35 絶交
太陽が昇るより早く目を覚ますなんて中等部の卒業式以来だった。
窓を開ければ当然ながら外は真っ暗。
街は輝光灯の明りも殆ど消えている。
空は曇っていて星明りも見えない。
遠くに見える都市外壁の明りだけがうっすらと闇に浮かんでいた。
明け方とはいえ、まだ住宅街は静寂に包まれている。
私は窓を閉めて壁に掛けておいたフード付きコートを羽織る。
サイズの大きい厚手のコートはフードを目深に被ると目元まで簡単に隠れてしまう。
遠くから見れば知りあいでも私とは気付かないはず。
愛用のサイフをポケットにしまう。
この中にはベラお姉ちゃんの輝士証が入っている。
お姉ちゃんが貸してくれた大事な大事な輝士証が。
外は思っていたよりも寒かったけどこれから歩く距離を考えればちょうどいい。
市の北西の果てにある兵舎まで四キロほど。
普段なら気が遠くなって投げ出してしまう道のりだけどそんな甘いことを言ってもいられない。
明け方の五時まであと一時間半。
それまでに兵舎にたどり着かなくっちゃ。
日中は人で溢れているフィリア大通りも今は全く人気がない。
断続的に輝光灯が淡い光で道を照らす中、私はひたすら北へと歩いた。
途中で夜間営業のショップで水分を補給して少しの休憩をはさんでまた歩く。
ルニーナ街付近を通り過ぎる頃にはすでに東の空が色づき始めていた。
空の中ほどで大きな雲の塊が途切れ、その縁が白く輝いている。
息をのむような雄大な景色に感動を受けた後は自分の足を叱咤してまた歩き始めた。
兵舎まであと数百メートル。
※
ピャットファーレ川に架かる橋を渡った時、前方に人影が現れた。
早朝の散歩っていう感じじゃない。
何をするでもなく突っ立っているその人は真っ直ぐにこちらを見ていた。
不審に思いながら近づくと次第にその顔がハッキリと見えてくる。
「ナータ……」
それはケンカ別れしたっきりになっていた私の親友だった。
「ひ、久しぶり」
どうしてこんな所にいるのとは聞かない。
きわめて友好的に話しかける。
「どこに行くつもりよ」
ナータの声は冷たかった。
答えられない。
そもそもケンカの原因がジュストくんと一緒にいたことなのに、追放になった彼を追って街の外に出ようとしているなんて言えるわけがない。
「ちょっと朝の散歩を」
「寝起きの悪いあんたが、まだ日も出ていない時間にこんな遠くまで?」
みえみえの嘘はあっさりと見破られた。
ナータ相手にとぼけ続けるだけの演技力は私にはない。
「兵舎に行こうとしてるんでしょ。輝士通用門から外に出るために」
「どうしてそれを!」
昨日ベラお姉ちゃんが帰った後、私は一歩も外に出ていない。
もちろん誰にも計画のことを話してはいない。
それどころか先日の事件の詳細を知っている人もほとんどいないはずだ。
お父さんやごく一部の衛兵を除いて。
「ベラお姉さまが昨日家に来てね。あんたを止めてくれるように頼まれたのよ」
なんだって?
ベラお姉ちゃんとナータは剣闘部の先輩後輩の仲。
ミドワルト剣闘大会三連覇という偉業を成し遂げたベラお姉ちゃん。
そんなお姉ちゃんに立ち向かっていくのが性格的にナータくらいということもあって、二人はとても仲が良かった。
久しぶりに返ってきたお姉ちゃんが彼女に会いに行くのは不思議じゃない。
けど、どうしてこの事をナータに話したんだろう。
お姉ちゃんは私に協力してくれるんじゃなかったの……?
「全部聞いたわよ。あんたのせいであの男が街から追い出された事も……あんたが天然輝術師とかいうやつだってことも」
「わかってるならっ」
「だからってあんたが行ってなんになるのよ。外に出るって事はあんた自身も危険に晒される事になるのよ。いくら輝術が使えても輝工都市の生活に慣れてる人間が外の環境に適応できるとは思えないわ」
都市の外に出るってことは私自身も危険に晒される可能性がある。
下手をしたら二度と戻ってくることはできないかもしれない。
外では生活も文化も輝工都市とはまるで違っていて、こっちの常識はまるで通用しない。
そんなことは昨日さんざん考えた。
「責任があるとしても命まで賭ける義理はないわ。不幸な事故だったと思って諦めても誰も文句は――」
「思えるわけないじゃない!」
私は大声で彼女の言葉を遮った。
ああ、まだ仲直りもしていないのに。
今度もナータは私の心配をしてくれているだけなのに。
けど聞いてほしい。
私の決意を、想いを。
「私のせいなんだよ? 何も知らずに勝手なことをしたせいでジュストくんが不幸になっちゃうの。放っておくなんてできるわけないよ。お願い、そこをどいて。私を行かせて。お願い……します」
ケンカはしたくない。
けどモタモタしている暇はない。
私はこだわりを捨てて頭を下げた。
数秒、何の反応も帰ってこない。
顔を上げるとナータは俯き、何かを堪えるように体を震わせていた。
「ナータ……?」
前髪に隠れて彼女の表情は見えない。
心配になって近寄ると強く手を振り払われた。
「……あんたの決意が変わらないから無理に引き止めることはしないわ」
「じゃあ」
「そのかわり行っちゃうならもう絶交だからね」
ナータは涙声だった。
「……どうして?」
「うるさい」
「ねえ、なんで絶交なんて言うの?」
「あんたが私を裏切るから悪いんだ」
「裏切ってなんか」
「卒業まではずっと一緒にいるって言ったのに」
その意味を理解するのに少し時間が掛かった。
初等学校の卒業と同時に離れ離れになって高等部で再開した時、確かにそんな約束をした。
大人になってどうなるかはわからないけど学生の間はずっと一緒にいようねって。
「大丈夫。私は帰ってくるよ、必ず」
本当はわからない。
昨日は二度と戻らない可能性も散々考えた。
けど私は戻ってくる。
ジュストくんも大事だけどナータも大切な友だちだから。
会えなくなるのは嫌だから。
「夏休みは? 一緒に遊ぶって約束した」
「それは……帰ってきたら必ず埋め合わせするから」
「本当に帰ってこれるの? 隔絶街の怖さも知らないあんたが、外の世界はそれよりずっと危険な場所なんだよ」
わかっている。わかってるよ。
それでも昨日一晩考えて決めたんだ。
私が行かなくっちゃジュストくんは輝攻戦士になるって夢を叶えられない。
「いまは罪悪感の方が強いかもしれない。けどそれは自分の命よりも大事なことなの? 出会ったばかりでよく知らない他人のために自分が死んでもいいの?」
この言葉に私はハッキリと返すことができる。
「罪悪感だけじゃないよ。私、ジュストくんに死んで欲しくない。私は、たぶん、ジュストくんのことが好きだから」
それが私の決意。
だから私は危険の中にも飛び込むことができる。
ナータの目が鋭く私を睨む。
けれど先日みたいな怖い表情じゃない。
駄々をこねる幼いこどもみたいに悲しげで頼りない目をしていた。
「ナ……」
近寄った私をナータは両手で突き飛ばす。
「もう知らない! あんなやつの方がいいならさっさとどっか行っちゃえ! 大っ嫌い! もう帰ってくるな! ルーちゃんなんかエヴィルに食べられて死んじゃえ!」
静かな夜明け前の街に甲高い声がこだまする。
いつも大人びて見えたナータが感情をむき出しにして喚いている。
やがて彼女は振り向き呼び止める間もなく走り去ってしまった。
「そんな……」
地面に尻餅をつき、ナータの後姿を見つめながら思う。
八年間続いた友情が音を立てて崩れていく。
こんなはずじゃなかったのに。
ナータとはずっと友だちでいられると思ったのに。
一方的に感情をぶつけられたショックで私は呆然としていた。
だけどしたたかに打ち付けたお尻の痛みが気付け薬になる。
立ち上がって冷静に今やるべきことを考える。
兵舎に行かなくっちゃ。
ナータとの仲がこれで終わりなんて思いたくない。
ううん、そんなこと絶対にない。
けど今は行かなくっちゃ。
私が何もしなければジュストくんは帰ってこられない。
ナータには悪いけれどやっぱり私は行く。
ジュストくんは助け出す。
もちろん私も死なない。
ちょっと時間はかかるかもしれないけど、ちゃんと帰ってくる。
必ず。
今決めた。
そしたらナータにごめんなさいって言おう。
いっぱいいっぱい謝ろう。
許してもらえるまで何度でも。
東の空が明るくなり始めている。
急がなくっちゃ。
お尻をはたいて汚れを払い、私は兵舎へと再び歩きだした。




