411 ▽中央兵舎
ルニーナ街の北東部。
街道から中央通りに入ってすぐの右手側。
その場所にはフィリア市の中央兵舎があった。
ここはフィリア市衛兵隊の拠点である。
戦乱の時代の城砦を模した、古めかしい偉容を湛える外観。
お城デパート、市役所と並んで、ルニーナ三塔の一つに数えられる建物である。
何度かケンカや万引きで補導された経験のあるフォルテにとっては、嫌なイメージの方が強い場所である。
最初に建物に入ったのは初等学校の校外学習だったか。
あの頃は厩舎に並ぶ新型の輝動二輪に目を輝かせる無邪気な少年だった。
昔を思い出したフォルテは、少しだけ懐かしい気持ちになる。
だが、それ以上に今度ばかりは彼もひどく緊張していた。
「今日は俺の付き人として挨拶をするだけだ。硬くなる必要はないからな」
こちらの緊張が伝わったのだろうか、先導するレガンテがフォローする。
今朝、彼から兵舎に行くぞと言われた時はさすがに身構えた。
しかし、やっとこの時が来たという思いも確かにあった。
レガンテ直属の少年部隊。
分隊とはいえ、グローリア部隊の一員であるわけだ。
彼に出会ってからの数週間、仲間集めと訓練ばかりの日々だったが、そろそろ正規の輝士たちに会わせてはもらえないだろうかとフォルテは常々思っていたのである。
「ターニャ、普段通りにしていればいいからな」
「はい。大丈夫です」
今日はターニャも一緒だ。
彼女は非常に落ち着いている。
緊張を隠しているわけでもなさそうだ。
ターニャは元からしっかりした人間であった。
けれどこの数週間で、彼女は以前にも増して大人びて見えるようになった。
貫禄がついたとでも言うべきだろうか。
後輩たちに対する指導も、フォルテよりもずっと上手に行っている。
男として、自分だけが緊張に負けているわけにはいかない。
フォルテは背筋をピンと伸ばした。
※
兵舎にやってきたフォルテたちに与えられたのは歓迎の言葉ではなかった。
衛兵たちの「こいつらは何だ?」という、突き刺すような視線だった。
先頭を歩くレガンテにこそ敬礼をするものの、フォルテやターニャに対しては、胡散臭いと言わんばかりに一瞥をくれるだけである。
レガンテも二人をわざわざ衛兵たちに紹介してくれない。
フォルテは場違いな場所に来てしまったという不安感でいっぱいだった。
しかし、隣を歩くターニャは気にした様子はない。
広場を横切り、奥の宿舎に入ると、さらに居心地が悪くなった。
衛兵だけではなく、正規の輝士までもが一斉に彼らをを睨んできたのだ。
彼らはフォルテたちだけでなく、レガンテに対しても良い感情を持っていないようである。
三階の奥、司令室と書かれた札のある部屋にやってきた。
木彫りの豪奢な扉をレガンテはノックもせずに開けた。
フォルテは思わず足を止める。
ふと横を見ると、ターニャがうっすらと微笑んでいた。
彼女が迷いなく室内に足を踏み入れたので、フォルテもその後に続いた。
最初に見えたのは巨大な机。
いったいどれくらいの値段がするのだろう。
バカでかい上に、無駄に豪奢な彫刻が刻まれている机だ。
机上には散らばる無数の資料。
それに目を通している中年の男性。
彼は三人が入室しても顔を上げようともしない。
「司令」
レガンテが短く呼ぶと、その中年男性はようやく顔をあげた。
無視していたわけではなく、気付かなかっただけなのか?
彼は驚いたような顔でレガンテを見上げた。
「入室する時はノックくらいしたまえ」
「何度もしましたが、お気づきにならなかったようなので」
嘘である。
本当はノックなど一度もしていない。
しかし司令は「そうか」と頷くと、資料を机の上に放り投げた。
集中すると周りの音が聞こえなくなる人なのかもしれない。
レガンテはそれを知っていたので、あえてノックを省いたのだろう。
この人物の顔はフォルテも知っていた。
名前は忘れたが、フィリア市の軍事総司令官だ。
この兵舎の主であり、都市のすべての輝士・衛兵の長たる人物である。
とは言え、軍事総司令官など、王宮から派遣されただけの管理職でしかない。
実際に兵たちを束ねるのは、叩き上げの輝士団長及び衛兵隊長である。
総司令官の仕事は、兵たちの監視と朝礼の挨拶。
それと、偉そうにふんぞり返って、中央の威厳を見せつけるくらいである。
有り体に言えば、お飾りの役職だ。
「本日は引き継ぎにやって参りました。本日よりこのエレガンテ、正式にフィリア市輝士団団長に就任いたします」
レガンテの言葉に驚いたのはフォルテだった。
彼がこのフィリア市に来てから、まだ一度も実務を行っていないのは知っている。
だがまさか、輝士長に任命されているとは思ってもいなかったのだ。
グローリア部隊の隊員という彼の経歴を考えれば、輝士長を務めるのに不足はないだろう。
だが、フィリア市輝士団にはフィリア市輝士団なりのキャリアと指揮系統がある。
それに割って入るように、外部の者が輝士長に就任するなんて……
はたして、ここの輝士たちは認めているのだろうか?
総司令官は腕を組んで難しい顔をした。
話は聞いているが、やはり問題があるのだろう。
それをはっきりと口に出せない気弱さも見て取れる。
「この数週間、何度もお話したはずですが。この上まだ問題にするおつもりなら私も王都に報告をしないわけにはいきません」
「い、いや待て、もちろん引き継ぎは滞りなく行うつもりだ」
レガンテの言葉に机の向こうの総司令官は顔色を変えた。
このお飾りの総司令官が王都への報告を恐れていることはフォルテにもわかった。
レガンテは中央から出向いた輝士である。
しかも、今や国民のヒーローであるグローリア部隊の隊員だ。
邪険に扱えば中央からお叱りを受けるし、市民からの悪評にもつながる。
最悪の場合、今の立場を罷免されることもあるかもしれないと考えているのだろう。
権力の椅子に固執する、つまらない大人の典型だ。
「ワシはもちろん認めておるのだぞ。しかし、今の輝士長がいろいろと渋っておってな。兵たちからの信頼も厚い男だけに、やはり急な退任で風紀に乱れが生じるのではないかと心配しておるのだよ」
「その件についても話は通っているはずです。より即応的な組織を編成するためにも、中央との繋がりを密にしなければならない。現場の指揮官は飾りではいけない。彼には今後とも副隊長として私をサポートしてもらうつもりです」
レガンテの言葉には刺が含まれていたが、総司令官は気にしていないみたいだった。
自分の地位さえ守れれば、実務などどうでもいいと思っているのかもしれない。
「ともかく一度、兵たちを招集した上で、君自身の口から――」
総司令官が何かを言いかけた時、けたたましいサイレンの音が響いた。
フォルテは思わず狼狽えたが、自分以上に慌てた様子の総司令官の姿を見て冷静になった。
「な、何事だ!?」
テーブルに手をついてみっともなく叫ぶ彼の姿に、兵たちを束ねる者の威厳は欠片も見られない。
ほどなくして、一人の衛兵が飛び込んできた。
「緊急事態が発生しました! エヴィルの集団が、ここフィリア市に向かっています!」
「ば、バカな!」
総司令官の顔がみるみる青ざめていく。
フィリア市は魔動乱期にすら、一度もエヴィルの襲撃を受けたことがない。
エヴィルの接近など、国内の巣窟を一掃した後だけに、寝耳に水と言うやつだろう。
「状況を詳しく知らせろ」
わたわたしている司令官に代わって、レガンテが衛兵に命令した。
彼は少し戸惑った様子だったが、レガンテを上役と判断し、短い敬礼の後に報告をする。
「はっ。接近するエヴィルの数は約三〇体。動物型を中心とした中規模の集団です。現在はフィリア市北部の街道を南下中で、あと二〇分ほどで前線の兵と接触すると思われます」
「聞いたな。我々も行くぞ」
そう言ってレガンテは部屋を出る。
彼の意図を即座に理解した者はいなかった。
数秒遅れ、ターニャが足早に彼の後に続いた。
フォルテもようやく、彼の言葉が意味するところに気づいた。
「おれたちも戦うんですか?」
「訓練の仕上げだ。実際の戦場を経験しておくのも悪くない。兵たちへの挨拶代わりにもなるだろうしな」
エヴィルの襲撃。
実際の戦場。
信じられない単語が、レガンテの口から飛び出す。
フォルテは鼓動が速くなるのを感じた。
悪ガキ同士のなれ合いのようなケンカとは違う。
これから始まるのは、遊びではないのだ。
怖くないといえばウソになる。
だがフォルテはそれ以上にワクワクしていた。
自らが得た力を試す、絶好の機会を得られた喜びに。
最高の舞台が待っている。




