽きたし、終わりにしてあげる」
そんなの答えは一つしかない。
ただ、目の前の敵が圧倒的に強すぎるだけだ。
※
エルデの体を壁から引きはがす。
その顎に強烈なアッパーを食らわせる。
拳から火柱のように真っ赤な輝力が立ち上る。
まるで輝力の間欠泉。
洞窟の天井を削りながら、はるか上空へと絶大なエネルギーが立ち上っていく。
並の敵ならこの時点で跡形もないだろう。
だが、エルデはこの程度で消滅するようなやわな敵ではない。
だから、ヴォルモーントは一切の容赦をしない。
「うおおおおおお……!」
低い唸り声を発すると、彼女の体が揺らぐ。
真っ赤な輝力が歪んだ渦を巻き、人の体を形作っていく。
まったく同じ姿の赤い髪の戦士が四人。
その内の一人が跳躍する。
打ち込んだ拳から放たれる輝力が岩壁を削る。
天井を貫き、大きく空いた穴から夕日が差し込んだ。
二人目、三人目も、同じように輝力を迸らせながら空へと向かう。
洞窟はもはや形を失い、山中の巨大な裂け目となっている。
三人のヴォルモーントが次々と上空のエルデへ追撃を食らわせていく。
四人目が上空へと先回りし、叩きつけるような拳をエルデにお見舞いした。
銀髪のケイオスの身体は流星のように落下し、谷底へと戻ってくる。
いつの間にかそこに立っていたのは、五人目のヴォルモーント。
獲物を待ち受ける獣のように、両手を拡げて待っている。
これが、ヴォルモーントのとっておき。
致命傷のはずの攻撃を食らっても、無傷でいた秘密。
余剰輝力の実態化。
本体と同じ姿形の分身を作り出す技である。
さらに、分身と本体の位置はいつでも自在に交換可能。
分身の一つ一つが並の輝攻戦士を遙かに凌駕する力を持つ。
待ち受けるヴォルモーントの本体。
その戦闘力は、分身とは比べものにならない。
炎のように紅い輝力を右手に宿らせ、身じろぎすらできずに落下してくるエルデを迎え撃つ。
しかし、最後の一撃が放たれることはなかった。
横から飛んできたカーディナルの大剣がエルデを突き刺し、攫って行く。
「おいっ、邪魔すんな!」
「こいつの身体を壊されちゃ困るんだよ」
死にかけだったエルデの胸元に腕を差し込み、エヴィルストーンを抉り出し破壊する。
残った身体から青黒い心臓を取り出して抜け殻となった死骸は放り捨てた。
「ほら、後は好きにしろ」
「ちっ……もういいわ。シラケちゃった」
ヴォルモーントは興を削がれていた。
地面に落下するエルデだったモノを一瞥すらしない。
大きなため息をひとつ吐いて、拳に集中した輝力を霧散させた。




