283 乱心
「ルーチェさん!」
何が起こったのかわからず呆然としていた。
そんな私を庇うように、ラインさんが前に出る。
その声にハッとして、正気に戻る。
さっきの凄惨な死に様がフラッシュバックする。
激しい嘔吐感に襲われるけれど、吐いている場合じゃない。
あの輝士さんを殺したのはナコさんだ。
そして、彼女は次に私を殺そうと迫っている。
この状況から考えられることは一つ。
「彼女はケイオスに取り付かれています!」
ラインさんが鞭を握りしめながら叫んだ。
私は頷いて、まだ状況を理解していない様子のダイの服を掴む。
「なにやってんだよ、姉ちゃん……」
「近づかないで、ナコさんは操られているんだよ!」
ダイは親しい人がいきなり奇行に及んだ姿を見て混乱してる。
けれど、ボーッとしてたら次にやられるのは自分なんだぞ!
「させません!」
「邪魔をしないでください」
ラインさんが彼女の進路を阻む。
輝攻戦士モードになって、しなやかな鞭で先手必勝の一撃を放つ。
いくらケイオスに操られているとは言え、本当の姿を現さなければ、輝攻戦士の攻撃には耐えられないはずだ!
「なっ!?」
ところが、攻撃を受けたはずのナコさんは、悠然とその場に立っていた。
中距離から放った不意打ち。
避けられるはずのない一撃だった。
彼女は表情一つ変えることなくかわした。
そのまま一足跳びでラインさんへの距離を詰める。
ラインさんは後ろに大きく飛び退いた。
けれど。
「うっ……!」
ぽたり。
足元に赤い雫がこぼれた。
ラインさんの腕が斬り裂かれ、真っ赤な傷口が覗いている。
「ありえない、輝攻戦士の体に傷をつけるなんて……」
ラインさんは驚愕の表情を浮かべていた。
輝攻戦士の防御の要である輝粒子。
それは、激しい攻撃によって吹き飛ばされることもある。
けれどラインさんの周囲には、まだはっきりと輝粒子が舞っていた。
例えて言うなら、鎧を着ている人をその鎧を傷つけないまま、中の体だけを斬り裂いたようなものだ。
輝粒子を吹き飛ばすのだって、そう簡単にできるものじゃない。
かなりのダメージが蓄積されて初めて破られるものだ。
「まさか……」
彼女の剣は邪悪を斬る。
そして彼女は、輝攻戦士を邪悪な力と言った。
彼女の言う邪悪な力っていうのが、私たちの言うところの輝力だとしたら?
輝攻戦士の防御力は全く意味がなくなる。
しかも彼女はとんでもない達人だ。
近づくのは、危険。
「ラインさん、離れて!」
なら、ここは輝術師である私の出番だ!
ラインさんは素直に後ろに下がってナコさんとの距離をとる。
彼の傷口がちらりと目に映る。
さっきの無残な死体が脳裏に浮かぶ。
私は首を振って嫌な光景を打ち消した。
術に集中!
「姉ちゃん……」
と、ダイが武器も持たず、虚ろな表情でナコさんに近づいていくのが見えた。
なにやってんのあの子は!?
だめだ、ダイはナコさんがケイオスに操られていることがわかってない!
ナコさんがダイに手を伸ばす。
「火蝶弾!」
私はナコさん目掛けて火蝶を放った。
とっさのことだったので手加減する余裕もなかった。
このままじゃ操られてるだけの彼女を傷つけてしまう。
そう思った。
けれど。
ナコさんは片手で剣を振る。
それだけで、私の火蝶は真っ二つに裂けて形を失い、消滅した。
「な……」
今度こそ絶句するしかなかった。
この火蝶は気力を変化させて生み出した火だ。
それを斬り裂くなんて、絶対にできるはずがない。
達人とかそういう問題じゃない。
そんなことは不可能なはずなんだ。
輝粒子だけじゃなく、輝術までも斬ってしまうなんて。
「大五郎」
ナコさんの手がダイに伸びる。
やばい、このままじゃダイが殺されちゃう!
「ダイっ――」
「すぐに終わらせてあげますからね。そうしたら、一緒にどこかへ行きましょう」
え……?
思っていたような、ダイに対する攻撃はなかった。
ナコさんの表情には微笑みが浮かんでいる。
愛しそうにダイの頭をなでる。
「な、なに言ってんだよ」
「危険ですから下がっていなさい」
ナコさんの視線が再び私を向く。
その瞳はダイに向けていたのとは別人のように冷たかった。
「なんだい、どうしたってんだい!」
「ひっ、人が死んでる!」
ドタドタと廊下を駆ける音と共に複数の人の声が聞こえた。
大変だ、村の人たちが集まってきちゃった!
「ダメ、いま来たら――」
叫ぼうとして、最後まで声は出なかった。
目の前に、ナコさんの顔があった。
真っ赤な口が裂けたように薄く笑っている。
その表情を見た瞬間、恐怖とすら言えない絶対的な悪寒に襲われた。
殺される。
理屈抜きにそう思った。
直後、私は反射的に別の術を使っていた。
「火飛翔!」
とにかく後ろに逃げるだけで精一杯だった。
細かい制御をする余裕もない。
激しい衝撃に体が痛む。
上下二対の炎の翼で加速した私は、窓を破って建物の外に出た。
数秒後に訪れる衝撃を思い、きつく目を閉じる。
ところが、私の体は地面にぶつかることはなかった。
誰かに抱き止められたみたい。
「ルー、どうしたんだ!?」
私を受け止めたのは、近隣の見回りに行っていたはずのジュストくんだった。
「ど、どうして?」
「ルーの輝力が変化したのを感じて、急いで戻ってきたんだ」
輝力の扱いに長けたジュストくんは、私の輝力が変化――
つまり戦闘状態になると、その変化に気付くことができる。
私に何かが起こっていると感じて急いで戻って来てくれたみたいだ。
「それにしても、ずいぶんな無茶をするな。僕が駆けつけるのがもう少し遅かったら地面に叩きつけられてたぞ」
「い、いや、考える余裕もなくて」
たぶん、あと一瞬遅かったら、私はナコさんに斬られていたと思う。
窓を突き破ったのは流石に痛かったけど、特に大きな怪我もない。
「あ、あの、中にケイオスがいて、まだダイとラインさんが!」
「わかった。僕が加勢する……なんとか外におびき出すか」
慌てた私の雑な説明でも、ジュストくんは適確に理解してくれた。
食堂のすぐ脇はちょっとした広場になっている。
戦うには十分なスペースと言える。
輝攻戦士なら狭い室内で戦うより、こっちの方がやりやすいだろう。
「ルーは周りの人たちを避難させてくれ」
「う、うん」
それほど多くはないけど、付近には何人かの村人たちがいる。
彼らは窓を突き破った私を不審な目で遠巻きに眺めていた。
「みなさん、自分の家に隠れて! 食堂の中にエヴィルがいます!」
私は大声で周囲の人に呼びかけた。
村人たちは始めきょとんとしていたけれど、誰かが私たちを見て、
「宿に泊まってるフェイントライツの人たちだ!」
と叫ぶと、他の人たちも納得してくれた。
誰もが大慌てで建物の中に逃げ込んで行く。
よかった、有名だったのが役に立ったみたい。
ジュストくんが割れた窓から食堂に飛び込もうとする。
その瞬間、中から何かが飛んできた。
「なんだ?」
彼はそれを左手で軽く払った。
ボールのようなものがコロコロと地面に転がる。
それは建物の壁に当たって、止まった。
「え?」
最初は茶色いボールかと思った。
壁にぶつかって、半回転分こちらに戻って来る。
「きゃああああああっ!」
私は悲鳴を上げた。
茶色だったのは髪の色。
断面からは赤黒い血が吹き出している。
飛んできたのは、人の首だった。




