466 都市騒乱の後始末
玄関で靴を脱いで、見慣れた廊下を歩く。
ずぼらなお父さんひとりで暮らしているわりには掃除が行き届いてる。
あ、鍵を持ってたってことはもしかして、ナータが掃除してくれてたのかな?
そんなふうに緩みかけた気分は、奥に進むにつれて張り詰めていく。
リビングのドアを開けた時はすでに予感は確信に変わっていた。
部屋の中に見知らぬ男が立っていた。
切れ長の瞳、流れるようなオールバックの長髪。
一見すれば美形と言えなくもないけれど、肌の色は病的に青白い。
「あなた、誰?」
「貴様がレティを殺した者か?」
男は私の問いかけに応えず一方的な質問を返した。
「人違いなら苦しませず殺してやろう。そうでないのなら、ヒトごときの想像も及ばぬ程の苦痛を与えた上で、残虐に殺してやる」
「街の人たちを騙して暴動を起こさせたっていうケイオスの仲間?」
こっちも同じく相手の言葉に質問を重ねる。
この男から漂うのは、これまでに何度も感じた邪悪な気配。
間違いない。
こいつはケイオスだ。
「わかっているなら話は早い。さあ、質問に答えよ!」
レティっていうのはたぶん、こいつの仲間のケイオスのことだろう。
そいつが街を混乱させた張本人で、ナータが言うには、王都から来た輝士に倒されたって話だ。
「そいつをやっつけたのは私じゃないけど……なんで、ここにその人がいると思ったの?」
ケイオスは眉をぴくりと動かした。
「知れたこと、貴様から感じるエネルギーは常人のそれを遥かに上回っている。隈無く調べたが、この街でそれだけの力を持つヒトは他にはいない」
ああ、そっか。
ケイオスは輝力を感知できるんだっけ。
「さあ、正直に答えよ。レティを殺したのは貴様なのだろう?」
「違うって言ってるのに……」
「嘘は己の為にならぬぞ。答えぬというのなら、やはり苦痛を与えた上で殺す」
はぁ。
いいよね、別に。
このケイオスはたぶん、まだ何も悪いことをやってない。
その上、現状も把握できないおばかさんだけど。
私の友だちを壊したやつの仲間だもんね。
やっちゃっていいよね?
――ああ、いいよ。
「ヒトの子よ、先ほど我が何者かと問うたな。我が名は『拷問師』ジャンジャ。この地方の攻略を任された誇り高きケイオスよ。あくまでしらを切ると言うのなら、我が二つ名の由来、貴様の身体でとくと思い知らせてくれよう!」
勝手に名乗りを上げると、ケイオスは右手を振り上げる。
その指先から凄まじい勢いで爪が伸びた。
腕を捻るように振る。
五つの斬撃が不思議な軌道を描いて襲いかかって来る。
家具を柱を斬り裂きながら迫ってくる、爪の刃は。
「閃熱白刃剣」
私の作り出した閃熱の刃に触れると、轟音をあげて砕け散った。
「ぐおおおおおおおっ!」
苦痛の叫びを上げるケイオス。
切られた爪にも神経が通っているのかな?
ケイオスは後ろに下がろうとしてテーブルに突っ込み、派手な音を立てて倒れた。
あんまり家の中で暴れられたくないなあ。
適当に終わらせちゃおう。
「ねえ」
輝攻戦士の要領で体に輝粒子を纏う。
倒れるケイオスにのし掛かりながら、首筋に閃熱の刃を当てる。
「くっ!」
さすがに簡単にはやられてくれないみたい。
体を捻って、人間ではあり得ないような動きで跳ね起きる。
空中でコマのように回転しつつ、ケイオスは窓際にすとんと着地した。
「見かけによらぬ相当な使い手……なるほど、貴様にならレティが負けたのも頷ける!」
「だから、仲間のケイオスをやっつけたのは私じゃないってば」
ケイオスを前にしているのに、不思議と恐怖はない。
カーディとの日頃の訓練のおかげなのか。
先生と久しぶりに会ったからなのか。
どっちにせよ、こいつにはまったく負ける気がしない。
「狭い室内での戦闘は不利だな……着いて来い、少女よ。貴様とて自分の塒を壊されるのは本意でなかろう。存分に戦える場にて、我が真の力をとくと見せてやろうぞ!」
ケイオスは拳で窓ガラスを叩き割り、後ろに跳んで外に飛び出した。
私が庭に出た時にはすでに大空高く舞い上がっている。
上空を睨みつけ、私は足を屈めた。
「火飛翔」
背中から上下二対の葉形の炎が吹き上がる。
燃る炎の翅を拡げ、爆発的な勢いで舞い上がる。
私はそのまま、すれ違い様に閃熱の剣を一振りした。
「なっ――!」
ケイオスは直撃こそかわしたものの、大きく体勢を崩した。
私は空中で急停止し、即座に次の手を打つ。
「火蝶乱舞」
蝶の形をした炎が、私の周囲に十七つ出現する。
それらは敵を取り囲むように一斉に攻撃を開始した。
「う、うおおおおおっ!?」
連続で次々と撃ち込む火蝶の群れ。
今のところ、同時に生成できるのは十七までが限界。
一つが敵にぶつかって消えると、即座に次の火蝶が出現して飛びかかる。
「く、おっ……!」
一つ一つの威力は下位のエヴィルなら一撃で焼き尽くせる程度。
さすがにケイオスに対して致命傷にはならない。
けれど、途切れることのない炎の乱舞に、ケイオスは完全に防戦一方だ。
相手をその場に固定しつつ、私自身はぐるりと大きく弧を描いて回り込む。
「貴様、一体何者――ぐッ」
こちらに気を取られれば即座に火蝶が襲う。
一つ一つが意思を持っているように、相手の隙を狙っていく。
私が頭で考えて操っているわけじゃなく、自動的にそうなるようにしてある。
「ねえ、一つ聞かせて」
広い空間に出れば本領を発揮できるとか言っていたケイオスは、何の抵抗もできないまま、次々と火蝶を食らって消耗していく。
「なんでそんなに弱いのに、ひとりで来たの?」
「なんっ……!?」
ケイオスは私の質問を侮辱と受け取ったのか、あからさまな怒声を張り上げた。
「舐めるなァ! 我は拷問師ジャンジャ、ヒトごときにやられるものかァ!」
「そう」
「余裕ぶりおって……今に見ていろ、この攻撃が途切れた時が貴様の最後だ! そのような激しい術の行使、いつまでも力が持つわけがない! 残念だが貴様の全力攻撃は我には届いておらぬぞ!」
そんな強がりはもう私の耳に届かない。
代わりに、私は今の状況を考える。
こいつの仲間のケイオスは、フィリア市を大混乱に陥らせたらしい。
ケイオスがたった一匹侵入しただけで、街の平穏は容易く崩壊してしまう。
人間とは比べものにならない強大な化け物。
じゃあ、そのケイオスを圧倒している私は何?
本当はもっと前からわかっていた。
私たちは普通じゃないって。
まるでゲーム感覚であちこちにいるケイオスを倒し、時には二重輝攻戦士化したジュストくんみたいに、自分の力を試すようにわざわざ一人で戦ったりもする。
この体に宿る力は、普通じゃない。
それこそ、自分の手で世界さえ救えるほどに。
言い換えれば、その気になれば世界を壊せるということ。
天然輝術師を全力で排除してきたっていう、ファーゼブル王国の歴史は、きっと間違ってない。
以前にターニャから借りて読んだ本の主人公のように。
魔動乱の終わりと共に姿を消した聖少女プリマヴェーラのように。
「ぐ、おおおおおおおっ!」
止まない攻撃に痺れを切らし、ケイオスは大声で叫んだ。
ああ、考え事に夢中になってたけど、そういえば戦闘中だった。
よく考えたら、別にこのケイオスに恨みはないんだよね。
でも放っておいたらフィリア市を壊すんだよね。
そんなのは絶対に許さない。
やっぱりさよならだね。
「ぬんっ……!」
火蝶による連続攻撃が途切れる。
その瞬間を狙ってケイオスは動いた。
殻を破るように、その両腕が膨れあがる。
手の先に集中した膨大なエネルギーを投げるような構えをとったところで、正面からぶつかった黒い蝶が大爆発を起こした。
「ごあああああああっ!?」
爆炎黒蝶弾。
威力は高いけど、扱いの難しい爆炎。
それを蝶の形にすることによって、緻密なコントロールを可能とした術だ。
威力もオーソドックスな爆炎弾の数割増し。
使用にはイメージの集中が必要なので、さすがに火蝶乱舞に組み込むのは無理だけど。
それが逆に、このケイオスにとって不幸な結果になった。
力を溜めていたところにぶつけたため、ケイオスの右肩から先は完全に千切れ飛んでしまった。




