432 ▽たとえ何もできなくても
刃に付いた血を拭って剣を鞘に収める。
アビッソは頭部を失って倒れた少年を見下ろした。
まだ若いのに気の毒だとは思うが、手加減をするわけにはいかなかった。
この少年にはケイオスの力が宿っていた。
気付かず不用意に近づいたのはアビッソの不覚。
あの時点で、すでに自分の命はないも同然だった。
しかし幸いにも、少年は隙だらけだった。
瞬時に輝攻戦士化して、一刀のもとに首を刎ねてやった。
おそらく彼はこの事件の加害者であり、被害者でもあっただろう。
本当なら救ってやるべき相手だったのかもしれない。
しかしアビッソたちが優先すべきことは、この未曾有の反乱を素早く鎮圧することだ。
荒技で敵の本拠地に乗り込んでいった隊長の援護もしなければならない。
「……恨むなよ」
アビッソは名も知らぬ少年の死体に背を向け、市役所の中へと入っていった。
※
「ん?」
レティはちょっとした違和感に気が付いた。
「ああ、フォルテが死んだのか」
他の捨て駒と違い、フォルテとターニャ、そしてレガンテには特殊な力を与えてある。
この三人と彼女は見えない糸で繋がっているような関係であった。
フォルテが死んだことで糸のひとつが切れたのだ。
「ま、いっか。どうせこれ以上の使い道もなさそうだったし」
レティにとって人間の協力者など道具でしかない。
しかもフォルテは内面が非常に幼く、落ち着きというものがなかった。
余計なことをされては面倒だし、そろそろ消しておくべきと思っていたところだった。
そんなことより。
レティには別の気がかりがある。
操り人形たちを向かわせている丘の上の神殿。
どうやらここは市民たちが守りを固めているようなのだ。
正式な輝士などはおらず、たいした武装もしていないが、数だけはかなり多い。
街の周囲に獣が集結していることは知っているのだろう。
万が一を考え結界を守ろうとしているのかも知れない。
一人一人は衛兵にすら劣る一般市民とはいえ、三十体程度しか残っていない操り人形どもでは、落とすのに時間がかかりそうだ。
「別に人形なんかいくら死んでもいいけど、時間をかけすぎて援軍が来ちゃったら面倒なのよね……ん?」
レティがどうしたものかと考えていると、ふわふわと不安定な飛行でお城デパートの屋上に近づいてくるターニャの姿を発見した。
レティは顔をしかめた。
今、自分の周囲には屈折が張ってある。
かなり接近しなければ目には見えず、気配も外に漏れないはずだ。
レティのいる場所に気付いて近寄れるのは、感覚の一部が繋がっているターニャとレガンテだけ。
彼女が後をつけられていたら、存在がバレる可能性もある。
王都の輝士が入り込んでいる現状での接触は謹んで欲しいというのが本音だ。
そんな不快な気持ちは表情に出さず、レティは目の前に降り立ったターニャに話しかけた。
「お疲れ様。どうしたの?」
「レティさんにお願いがあります」
「なにかしら」
「私にもっと力をください。輝攻戦士にも負けないくらいの、圧倒的な力を」
無遠慮なターニャの物言いに、レティは呆れた。
すでに彼女には一般人にとって限界スレスレの輝力を与えている。
これ以上無理に力を注入すれば、体が耐えきれずに死に至る可能性もあるだろう。
だが、待てよ?
レティは妙案を思いついた。
表情には出さずにほくそ笑む。
「いいけど、その代わりこっちのお願いを先に聞いてちょうだい。戦力不足で困っているのよ」
「お安いご用よ。でも、私一人で大丈夫かしら?」
見え透いた催促に思わず苦笑が漏れる。
そんなに力が欲しいのか。
「持ち駒を増やすための能力も与えておくわ。ただし急激な力の付与には危険が伴うから、バランスを取るため戦闘に関係のない術を一時的に封じさせてもらうわよ」
おそらくターニャはまだフォルテの死に気付いていない。
彼女は身も心もフォルテに依存しきっている。
遠視――ターニャは勝手に遠輝眼とか呼んでいる――を使って彼の死に気づいたら、途端に使い物にならなくなる恐れもあるだろう。
「……それでいいわ」
ターニャはせっかく手に入れた力の一部を失うことを少し嫌がったったようだが、結局は素直に頷いた。
レティは輝鋼札という名で呼んでいる自分の力を込めたカードを使わず、ターニャの額に手を当て、先ほど死んだフォルテから返ってきた彼の力をそのまま彼女に渡した。
「わ、すごい……」
力が湧き上がるのを実感していることだろう。
ターニャは感嘆の声を上げ、好戦的な笑みを浮かべた。
「で、お願いって?」
「神殿に向かっている駒の応援に行ってちょうだい。輝鋼石の破壊が目的なのだけど、立てこもった市民が邪魔をしているの。力尽くで蹴散らしていいし、新しい能力を試すのも自由よ。使い方はわかるわね?」
「ええ。存分に試させてもらうわ」
輝鋼石を失うことが輝工都市にとってどのような結果をもたらすか。
聡明なターニャならわからないはずがない。
ケイオスの命令に即答とは……
彼女はもはや人間とは言えないだろう。
そう、立派な操り人形だ。
どうせもう長くは使えないだろうし。
最後くらい思いっきり役に立ってもらおう。
※
「ん……」
心地よい揺れを感じてジルは目を覚ました。
どうやら自分は輝動二輪の後部座席にいるようだ。
部活が遅くなり、兄に迎えに来てもらうときも、こんなふうに眠ってしまうことがある。
ちゃんと掴まっていないと危ないぞって叱られたこともあったっけ。
「っと、気がついた?」
兄ではない声。
即座に意識がハッキリした。
「ナータ……っ、つっ!」
体が痛みを訴える。
フォルテにやられた傷は浅くなかった。
太陽の位置を見ても、あれからそれほど時間は経っていないようだ。
ジルとナータの身体はロープで結ばれていた。
気絶してしまったジルを、彼女が連れて逃げ出したのだろう。
「……あれから、どうなったんだ?」
「ベラお姉様が来てくれたの。あの二人のことは任せたわ」
「そっか」
あのベラ先輩なら大丈夫だろう。
ジルは無条件にそう思った。
フォルテの強さは普通じゃなかった。
だが、ベラ先輩はなんといっても伝説の先輩だ。
天輝士になったってことは、ファーゼブル王国のどの輝攻戦士よりも強いってことでもある。
ジルやナータが身の程に合っていない武器を振り回しyr無茶な戦いを挑むよりも、ずっと上手く解決してくれるはず。
でも。
「そんじゃ、さっきの場所に戻って」
ナータの背中を叩いてジルは言う。
「は?」
「戻って。ターニャのいるところへ」
「何言ってんのよ。戻れるわけないでしょ、せっかく逃げてきたのに」
「いいから戻って」
「ちょっと。寝惚けているみたいだから言っておくけど、いま戻ったところで、あたしらにできることなんてなんにもないわよ。ここは大人しくお姉様に任せておいた方が――」
「いいから戻れって言ってんだよ、ぶっ殺すぞ!」
ジルが大声で叫ぶ。
ナータは急ブレーキをかけた。
惰性で前のめりになった体がナータの背中に押しつけられる。
彼女は両手で強くハンドルを握りしめ二人分の重みを受け止めていた。
やがて、輝動二輪は道路の真ん中で停止した。
「……大声出してゴメン。でもさ、おまえがアタシと同じ立場だったら、放っておけるか? ターニャじゃなくて、例えばルーチェがあんなふうになってたら、人に任せて安全なところで見てられるか?」
ナータは黙ってジルの言葉を聞いている。
もしかしたら、震えているのも気付かれているかも知れない。
「アタシは行かなきゃダメなんだ。そりゃ、何の役にも立たないかも知れないけど。アタシとターニャは……」
自分とターニャの関係は、ナータとルーチェの関係とは少し違うかもしれない。
ジルにとって、いつも側にいるのが当たり前だったから。
ナータみたく必死の行動を起こしたこともない。
でも、ターニャはジルにとって、誰よりも大切な――
「友達、なんだから」
二人の関係は変わらない。
そんな風に勝手に思い込んでいた。
彼女はきっと、ずっと苦しんでいたんだろう。
その苦しみに気付いてあげることができなかった。
責任をとってこなくっちゃ。
「ちっ、仕方ないわね」
ナータは前輪ブレーキを握ったままアクセルを捻る。
後輪をスライドさせ、強引に車体の向きを変えた。
「行くわよ。しっかりつかまってなさい!」
「ああ、ありがとう」
簡素な言葉。
しかし、ジルは心から彼女にお礼を言った。




