433 ▽開いた実力差
ナータとジルは再び市役所へ向かう。
腰に巻かれたロープは解いて通りに投げ捨てた。
「ん……?」
ルニーナ街に入る手前で、ジルはそれを見た。
「ナータ、ちょっと待って!」
「あたしも怪我してんだからいちいち叩くな!」
「あれ、ターニャじゃないか?」
抗議の声は無視し、空の一点を指差す。
そこには確かに空中を漂う人の姿があった。
鳥ではない。
遠くて距離感が掴めないので、大きさはわからない。
だが、明らかに翼を拡げて飛んでいるという感じではなかった。
「たしかに人間っぽいけど……あんた、よくあんなの気付いたわね」
「どこに向かってるんだろう」
彼女の進行方向に目を向ける。
すぐに思い浮かぶのは南フィリア学園。
しかし、この状況で学校に用があるとは思えない。
「――まさか!」
その少し手前に、重要な施設がある。
中輝鋼石が安置されている丘の上の神殿。
街をエヴィルから守る結界を司る、内なる砦。
「ナータ!」
「だから叩くなって!」
文句を言いつつ、ナータは察して機体を反転させた。
ターニャがなぜこんなことになってしまったのか、ジルはまだ本人の口から聞いていない。
自分が気付かなかっただけで、本当はずっと不満を持っていたのかもしれない。
誰にも相談できない悩みを抱えていたのかもしれない。
でも。
それだけは絶対にダメだ。
そんなことをしたら、取り返しが付かなくなってしまう。
早まるなよ、ターニャ……!
※
レガンテは追い詰められていた。
背中を壁に付け、震える両手を押さえ込む。
歯を食いしばりながら、目の前の敵を睨みつける。
敵の名はベレッツァ。
親しい者はベラと呼んでいる。
この国最強である、天輝士の称号を持つ女。
「どうした、もうお終いか」
彼女は息一つ切らしていなかった。
余裕の表情で、挑発するような言葉を吐く。
レガンテは歯ぎしりする。
彼女が並の剣士ではないのは百も承知。
だが、こうも圧倒されるのは一体どういうわけだ?
初めて相見えたのは選別会の時。
あの時はまだ、ここまでの実力はなかったはずだ。
少なくとも剣の腕前に関してだけは、レガンテの方が数段上だった。
輝攻戦士としてはベラに一日の長があるが、その後で正式に輝攻戦士になったレガンテだって、力は十分に使いこなしているつもりだ。
ベラは魔剣ディアベルを持っている。
相手の輝術を吸収し、我が物とする古代神器。
だから、輝術による攻撃ができないというハンデはある。
そのハンデを差し引いても、レガンテは勝つ自信があった。
しかし、ベラもこれまで一度の輝術も使ってはいない。
こちらに合わせて戦っているつもりなのだろうか。
このザマは何だ。
「ふざけるな……!」
この数ヶ月、ベラがいくつもの死線を乗り越えてきたのは知っている。
他国に先んじ、残存エヴィルの組織的侵攻を食い止めた功績も計り知れない。
グローリア部隊を設立したこともそうだが、すべてベラの奮闘あっての成果である。
彼女の実力とカリスマ性は、歴代の天輝士と比べても、頭一つ抜き出ていると言えるだろう。
何が彼女をそこまで生き急がせているのか、それはわからない。
だが、努力した分だけ際限なく強くなれるなんてことはあり得ない。
どんなに頑張ろうが、人の力には限界があるのだ。
それは誰よりも自分が身に染みてわかっている。
レティに出会う前の自分を思い出す。
胸に無念さと悲しみが去来する。
「降参するんだレガンテ。今ならまだ……」
「まだ、なんだ? 王国に反旗を翻した大逆者が、お前の一存で罪を免じられるとでも?」
「自首をすれば、罪は軽くなるかもしれない!」
レガンテは鼻で笑った。
類い希なる才能を持つ女輝士。
それと裏腹に、とんだ甘ちゃんである。
彼女はレガンテが一時の気の迷いでこんなことをしでかしたと思っているのだ。
「俺たちはもう仲間でもなんでもない。残った道は殺すか殺されるかだけだ」
会話の間に、腕の痺れは治まっていた。
レガンテは剣の柄を強く握り締める。
「そうかい、そいつは残念だ」
と、開きっぱなしのドアから聞き覚えのある声がした。
深海のように深い、青色の髪の陰気な輝士。
グローリア部隊副隊長、アビッソだ。
「お前までここに来てどうする。他の反逆者を探せと言っただろう」
「一人で敵陣に突っ込んだ無謀な隊長殿のことが気になりましてね。まあ、この様子だと助けは必要なかったようですが」
文句を言うベラに軽口で答えるアビッソ。
飄々としているが、彼の剣の技量はレガンテと互角である。
ベラに加え、こいつまで現れたとなると、まともに戦ったら勝ち目はゼロだ。
「さて、レガンテの旦那。あんたのことは高く買ってたんですが、こうなっちゃ仕方ありゃーせんね。大人しく武器を捨てて投降してもらいましょうか」
「抜かせ。降参するくらいなら最後まで抵抗させてもらう」
とは言ったものの、こんな所で討ち死にするつもりは毛頭ない。
隙を見てこの場を切り抜け、レティの下へ行かねば……
レガンテはアビッソの目を見てこう言った。
「と、言いたいところだが……やはりもう止めよう。これ以上の戦いには意味がない」
「そいつは殊勝な心がけで」
「お前の望み通り、武器は捨ててやるよ」
レガンテはニヤリと笑うと、剣をアビッソに向かって投げつけた。
さすがに会話中の奇襲くらいで油断してくれるような甘い相手ではない。
彼は即座に輝攻戦士化し、喉元を狙って投擲された剣を、自らの武器で防いだ。
「何のマネだ」
「別に」
レガンテの真の狙いはアビッソではなかった。
仲間が不意に攻撃を受けたことで、ベラが身構えた。
その隙にレガンテは輝攻戦士の力を全開にして床を蹴った。
そして、ベラが開けた大穴から、外へと飛び出した。
「しまった!」
「はっはっはっ、じゃあな、二人とも!」
街中に逃げれば、いくらでも撒くことはできる。
目的達成のためなら撤退も躊躇わない。
それがレガンテの信条だ。
※
「せら! 『げいげき』は上手くいってるぞ!」
どたどたと、やかましく階段を駆け上がる音が聞こえた。
小柄な少女が階下から顔を出し、思わず耳を塞ぎたくなるような甲高い声を聖堂に響かせた。
「報告ご苦労。ところで、ここは神聖な聖堂なんだ。もうちょっと声量を絞ってもらえると、みんなもありがたいと思うだろう」
「なるほどその通りだな! わかった次からは気をつけるぞ!」
ミチィは元気よく返事をして、また走って階段を降りていく。
ちっともわかっていない彼女の態度に、セラァは深いため息を吐いた。
「すみません、うちの飼い猫は躾けがなっていなくて……」
「なに、元気が良いのはいいことですよ」
そう言って聖堂の司祭は笑った。
ここは、フィリア市の地理的中央部。
小高い丘の上にある、神殿の聖堂二階である。
彼女たちの後ろには、成人男性の背丈ほどの高さの透明な石――
すなわち、中輝鋼石が奉られていた。
「しかし、本当に神殿を狙ってくるとは……」
神殿には中央部の聖堂を取り囲むような形の広場がある。
広場の周りにはいくつかの建物が立ち並び、敷地の外周には簡単な防壁もあった。
現在はその防壁の近くで、市民たちによる義勇兵が、うつろな目をした少年たちと戦闘をしている。
「あなたが彼らを連れて来てくれなければ、今頃この聖堂は陥落し、輝鋼石は敵の手に落ちていたことでしょう。本当に……感謝の言葉もございません」
「僕はなにもしていませんよ。彼らの義心に縋っただけです」
「あとは市民たちに怪我がなければ良いのですが」
少年たちが人並み外れた力を持っているのは、市役所が占拠された時点で判明している。
義勇兵である市民たちには、防壁で身を隠しつつ、投石や熱湯攻撃をさせていた。
少年たちが神殿に近づけないよう、とにかく嫌がらせをしてもらっている。
こんな小手先の戦法でも籠城側ならかなりの戦果を挙げられるだろう。
「先ほどこの目で確認しましたが、少年たちは完全に正気を失っているようです。いわば、り人形も同然。定石通りに堅守すれば援軍が来るまで耐えきることは可能かと――」
セラァが言いかけた時、またしてもミチィがやかましい足音を建てて階段を上ってきた。
「せら! 大変だぞ!」
「なんだミチィ。大声を出すなと言っただろう」
「輝動二輪に正門を突破された! すぐこっちに向かってくるぞ!」
「なに!?」




