379 ◆公園の出会い
孤児院の子どもたちも、いつまでも施設で暮らせるわけじゃない。
大きくなれば社会に出る。
いつかはみんな独り立ちするのだ。
そのための勉強をしに、六歳になったら学校へ通う。
多くの資産を持っている院長先生は市に多くの寄付をしている。
おかげで、孤児であっても初等学校になら通わせてもらうことができた。
孤児たちの中には、誕生日どころか正確な年齢もわからない子もいる。
なので、だいたい六歳くらいになったと判断された年に、初等学校に入学する。
だからひょっとしたら、あたしの年齢は自分で思っているよりも、一つか二つくらいズレているかもしれない。
この年に入学させてくれた院長には感謝したい。
そのおかげで、彼女と出会うことができたんだから。
※
入学式の日。
あたしはなんの希望も持っていなかった。
少しだけ、いつもと違う人に囲まれて生活するようになるだけ。
一人でいるのが当然になっていたので、友だちができるかもしれないなんて、考えもしなかった。
あたしが通い始めることになったのは、フィリア市南部にある初等学校だった。
入学式にいるほとんどの子どもたちは親と一緒。
みんな幸せそうに笑ってる。
うちの孤児院からはあたしを含めて五人がいる。
あたし以外の四人はみな、仲良しグループを形成していた。
彼女らは一般の子たちと違うことを、別に気にしていないようだ。
これからの生活に期待を膨らませながら、楽しげにおしゃべりをしている。
グループに入っていくことを避けてたあたしだけが、ひとりぽつんと佇んでいた。
誰のせいでもない。
勝手に孤独を演じてただけ。
かわいげのない子供だったんだなあって思う。
でもあの時は、そんな偏屈な態度のおかげで、あの娘とめぐり合えたんだ。
退屈な式が終わり、親睦を深める会という、よくわからない会合が開かれた。
実際には単なる保護者たちのおしゃべり会だ。
保護者もいない、仲のいい友だちもいない。
そもそも他人と仲良くするつもりもないあたし。
はっきり言って、ただ居づらいだけの集まりだった。
こんなところにいるより、早く帰って絵でも描いていたい。
あたしは会が終わるのを待たずに、一人でさっさと初等学校を抜け出した。
帰る途中ふと、小さな公園を見つけた。
遊具もなく、ただベンチと花壇があるだけ。
住宅街の中にぽつんと取り残された静かな空間。
何を考えていたのかは覚えていない。
なんとなく、あたしはその公園に惹かれた。
急いで帰るのはやめて、しばらくここにいようと思った。
そんな時だった。
あの娘が、話しかけてきたのは。
「ねえねえ」
何をするでもなく、ベンチ座ってボーっとしていたあたし。
そんなあたしの背中に、小さな手が触れた。
院長先生以外に話しかけられるのは久しぶりだ。
だからといって、特別な感慨があるわけでもない。
面倒だなあとか思いながら、あたしは後ろを振り向いた。
「こんにちは!」
まず目を引いたのは、淡いピンク色の髪。
見たことのないその色に、思わず瞳を奪われた。
色えんぴつだけが友達のあたしには、まぶしくて、とてもきれいだと思った。
くりくりと大きな瞳。
花びらのようなみずみずしい唇
ふっくらとした、雪のように白い頬。
あたしと同じくらいの年だろう。
その子は天使のような微笑みを浮かべていた。
自分には絶対に真似できない、邪気のない純朴な笑顔。
すごく可愛い、女の子だった。
「ひとり?」
突然舞い降りた天使。
あたしは思わず見とれていた。
質問されたことにすら気がつかなかった。
ハッと正気に戻って、あたしは慌てて首を縦にふった。
その娘はあたしの隣にちょこんと座り込む。
と、聞いてもいないのに自己紹介を始めた。
「わたし、ルーちゃ。あなたのおなまえは?」
正直、困った。
聞かれたからには、答えなくてはならない。
別に答えたくなかったわけじゃない。
これまでほとんど他人と口を利いたことがなかったから、うまく喋る自信がなかった。
孤児院では身振りと首の縦横だけで意思を伝えてきたけれど、受動的な受け仕草だけでは、自分の名前を伝えることができない。
孤児院では、あたしが黙っているとみな呆れてどこかに行ってしまう。
けれど、ルーちゃという娘は、ニコニコしながらいつまでもあたしの返事を待っていた。
三分ほど黙っていただろうか。
その娘は視線を逸らそうとも、質問を繰り返そうともしない。
いい加減にに黙っているのも辛くなり、思い切って名前を口にした。
「ィンベ……ナータ」
声がうまく出なかった。
孤児院に来た時は院長がみんなに紹介してくれた。
その後はわざわざ自己紹介をしなければならない場面なかった。
思えば、名付けられて以来、自分の名前を口にするのも初めてだ。
めったに言葉を話すことがなかったあたしは、自分の名前すらうまく発音できなかった。
「なーた?」
結果、下半分だけが伝わった。
ルーちゃという娘はその部分だけを繰り返した。
間違って覚えられた。
けど、悪い気はしなかった。
むしろ、自分でもよく分からないけど、その音が気に入った。
ナータ。
その呼び名は現在でも、あたしの愛称になっている。
ルーちゃという子とは、日が暮れるまでずっと一緒にいた。
彼女は矢継ぎ早にいろんなに質問をしてくる。
ご機嫌とりをするわけでもない。
詮索するわけでもない。
好きな食べ物は何か。
何をして遊ぶのが好きか。
そんな、とりとめのないやり取りだった。
あたしはがんばって質問に答えた。
最初はかすれる声で、ぽつりぽつりと。
次第にちゃんとした受け答えができるようになっていった。
口にして初めて、自分が何を好きで、どんな人間なのかわかってきた。
それまでただ、漠然と生きていたあたしは、この時はじめて自分という人間を理解した。
どうやらこの子は、あたしと違う学校の子みたいだった。
日が暮れて、ルーちゃが迎えに来た父親に連れられて帰るまで、あたしたちはお喋りを続けた。
こんなに喋ったのは生まれて初めてだった。
※
自分が人並みの会話ができると気付いたところで、そう簡単に性格が変わるわけじゃない。
孤児院に戻れば、あたしはいつものようにだんまりになった。
夜、おやすみを言ってベッドに入る。
目をつぶると、昼間のことが夢だったように思えた。
翌日から、初等学校での生活が始まった。
あたしは何も変わらないままだった。
無視をされたり、いじめられたりしていたわけじゃない。
けど、自分からは積極的に他人に関わらない。
話しかけられても返事をしない。
そんなあたしに、友だちなんてできるはずがなかった。
何が気に入らなかったわけじゃない。
自分はこういう人間なんだ。
いきなり明るくなったらおかしいだろう。
もしかしたら院の子たちを意識して、そんな風に考えていたのかもしれない。
ともかく、あたしはずっと一人だった。
さすがに以前のようにだんまりというわけにもいかない。
なので、日常生活に必要な最低限の会話はしていたが、余計なおしゃべりは一切しなかった。
学校が終わると、まっすぐ院に帰った。
この頃、あたしの趣味はお絵かきから読書に変わっていた。
幸いにも院長先生が読書好きだったため、読む本には事欠かなかった。
院にある本は片っ端から読みあさった。
でも、内心では……
もう一度、あの女の子と……
ルーちゃんに会いたいとばかり思っていた。
本を一冊読み終えるごとに空想に浸る。
ルーちゃんと一緒に遊びまわる。
そんな夢を何度も見た。
後になって、あたしはこの頃の自分の気持ちを、言葉で言い表せるようになった。
本当は友だちが欲しかったんだ。




