326 演出された嘘の危機
「無茶言ってごめんね。わざわざ来てくれてありがとう」
「あの、本当に役に立てなくて、ごめんなさいっ」
なにもできない自分が申し訳なくて、私は頭を下げた。
ヴォルモーントさんは優しい笑顔で首を振る。
「話を聞いてもらえただけでも気持ちが軽くなったわ。一番星のこんな姿、仲間や議会の連中には見せられないから――」
ヴィィィィィィィッ!
彼女の言葉を遮るように、羽虫のような甲高い音が響いた。
「ちっ、こんな時に……」
ヴォルモーントさんの表情が引き締まる。
彼女は腕に巻いた時計のような機械を睨みつけ、
「……なんですって」
その顔が緊張から驚きに、そして怒りへと変化していく。
「ちぃっ!」
そのまま彼女は慌てて病室から出て行ってしまった。
な、なに?
一体なにが起こったの?
私が疑問に思った、その直後。
『た、大変です!』
窓の外からノイズ混じりの女の人の声が聞こえてくる。
これはこの前と同じ、エヴィルの接近を知らせる放送だ。
『エヴィルの襲撃を確認しました! 繰り返します、エヴィルの襲撃を確認しました!』
ただ、前回とは少し様子が違う。
前はあんなに落ち着き払っていたのに。
今回の放送の声の人は異常に取り乱している。
『エヴィルの現在位置は東部工業地帯の外側、今まさに街壁を越えて都市内に侵入して来ています! 規模は……ご、五〇〇体以上とのこと!』
「ええっ!?」
私は思わず声を上げた。
もうすでに、街壁まで辿り着いてる!?
わかった。
ヴォルモーントさんが見ていた腕時計みたいな機械。
あれはエヴィルの襲撃を彼女に直接知らせるための通信機だったんだ。
エヴィルの襲撃を知った彼女は慌てて飛び出して行った。
けど、街壁に迫るまでエヴィルの情報が伝わらないなんてある?
『え、何……嘘、これどういうことっ?』
誰かと話しているのか声に奇妙な雑音が混じる。
放送の女の人の声は、さらに信じられないことを言った。
『東部工業地帯の他にも、北部繁華街、南部繁華街、西部隔絶街それぞれの周辺にも、同様の規模のエヴィルが入り込んでいるとの情報が入りました! 周辺住民の皆さんはただちに避難してくださいっ!』
とんでもない内容だけを告げ、放送はぶつりと途切れた。
ちょっと無責任すぎやしませんかね。
っていうか、エヴィルが街中に……?
それも四か所で同時になんて。
そんなことってあり得るの?
どうして、近づいて来る前にわからなかったの!?
「カーディ、なにこれ! どういうこと!?」
「落ち着きなよ」
これが落ち着いていられるか!
むしろカーディはどうしてそんなに冷静なのよ。
ああそうか、人間の街がどうなろうと関係ないんだね。
私はそういうわけにはいかない。
確かにヴォルモーントさんの強さはこの眼で見ている。
けど、市街地に入り込まれたら、前みたいに圧倒的なパワーで一網打尽にはできない。
昨晩カーディと戦った時みたいに、街を破壊しないよう手加減して戦うしかない。
それでも彼女がやられることは多分ない。
ただ、全てのエヴィルを退治するにはかなり時間が掛かるはず。
二〇〇〇体のエヴィルを全滅させるまでに、街にどれだけ被害が出るかはわからない。
迷っている暇はない。
私も手伝いに行かなきゃ!
「ええぃっ!」
嵌め殺しの窓にパイプ椅子を投げつける。
病人のいる部屋で大きな音を立ててごめんなさい。
でも、いちいち下まで降りてる時間がもったいないから!
窓を破った私はそこから飛び出そうとして――
「落ち着きなって」
「はぐあっ!」
カーディに後ろ襟を掴まれた!
飛び出そうとしていた私は思いっきり首を締められる。
「げほ、げほっ! な、何をするのかっ!」
息が止まったぞ!
死ぬかと思ったぞっ!
「ごめん、まさかいきなり窓から飛び出そうとするとは思わなかったから。おまえ最近ぶっとんでるよね」
謝る言葉と裏腹に幼少カーディはまるで反省の様子がない。
ええい、いくら可愛いからってこの緊急時に!
「エヴィルが街に入り込んでるんだよ、私たちも行って手伝わなきゃ! ヴォルモーントさんひとりじゃ全部を倒すのは無茶だよ!」
「そもそも、これだけの規模の輝工都市を一人で守らせようっていう方が無茶なんだよ」
彼女がどんなに常人離れして強くても、ひとりでできることには限界がある。
今回みたいに複数箇所が襲われた場合は、一箇所ずつ素早く解決していったとしても、駆けつけるのが遅れる場所も必ず出てくる。
「だ、だから、私たちがっ」
「行けばなんとかなるかもね。襲われてるのはちょうど四箇所だ。赤髪、ピンク、わたし、ジュスティツァでぴったり。警察団とかいうやつらはエヴィルと戦っちゃいけない決まりみたいだし」
「わかってるなら!」
「どうしてこんな都合のいいタイミングで赤髪ひとりの手に余るような襲撃が起こったのかな?」
……なによ、何が言いたいの?
「おかしいよね。しかも今回は都市内に侵入されるまでエヴィル襲撃の情報が入ってこなかった。せめてもう少し早く気付いていれば、赤髪ひとりでもなんとかなったかも知れないのに」
「気づけない事情があったんじゃないの? 見張りの人が寝てたとか……」
「それはそれで大問題だけど、一番の問題は赤髪ひとりに頼っていれば大丈夫だって街のヒト全員が信じ込んでいたことさ。一人では手が余る数のエヴィルが多方面から同時に攻めてくる。どうしてそんなことが起こる可能性に誰も気づかなかったんだ?」
「確かに変だけど、今は原因を考えるより街のみんなを助けに行くのが先――」
私とカーディが口論を続けていると、ドタドタと複数の人が廊下を走ってくる足音が聞こえた。
足音はヴォルモーントさんが開けっ放しにしていたドアの前で止まる。
「お、お前ら、なぜこんな所にいるっ!?」
ドアの向こうの人は怒ったような顔で私たちを見ていた。
白衣を着た三人の若い男の人たちと、悪趣味で派手な服を着た太った中年男性。
私を指差す太った中年男性には見覚えがあった。
たしか、私にアンデュスに留まるように言った、産業奨励派議員の人だ。
「今の放送を聞いていなかったのか!? 今回の襲撃はこれまでと規模が違うんだ、ヴォルモーントひとりでは危うい、おまえ達もさっさと手伝いに行け! それとも市民を見殺しにするつもりか!?」
むか。
いや、言われなくても行くつもりだけどさ。
そう頭ごなしに命令されると腹が立つんだけど。
ヴォルモーントさんの事もそうだけど、まるで守ってもらうのが当たり前みたいな態度だよね。
「フェイントライツの名はただの飾りか!? 英雄の再来と呼ばれる輝術師なら、こんなところで遊んで無駄な時間を使うんじゃないっ!」
「別に遊んでるわけじゃ――」
「無駄なことをやってるのはおまえたちだよね」
反論しようとする私を遮ってカーディが冷たい声でくすくすと笑った。
議員の人はそれが気に障ったみたいで、顔を真っ赤にして反論する。
「何が無駄だというのだ!? 私はノイモーント氏の容態を心配をして、ヴォルモーントが戦っている間はこうして彼女の面倒を見るように……」
「それが無駄だって言ってるんだよ」
カーディがノイモーントさんの寝ているベッドに近づく。
そして、おもむろに彼女の体に接続されたチューブを引きちぎった。
「な、何をする!?」
「なにやってんの!?」
議員の人と私は同時にが叫んだ。
あの機械はノイモーントさんの命を繋ぎ止めている。
それを無理やり外すってことは、彼女の生命維持を中断するってことだ。
「お前、やめろ!」
「なんてことを――あぎゃあっっ」
若い白衣の人たちが慌てて止めようとする。
けど彼らは全員カーディの弱い電撃を喰らって卒倒。
太っちょの議員は額に脂汗を浮かべて小刻みに震えている。
「き、貴様、こんなことをしてただで済むと――」
「老人を虐待してるようなやつらに言われたくはないね。ハリボテに繋がれたままじゃ寝苦しいだろうから、昔のよしみで楽にさせてやっただけだよ」
は、ハリボテ?
「まさか……」
今まで黙っていたラインさんが医療機械に近づく。
そして、いくつかの部分を調べると、驚いたような顔で叫んだ。
「これは、ただの輝流変換装置です!」
「きりゅうへんかんそうち……医療機械じゃないの?」
「仰々しい見た目をしていますが、どう見ても医療機械なんかじゃありません。微弱な輝流を発生させ、それを人体に流すことで、あたかも命を繋いでいるように見せかけているだけです」
「シロウト目にはわからないかもしれないけど、輝術医療の基礎をかじった人間になら一発でバレるようなお粗末なものだよ。それどころか意図的に脳に刺激を与えることで植物化状態を維持している節すらあるね」
「ぐっ……」
議員の人は拳を握り締めて床を睨んでいる。
「母親の延命治療していると思わせて、赤髪に言うことを聞かせようとしてるんだよね。エヴィルの襲撃もたぶん人為的なものだ。何者かの召喚術だと考えた方が自然だね」
「召喚術って?」
「簡単に言えば、エヴィルを呼び出す術のこと」
エヴィルを呼び出して、わざと街を襲わせてる?
それをわざわざヴォルモーントさんに退治させてる?
意味がわからないよ。
「一体誰がそんなことを……」
「術者の正体はともかく、こいつらとグルなのは間違いないだろうね」
小太り議員がビクリと震えた。
彼は頭を抱えて膝を床についたまま叫ぶ。
「ち、違う……私は反対したんだ。街のためとはいえ、市民を危険に晒すようなことは止めたほうがいいと――」
なにやら言い訳をしている議員を無視し、カーディはさらに彼を追い詰めていく。
「エヴィルが定期的に襲ってくれば市民は外に出れない。赤髪に防衛を任せることで輝士団の人員を市内警護に当たらせることができる。労働力は増え、格差から生まれる犯罪も抑止され、大量のエヴィルストーンを得られるってオマケ付で街の産業は大いに活性化する。こいつらは儲け放題ってわけだね」
自分たちの利益のために、エヴィルを利用しているってこと……?
「ち、違う! 私は純粋に、市民の幸福と街の発展を願って」
「けど、近隣の町を見捨てたのは事実でしょ?」
カーディの言葉に太っちょ議員は言葉を失った。
彼女の推測が正しいなら、絶対に許されることじゃない。
たくさんの人を危険に晒してまでお金儲けするなんて、それが街の代表のすることか!
「じゃあ今回、これまでにない規模のエヴィルの大群が襲ってきたのは……」
「わたしたちを護衛に引っ張り込むためだね。これまでは赤髪ひとりに守らせてきたけど、一人じゃどうしようもない状況をつくって、新しい人員を確保するための理由にする。これはこいつら議員より協力者の思惑の方が強いだろうけど」
信じられない。
けれど、事情は大体わかった。
私はとりあえず議員の人を怒鳴りつける。
「今すぐエヴィルを呼び出してる人を止めさせなさい!」
「む、無理だ。術師とは定期的に向こうから連絡を取って来るだけで、エヴィルを召喚した後はすぐに姿を消してしまう。こちらから呼びかける方法はなにもないんだ」
「っ! ばか!」
役に立たない議員の頭を殴りつけ、私はカーディの方を振り向いた。
「もういいでしょ! 私は街の人たちを助けに行くからね!」
「お、おう」
火飛翔を使って炎の翅を生やす。
そのまま私は勢いをつけて割れた窓から飛び出した。
「ボ、ボクも微力ながらお手伝いします!」
ラインさんが後を追ってくる。
猛スピードで加速する私は、彼をどんどん引き離して飛んでいく。
まず向かうのは、ここから一番遠い南部繁華街だ。




