390 ▽斜に構えたお嬢様
会話らしい会話もなく、ターニャを後部座席に乗せた小型輝動二輪は夜の街を走る。
風を切るスピードにも慣れてきたころ、見慣れた海辺の景色が拡がった。
海岸通りに入ると、間もなくジルの家の道場が見えてくる。
その先はもう夢の出口だ。
小型輝動二輪が徐々に減速する。
やがてそれは、ターニャの家の前で停止した。
「えっと、ここでいいのかな」
遠慮がちに尋ねるフォルテ。
彼の横顔がすぐ目の前にある。
ターニャは顔をうつむかせて、短く、
「はい」
と答えた。
ともすれば離れることを拒否しようとする体を無理やり引きはがす。
緊張のためか、あるいは無理な体勢で足がしびれたか、大地を踏む感触は妙に硬かった。
現実の重さが、夢の終わりを告げているようで、少し悲しい。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
ターニャは丁寧に頭を下げた。
いやいや、とフォルテは照れたように笑う。
「お礼に……」
ターニャは言葉を呑み込んだ。
お礼に、自分が何をできるというのか。
いつもの想像なら、やることは決まっている。
けれどこれは現実。
自分が描くキャラクターとは違う。
数ページ分の物語の先にも日常は続く。
設定のリセットはできない。
変わってしまうのが怖い。
本当の自分を知られるのが恥ずかしい。
私には、そんな勇気はない。
自分の作る物語の主人公にはなれない。
でも、私は……
「それじゃ、またね」
――とくん。
あたりまえのように。
屈託のない笑顔で言って、帰ろうとするフォルテ。
ターニャの胸は、締め付けられるような甘い痛みを覚えた。
「あの!」
気がつけば、彼を呼び止めていた。
機体を反転させたフォルテが、もう一度こちらを振り返る。
「ん、なに?」
……まだ、離れたくない。
「今日は本当にごめんなさい。すごく迷惑をかけてしまって」
けれど、口から出てくるのは、そんな社交辞令だけ。
当たり前だ、他に何を言えるというのか。
「いいよ。中学時代のクラスメートだし、ジルに逆らったら後が怖いしな」
ずき。
さっきとは違う痛み。
私はただのクラスメート。
彼はジルに頼まれたから送ってくれただけ。
わかっている。
私には彼を引き留める権利なんかない。
家まで送ってくれただけで、十分すぎるくらいだ。
だから、こんな姑息な手段を使うしかない。
ターニャは玄関とは反対方向に足を向けた。
「あれ、どこ行くの? 家に入らないの?」
「うち、飲酒とか絶対許してくれない親だから。寝静まったころを見計らって、こっそり家に入ります。それまで近くの公園で酔いを醒まそうかなってと思って」
嘘だった。
ターニャの親は自分らに迷惑さえかけなければ、基本的に娘が何をしようと無関心である。
前に叔父の晩酌に付き合わされてへべれけになった時も、お説教どころか二日酔いの介抱すらしてくれなかった。
「いや、危ないよ。こんな時間に女の子が一人で出歩くなんて」
「慣れてるから大丈夫ですよ」
これは賭けだ。
彼の優しさを頼りにした。
傷つかず夢を続けるための、姑息な手段。
自分でもずるいってわかっている。
だけど。
「わかった。じゃあ、おれも付き合うよ」
これくらいしか、彼を引き留める方法は思い浮かばないから。
※
中等学校時代のターニャは、必要以上に自分のキャラを意識していた。
誰かの真面目な言葉に、冷めた意見を返すのがカッコイイ。
そんな風に思っていた、斜に構えたお嬢様だった。
はじめて彼のことを意識したのは、いつ頃だっただろう?
フォルテの名前と顔は昔から知っていた。
小さい頃、ジルの家の道場で見たことがあったから。
フォルテは強くなるため道場に通っていたわけじゃなかった。
どちらかと言えば、親に無理やり習わされているという感じだった。
練習試合でも、いつも負けては泣いているような子だったのを覚えている。
気づいた時には道場を辞めていて、外で遊んでいるのを見かけるようになった。
昔から彼はジルに振り回されていた。
けど、中等学校に入るようになった頃から、彼は少しずつ変わっていった。
腕っ節の強さだけが男の子たちの序列を決める年齢じゃなくなったのが理由のひとつ。
男女問わず傍若無人な女ガキ大将だったジルに、対等な口を利いていたっていうのがひとつ。
彼は男の子たちのムードメーカーみたいな存在になっていた。
クラスのリーダーってわけでもないけれど、誰よりもよく喋る少年だった。
彼の笑い声が聞こえるたび、いつしかターニャは自然と彼を目で追うようになっていた。
好きになったきっかけは些細なこと。
中等学校一年のある日のことだ。
自席で読書していたターニャの机に、フォルテが倒れこんできた。
友達とじゃれ合って突き飛ばされたとか、そういった理由だったと思う。
机は倒れ、教科書や文房具が盛大にちらばった。
ターニャはびっくりしたが、別に怒りはしなかった。
かわりに烈火のような猛烈な勢いで怒ったのがジルだった。
「おまえ、いくら温厚なターニャも怒るぞ! 本気で怒ったらアタシより怖いんだからな!」
「ひえっ!?」
彼女の言葉を本気にしたのかどうかはわからない。
フォルテは平謝りして、散らばった文房具を元に戻した。
片付けがすべて終わった後、彼はターニャに握手を求めてきた。
「はい、仲直り!」
「あ、はい……」
「気安いんだよバカ」
ジルは怒っていたけれど、ターニャは反射的に彼の手を握り返してしまった。
今までに触れたことのない男の子の温かさに思わず戸惑ってしまう。
その夜は彼のことをずっと考えて眠れなかった。
翌日、教室でいつもの彼の姿を見かけたときには、もうダメだった。
何事もシニカルに考えていた自分が、初めて人を好きになった。
他人に興味ないように振舞おうとする自分。
どうしようもなく溢れる欲求に抗う自分。
こんな私が恋愛なんて。
まわりの人が聞いたら笑うに決まっている。
自身の性格を理由に、結局どちらにも振り切れることなく、中等学校時代は過ぎて行った。
卒業の日は泣かないと決めていた。
けれど、ボロ泣きするルーチェを見て、もらい泣きしてしまった。
あのターニャが泣いているよ。
そんなふうに周りから言われると思った。
ところが、そんなことを言ってくるような人はいなかった。
だってみんなも泣いていたから。
結局、自分で決めたキャラクターに縛られていただけだったのだ。
それから、ターニャは斜に構えるのををやめた。
いちいち他人にケチをつけたりしない。
自分を良く見せようとは思わない。
ちょっとなら、他人に趣味を話すこともできるようになった。
中等学校に入学した当時、たまたま席が隣同士だった縁で親しくなったルーチェ。
うわべだけの付き合いだった彼女とも、いつしか本当の友だちと思えるようになっていた。
それでもまだ、自分は誰にも言えない秘密を隠し持っているけど。
恋なんてすべきじゃないなんて、バカな考えはもう持っていない。
そんな心境の変化とは裏腹に、南フィリア学園に入ってからは男の子との出会いもない。
この夏休みに入ってからはついに、親から見合いの話も出るようになった。
もちろん早すぎると言って断ったが、このまま他人に敷かれた人生を歩いて行くのかと思うと、ターニャは漠然とした不安を堪えきれなかった。
そんな時に、あなたが現れた。
「あー、えーと…………最近、やっと涼しくなってきたね」
「そうですね」
「はい、これどうぞ」
「ありがとう」
ありきたりな返事しかできない自分を嫌悪する。
フォルテは缶ジュースを差出してベンチの隣に腰かけた。
ターニャはジュースを受け取ると、蓋も開けずに膝の上で握りしめた。
それっきり、無言の時間が続く。
男女のやり取りはたくさん書いてきた
けど、どれも実際にありえないような妄想ばかり。
いざ男の子を前にすると、経験のなさが露呈してしまう。




