369 ▽天輝士引き継ぎの儀
薄暗い廊下。
ベラは先行する祖父の背中を見つめながら歩いていた。
一歩進むごとに、心臓の高鳴りが増し、知らずの内に足を止めてしまう。
「どうした」
祖父も立ち止まって振り返る。
今日のブランドは儀礼用の鎧に身を包んでいる
普段とは打って変わり、威厳のある重厚な輝士の姿をしていた。
「いえ……なんでもありません。少し緊張してしまいました」
「情けない。エヴィルの大群に単身立ち向かった時の気迫はどうした」
「そ、それとこれとは別問題です」
あの時は緊張などしている暇はなかったし、戦闘の高揚感も後押ししてくれた。
しかし、戦いの緊張と人前で話すことの緊張は全くの別物である。
「スピーチくらい二国大会で優勝した時にもしていただろう」
「あの時だって、とても緊張していたのですよ」
とにかく、人前で喋るのが苦手なのである。
学生時代は生徒会長に推薦されたこともあったが、剣闘を理由にして意地でも断ったくらいだ。
「ただの儀式だ。練習したとおりにやれば問題ない」
これは天輝士を引き継ぐ前の、ただの決意表明挨拶。
緊張する必要なんてないはずだ。
しかし。
ベラの胸中に、緊張とは別の心配事が湧いてくる。
「輝士団の皆は、この結果を受け入れてくれるでしょうか」
「どういうことだ?」
「私は決勝を闘わずに天輝士になりました。そんな人間の言葉を快く聞いてもらえるとは思えません」
自分は天輝士に必要な資格を十分に持っていない。
その自己認識がベラの不安をさらに高めていた。
ルール上は間違いなく失格なのである。
選別会の最中に会場を抜け出したのは三人ともだ。
ただし、それでは残った者が誰もおらず、天輝士が空位になってしまう。
そんな事態を避けるため、建前上は決勝に進んでいたベラが繰り上げで選ばれたという形になった。
非常事態なのだから、試合のやり直しは認められるはずだった。
しかし、レガンテとアビッソが固辞してしまい、結局それは敵わなかった。
はっきりと言えば、ベラは天輝士の座を譲ってもらったようなものだ。
選別自体を祭りと捉えている輝士たちから見ても、絶対に納得がいかないだろう。
レガンテとアビッソ、どちらと闘っても必ず勝てるという自信はない。
もちろん、いざ闘うことになれば全力を尽くすが……
それほどに彼らの試合内容は凄まじかった。
その二人を差し置いて、こんな自分が。
輝士になって一年半の女が天輝士に選ばれるなど。
果たして、他の王宮輝士たちは歓迎してくれるのだろうか?
「忘れているようだが、お前は現役天輝士のヴェルデを破ったのだぞ。一体誰が文句を言うというのだ」
「しかし……」
「まったく、戦闘と姫の事以外になると、途端に煮えきれなくなるやつだ」
図星を指されてベラは縮こまった。
学生の頃は、文武両道の天才だなどと持て囃されてきた。
しかし、そうは言ってもベラはまだ若く、剣を持たねば緊張の一つくらいする。
「いいから行け。どうせなら思いっきり恥を掻いて来い」
「わ、ちょ、ちょっと」
祖父に背中を押され、ベラはバルコニーへと繋がる扉を潜った。
※
『わあああああああーっ!』
「え……?」
扉を潜ると、予想外の光景がそこにあった。
ベラが姿を現すと同時に、とてつもない大歓声があがったのだ。
見間違いかと目を擦る。
もう一度バルコニーから下を見る。
大広間には現在、王都の全輝士が集まっている。
二〇〇人を超える輝士たちが皆、こちらを見上げていた。
「ベレッツァ! ベレッツァ!」
「次代の天輝士、ばんざーい!」
彼らが繰り返し叫ぶのが、自分の名だと認識するまで、さらに数秒。
ベラはようやく、自分がこの場に立つのを歓迎されていることに気づく。
ゴホン、と背後で咳払いする祖父の声が聞こえた。
ベラは正気に戻り、もう三歩前に進む。
大広間に並ぶ輝士たち。
彼らの顔が手の届きそうなくらい近くに見える。
祖父に習って咳払いを一つしたベラは、風音拡声器に口を近づけた。
「わたしはっ」
声が裏返った。
場内から爆笑の声が上がる。
恥かしさのあまり顔から火が出そうだ。
こんな不様な失態は、輝士になって始めてだ。
な、何をやっているんだ私は。
私は輝士、それも選ばれし偉大なる天輝士なんだぞ。
こんなみっともないマネが許されるはずがない!
厳しく自分を戒めてみるけれど、頭の中はすでに真っ白。
何を話そうとしたのかすら、もはや思い出すことができない。
昨晩、祖父とさんざんやった練習は、全くの無意味になってしまった。
「あ、うー」
かといって、このまま黙り続けているわけにもいかないだろう。
既に笑い声は収まり、皆の視線はベラに集中している。
就任の挨拶一つ満足にできない若い娘が!
そんな風に思われているみたいで居たたまれない。
ええい、何でもいいから喋るんだ!
「……王宮輝士団所属、ベレッツァです」
ベラが口を開いた。
輝士たちは無言のまま。
視線が痛いほど突き刺さる。
「私ごときが天輝士に選ばれるという、望外の栄誉に授かり、大変に恐縮しております。こうしてこの場に立っていることが、未だに不思議でなりません」
嘘をつけ、とベラは内心で自身の言葉に突っ込んだ。
絶対に天輝士になるんだと、あんなに自信満々だっただろう。
そもそも、選ばれるつもりがなければ選別会に参加するわけがない
「実力以上に運の要素が大きかったでしょう。大会の最後には予想し得ない事件もありました。しかし、私はその全てを結果と受け止め、謹んでこの栄誉を受け取らせていただこうと思います」
上手くまとめられないままに話し始めた言葉は、やはり支離滅裂だった。
だが、予想していたヤジは一切入らず、ベラは静まりかえる輝士たちへと語りかけ続ける。
「魔動乱から十数年……私は平和な時代に剣を学び、輝士になった」
思うのは幼少の日々。
生まれて間もなく使命を与えられた。
幼い少女のために尽くした、穏やかな少女時代。
「しかし、その平和も今終わろうとしている。先日のエヴィル襲撃は、我がファーゼブル王国だけのことではなかった。世界各地の輝工都市や小国の王都が襲われた」
思うのは修行の日々。
毎日倒れるまで祖父の下で剣を学んだ。
女であることを忘れるほど、自らを鍛え上げた修練の時代。
「先の魔動乱、我がファーゼブル王国は常に後手に回っていた。近隣国家を護るという、地域大国の役目を十全に果たせず、その傷跡はいまも深く残ったままだ」
思うのは平穏な日々。
故郷のフィリア市で過ごした日々。
大切な友人や、可愛い『妹』たちと一緒に過ごした、かけがえのない学生時代。
それらのすべてが、今のベラを作っている。
「動乱の兆候を私は座視しない。この命を賭けてエヴィルと闘おう。天輝士の称号を継いだ以上、その何恥じない働きをすると……この剣に誓う!」
強い口調とは裏腹に、先の言葉に詰まったベラは、おもむろに腰の剣を抜いた。
そして、天に向かって掲げた剣の切っ先を、灯で輝かせる。
ダメだ、緊張しすぎて訳がわからなくなってきた。
ここはパフォーマンスの場じゃないんだぞ!
恥かしさと情けなさに、顔を真っ赤にしながら剣を引っ込めた、その時。
眼下の広場から盛大な拍手の渦が巻き起こった。
「頑張れよ、新しい天輝士!」
「あんたになら王国の未来を託せるよ!」
「期待してるぜ、若き女輝士ベレッツァさんよ!」
歓声の中、ベラ自身が最も熱気から遠い場所にいた。
彼らが自分を称える声を出していることが信じられなかった。
新米輝士が。
女のくせに調子に乗るな。
どうせお前なんて祖父の七光りだろう。
そんな罵声も覚悟していた。
だが、目の前に拡がるこの現実はどうだ?
拙いスピーチと、小ざかしい演出にも関わらず、こんなにも歓迎してくれる。
歓声が止み終るのを待たず、ベラは一礼してバルコニーから引き上げた。
「うわああああああ……っ」
一気に全身が脱力する。
顔は燃えそうに熱く、今にも涙がこぼれそう。
そんなベラを、祖父ブランドが優しい表情で迎えてくれた。
「打ち合わせとだいぶ違っていたな」
「すみません、頭が真っ白になってしまって……」
「別にかまわん。急場であれだけ言えれば上出来だ」
「ブランドの言う通り、立派な演説だったぞ」
「こ、国王陛下……!」
ベラは思わず息を呑んだ。
そこにいたのはファーゼブルの国王。
ビオンド三世、その人であったのだから。
「ブランドの孫娘……いや、輝士ベレッツァよ。そなたは紛れもなく、このファーゼブル王国第一の輝士である。この儂の名においてそなたを天輝士に任じよう」
「も、もったいないお言葉!」
「ふっふ。しかしまさか、儀礼の場で王国批判をされるとは思わなかったぞ」
し、しまった!
魔動乱期の王国の対応遅れ。
それは戦後に歴史を学んだ者たちにとっては共通の認識だ。
しかしそれを口にするのは先代の王、ひいては元老院批判にも繋がる。
そのため、公共の場ではタブーとされていたのだが……
自分はひょっとして、とんでもないことを言ってしまったのでは?
頭が真っ白になって石像と化すベラ。
彼女の肩に国王陛下が手を置いた。
「今度は頼むぞ、若き天輝士よ」
ベラはハッとして顔を上げた。
国王陛下が、この私に期待してくださっている!
「は、はっ。かならぶっ!」
緊張と恐れ多さのあまり、ベラは誤って舌を噛んでしまった。
「く、くうう……!」
痛みと羞恥に身悶えるベラ。
陛下と祖父の豪快な笑い声が響く。
「くくく、可愛らしい孫娘ではないか」
「お恥かしい限りです」
これから改めて天輝士引継ぎの儀式を行うというのに……
ベラは情けない気持ちでいっぱいであった。
※
再びベラがバルコニーに姿を現した時、広場の輝士たちは打って変わって静まり返っていた。
決意表明の後は、国王陛下と先代天輝士ヴェルデの二人による継剣の儀が行われる。
先ほどまでの緊張と失敗が後を引くことはなく、儀式は滞りなく完了した。
ベラは晴れて偉大なる天輝士の称号を引き継いだ。
史上最年少、初めての女性天輝士が誕生した瞬間であった。




