408 ▽地下道場
ターニャはピャットファーレ川にかかる橋の近くにいた。
この川の源流はフィリア市西部にある。
小高い山に端を発し、市域から一キロほど西で支流と合流。
街壁の下を潜って市内北部を東西に流れ、やがて海へと至る河川である。
橋の北側には旧市街や北部衛兵詰所がある。
そこから折れて東へ進めば隔絶街がある。
隔絶街から湾を挟んだ反対側の海沿いには、輝鋼石から送られた輝力を機械の動力となる輝流エネルギーに変換させるための輝流精製所がある。
もうもうと煙を吐き出す三本の煙突が、ここからもよく見える。
しばらく水面に目を向けていたターニャだが、近づいてくる足音に気づいて顔を上げた。
アルマたちバレー部の面々だ。
一人も欠けることなく集まっている。
彼女たちの英断にターニャは満足の笑みを浮かべた。
バレー部員たちは何も言わない。
訝しげな表情でターニャを見つめている。
「ついてきて」
ターニャは橋を渡り、北へと向かって歩を進めた。
あなたたちにも分けてあげる。
意味深な言葉に釣られてやってきたアルマたち。
だが放課後の一件以来、ターニャに対して良い感情は持っていないだろう。
背中に感じる視線は、疑いと期待が半々といったところか。
歩きながらターニャは『遠輝眼』と名付けた、自分の目とは異なる視界を得る輝術を使用していた。
アルマたちの動向を気にしているわけではない。
彼女らが襲い掛かってきても撃退する自信はある。
ターニャが気にしているのは、周囲の民間人だ。
こいつらはまだ、メンバーになると確定していない状況である。
一緒に歩いている姿を誰かに目撃されたら、もしもの場合に始末しにくくなる。
遠くにフォルテの姿を見つけた。
彼も数人の少年を引き連れ、同じ場所に向かっている。
周囲に気を配っている様子はないが、周りには部外者の姿もない。
あっちはあっちで上手くやっているのだろう。
ターニャたちは人気の少ない地域に足を踏み入れた。
もう何年も人が住んでいない、朽ち果てた灰色の小屋が立ち並ぶ。
街全体が薄暗く、人を寄せ付けようとしない陰気な雰囲気を放っている。
輝鋼精錬技術が建物に応用されて、間もない頃に建築された区域。
隔絶街と隣接しているため、人が住みつかなかった街区である。
今は隔絶街と繁華街を分け隔てる空白地帯。
輝士兵舎の近くにありながら、監視の目が届きにくく、非合法な商店もある。
ターニャはある建物の前にたどり着くと、周りに人がいないことを確認して、重い鉄の扉を開けた。
窓のない建物の中は非常に薄暗い。
輝光灯を点けなければ数歩先も見えないくらいだ。
このような様式が市民のニーズに合わなかったことも、区画が放棄された原因の一端である。
ターニャは手探りで輝光灯のスイッチを入れた。
人工の明かりに照らされた、灰色の廊下を奥へと進む。
そして、通路を曲がった先にある階段から、地下に降って行く。
降りきった所に現れた扉を開くと、室内の熱気が漏れてきた。
窓一つない殺風景な部屋。
しかし非常に広く、建物の敷地面積の地下いっぱいに広がった大部屋だ。
ここはターニャたちが『道場』と呼んでいる施設である。
学校の体育館の半分ほどの面積に、二十数名の男女が集まっていた。
室内の少年少女たちの行動は、大きく分けて二種類にわかれている。
男子を中心とした大部分は二人一組にわかれ、格闘技の演武を行っている。
緩やかで無駄が多く、決まった型などないように見えるが、彼らの目は真剣そのもの。
よく見れば、彼らの体はうっすらと光を放っているのがわかるだろう。
女子を中心とした数名は、部屋の端に集まってぶつぶつと呟いている。
彼女たちの一人が立ち上がり、短く言葉を叫ぶ。
「火!」
前方の空間に火が灯り、勢い良く燃え盛った。
「なんなんだよ、ここは……」
ターニャの後ろを着いてきていたアルマがそう呟いた。
来てはいけない場所に足を踏み入れてしまった。
そんな不安が感じられる声だった。
「あ、カスターニャさん!」
演武を行っていた少年の一人が、ターニャに気付いて話しかけてくる。
「おはようございます。その人たちは新入りですか?」
「ええ。まだ決まったわけじゃないけれどね」
ターニャは振り向きアルマたちに視線を向ける。
彼女はびくりと肩を震わせた。
他のバレー部たちも同様。
帰りたそうにそわそわしている者もいる。
階段を下ってくる複数の足音が聞こえた。
どうやらフォルテたちも到着したようだ。
「ターニャ、おはよう」
「おはよう、フォルテ君」
フォルテはターニャと挨拶を交わし、横をすり抜けて室内に入っていく。
「よっ、元気でやってるか?」
「フォルテさん!」
「まってましたよ、アニキっ!」
「お疲れーっす!」
演武を行っていた少年たちが、フォルテの姿を見るなり、一斉に駆け寄って来て挨拶をする。
「マジメにやってるな。その調子でがんばれよ」
「はい!」
偉そうに声をかけるフォルテ。
彼は非常に満足そうな表情をしていた。
心酔しきっている少年少女たちを微笑ましい気持ちで見やり、ターニャはアルマたちバレー部員と一緒に、彼が連れてきた少年たちを眺めた。
「では皆さんは私についてきてください」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」
階段を上ろうとするターニャをアルマが呼び止める。
「なんなんだよ、ここ。それにこいつら、一体何をやってるんだ?」
「来ればわかります」
ばっさりと言い切って、ターニャはいま来た道を引き返した。
他のバレー部員やフォルテが連れて来た少年たちも同様。
疑いの眼差しをターニャの背中に向けている。
彼らもわかっているはずだ。
もう後戻りはできないと。
※
新入りたちを二階に案内する。
教室くらいの広さの部屋にはレガンテとレティが待っていた。
「ようこそ、未来を担う少年少女たちよ」
長四角のテーブルの奥に座るレガンテが、人の良さそうな笑顔で彼らを迎えた。
ターニャはアルマたちに席を薦め、自身は部屋の入り口に移動する。
もちろん彼女たちを途中で逃さないためだ。
「それじゃ、続きは後でね」
レティが立ち上がり、部屋を出ていく。
入り口のターニャとすれ違う瞬間、二人は互いに笑みを交わした。
「自己紹介をするね。私の名はレガンテ。グローリア部隊のフィリア市分隊長を務めている」
レガンテは輝士証を取り出し皆に見せた。
グローリア部隊の名を知らない者は今の王国にいないだろう。
アルマたち学生からしてみれば、いきなり大スターが現れたようなものだ。
しかも輝士証を見せられては疑いようもない。
「失礼するわね」
レティが人数分の紅茶を注いで戻って来た。
彼女は着席した少年少女たちの前にカップを置いて廻る。
それが終わるのを待って、レガンテは神妙な面持ちで話し始めた。
「さて、前途有望な君たち若者に、ぜひ聞いてもらいたい話があるんだ」




