325 血塗れの英雄
五英雄の一人、ノイモーントさん。
彼女は若い頃から『輝術格闘術』を修めていた。
十代前半にはすでに輝攻戦士になっていて、その輝力容量は常人と比べて桁外れに大きかったと言われている。
そんな天才が生きた時代は、ちょうど魔動乱のまっただ中。
彼女は技を極めた後もさらに修練を続け、やがて星帝十三輝士の一番星になった。
ノイモーントさんは新代エインシャント神国に次ぐ激戦地であるシュタール帝国を中心に活躍し、一説では一〇〇〇〇体を超えるエヴィルを退治したと言われている。
その鬼神のような強さからついた二つ名は……『血塗れ』ノイモーント。
彼女がどんな経緯で五英雄と行動を共にしたかは知られていない。
けれど、彼女の活躍は五英雄たちが旅して廻った各地に伝わっている。
どこに行っても常に五英雄のメインアタッカーとして拳を振るっていたらしい。
……と、いうのが一般的に伝わるノイモーントさんの伝説だ。
「命を懸けて戦うには、母さんはすでに歳を取りすぎていたのさ」
ヴォルモーントさんは語る。
肉親から見た英雄の姿を。
「五英雄に同行した時点で、母さんは既に四十代半ばに差し掛かっていた。その時にはもう自分の命が長くはないと感じていたらしい。体を蝕む呪法と莫大な輝力が相当な負担をかけ続けていたからね」
呪法?
「模倣転生」
カーディが呟いた言葉にヴォルモーントさんは頷いた。
「そうだ。自分の輝力を完全コピーし胎内に宿った生命に移す術。自分が死んだ後も、すぐにまた同じ力をもつ戦士が育つようにするための法。うちの一族はずっとそれを繰り返してきて、その四代目として生まれたのが母さんなんだ」
「えっと……つまり、どういうこと?」
私は話の腰を折って怒られないよう、小声でカーディに尋ねた。
「この女は生まれた時から母親の輝力を受け継いでるんだよ。異常な輝力容量はそれが原因だ」
な、なるほど。
「呪法を使ってアタシを生むと、母さんはすぐに五英雄と共に旅立った。わずかな記憶と有り余る力だけをアタシに残してね……」
自分の力をそのまま子どもに受け継がせる。
それを何回も繰り返して、そのたびに強い子が産まれる。
それが、ヴォルモーントさんの若さに似合わない異常な強さの原因。
なんかそれって悲しい。
力を残すために子どもを産むなんて。
それじゃまるで、戦うためだけに生まれたみたいじゃない。
「やがて魔動乱は終わり、幸運なことに母さんは生きて返ってきた。呪法を使った影響か、自分自身の輝力は次第に薄れ、戦うことはできなくなってしまったけどね。けど、戦いから離れて平和な暮らしを送っていた母さんはとても幸せそうだった」
ヴォルモーントさんは薄く微笑む。
その横顔は普通の女性と変わりない。
戦いのために生まれた母娘が、戦うことなく過ごした時間。
それは二人にとって、とても幸せな時だったんだと思う。
「だけど数ヶ月前、残存エヴィルの活性化が始まると同時に、母さんの容態は急変した」
穏やかだった表情は一変。
ヴォルモーントさんの表情は怒りと悲しみに染まる。
「今さらになって呪法の影響が強く出たのか、ウォスゲートが開く予兆のせいなのかはわからない。とにかく、母さんは自力一人で起き上がれないほどに衰弱してしまった」
破れそうなほど強くシーツを握りしめる。
やるせない感情はぶつかることなく宙をさまよう。
「模倣転生に関する資料は全て抹消されていたから、シュタール帝国の医療技術では母さんを治療することはできなかった。アタシはセアンスの機械治療に賭けて、藁にも縋る想いでこの街にやって来た。残念ながら快癒はしなかったけど、症状の進行を遅らせることには成功した」
目を覚ますことはない。
けれど、ノイモーントさんはまだ生きている。
この重苦しい機械に繋がれていることで、なんとか命を繋いでいる。
「この医療用機械は世界でここにしかない。しかも稼働させておくだけでも莫大な金がかかるそうだ。アタシはこいつを使わせてもらう代わりに、議会に頼まれてこの街の防衛任務を始めた」
残存エヴィルの活性化によって、呪霊峡の近くにあるこの街は絶体絶命の危機に陥っている。
街の人たちにとって、ヴォルモーントさんの文字通り一騎当千の戦力は、喉から手が出るほど欲しかったに違いない。
彼女が襲ってくるエヴィルを片っ端から退治する。
その代わりに病院でノイモーントさんの延命治療を行う。
アンデュスとヴォルモーントさんの利害は完全に一致している。
一見すると合理的。
だけど、それって……
「母親のために本来やるべき仕事を放棄したってことだね。とんだ無責任な星輝士もいたもんだ」
カーディがヴォルモーントさんを揶揄する。
当然、ヴォルモーントさんの怒りは噴出する。
「黙れ! 貴様のようなバケモノになにがわかる!」
「星輝士としてのおまえの使命は新代エインシャント神国に向かい、ウォスゲートが再び開くのを阻止することだ。そういう通達も受けていただろう?」
「あ、あの。いちおう、星輝士は国家や人類のため、ある程度は自由な行動を選ぶ権利が与えられています。なのでこの街の人々を守るために戦ってるヴォルモーント様は決して間違っては――」
自分自身も輝術医療の助手をしていた元星輝士のラインさんが小声でフォローする。
が、なぜか擁護をしてあげたはずのヴォルモーントさんに睨まれて黙り込んだ。
余計なこと言わなきゃいいのに……
「アタシがこの街に居続けなければ、母さんは治療を受けられずに死ぬんだ。だから――」
「もう歳なんだし、運命と思って受け入れればいいんじゃない?」
カーディの血も涙もない言葉。
その一言で、ヴォルモーントさんの空気が変わった。
真っ赤な髪が風もないのにざわめき、沸騰しそうなほどの怒りを燃え上がらせる。
「なんだと……?」
「親が子より先に死ぬのは当たり前のことだよ。もともと本人も長生きするつもりはなかっただろうし、この歳まで生きられただけで十分でしょ」
「キサマぁ!」
「ま、待って! やめて落ち着いて暴れないで!」
私は爆発しかけたヴォルモーントさんに後ろから抱きついた。
輝攻戦士にこそなっていないけど、彼女の体内で輝力が暴れまわっているのがわかる。
「け、ケンカをしたらダメですよ。わざわざそんな話をしてくれたのは、何か意味があるんですよね? 私たちにできることがあるならなんでもやりますから、何か言ってくれればもっと平和的にっ」
あわわ、何言ってるのかわからなくなってきた。
彼女が本気を出したら、振りほどく力だけで私はバラバラにされてしまう。
そうなったら一瞬であの世行き確定だ。
彼女が落ち着いてくれることを祈りつつ、抱きしめる腕に力を込める。
すると、腕の中の温度がスッと下がっていった。
ヴォルモーントさんが振り返る。
彼女の長い髪が私の視界を赤一色に染める。
「……アナタの言う通りね」
腕を放して、顔を見上げる。
ヴォルモーントさんは優しげな瞳で私を見下ろした。
「実はね、アナタなら母さんを治療してくれるんじゃないかって期待して呼んだの。母さんが唯一認めたプリマヴェーラと同じ、天然輝術師であるアナタなら……」
「わ、私がなんとかするんですかっ」
いや、確かになんでもやりますって言ったけどっ。
「人嫌いで誰とも相容れなかった母さんが、プリマヴェーラのことだけは唯一認めていた。魔動乱の頃の話なんてほとんどしたがらないのに、彼女の話をするときだけはいつも嬉しそうだった。あの娘はすごい子だ。どんな奇跡でも起こせる力がある。あの娘が生きていれば、きっと自分なんかよりたくさんの人を幸せにできた……って」
ズキン……
ないはずの痛みが胸を打つ。
五英雄のひとり、聖少女プリマヴェーラ。
彼女は素敵な人だったって、みんな口をそろえて言う。
私はもちろん会ったこともない。
けど、本当に素晴らしい人だったんだろうって思う。
「だから、アナタなら、聖少女プリマヴェーラと同じ天然輝術師のアナタなら、奇跡を起こせるんじゃないかって、母さんを治してくれるんじゃないかって、思って……」
ヴォルモーントさんは期待を込めた……
というより、縋るような目を私に向けてくる。
あんなに恐ろしかった人が、今はなんて頼りない。
「私は――」
ヴォルモーントさんは本当にお母さんのことが大好きなんだ。
できるなら、なんとかしてあげたいとは思う。
けど……
「……私は、プリマヴェーラみたいななんでもできる凄い輝術師じゃないんです。簡単な治癒の術は使えますけど、聞いたこともない呪法の治療の仕方なんてわかりません」
私は聖少女じゃない。
戦うことしかできない、ただの天然輝術師。
「だから、力にはなれません。本当にごめんなさい……」
助けたい人が目の前にいるのに何もできない。
ヴォルモーントさんはこんな思いをずっと続けてきたんだ。
それはきっと想像を絶するほど辛い日々だったに違いない。
あんなに強いヴォルモーントさんが、こんなに弱気になってしまうほどに。
「そっか」
私は顔を上げる。
ヴォルモーントさんは目を閉じたまま薄く微笑んでいた。
「ごめんね、無理を言うつもりはないの」
「え、あの」
「そりゃ、アナタが天然輝術師だって聞いて、ちょっとは期待したけどね。だからってアナタが悲しむ必要はないわ。アタシはこれまで通り、この街で戦い続けるだけだから」
ヴォルモーントさんが私の頭を優しく撫でる。
まるで、こっちが逆に慰められてしまっているみたいだった。




