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閃炎輝術師ルーチェ - Flame Shiner Luce -  作者: すこみ
第5章 異邦の姉弟 - tragedy lady -
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258 ▽前話・惨劇の夜

 炎が全てを包んでいた。


 昨日までの平和も。

 人々の笑顔も。

 命も。


 家屋は焼け、崩れ落ち、灰になる。

 遠くから鈍い破壊音が聞こえてきた。

 それに連鎖するように幼い叫び声が響く。

 悲痛な声は、嫌でも彼女にこの光景が夢ではないと思い知らせた。


 変わり果て、地獄と化した村の中を少女が走っている。

 長い黒髪は焦げ、衣服は破れ、肌は煤けてしまっている。

 それでも、少女は一心不乱に足を前へと突き動かしていた。


 突き出した木片に着物の裾を切り裂かれる。

 町一番の仕立屋が作ってくれた、お気に入りの着物だったのに。

 破れた衣服の隙間から見える白い肌も裂傷と火傷で痛々しく傷ついている。


 その時、行く手を阻むように人影が現れた。


 少女はその人物を知っていた。

 西側の外れに居を構える、少し抜けているけれど優しい男性。

 この小さな村に生まれてから十二年。

 知らない人など一人もいない。


 見知った顔に対する安堵はなかった。

 少女の心を支配するのは、ただ恐怖。


 男性は右手に農作業用の鎌を持っている。

 左手は根元からちぎれとび、炎よりも紅い血がとめどなく流れている。


 痛みを感じている様子はない。

 むしろ恍惚とした表情すら浮かべている。


 男が鎌を振り上げた。

 瞬間、恐怖に囚われていた体が、考えるより早く反射的に動いた。


 少女は男を突き飛ばす。

 倒れたのを確認する間もなく、踵を返して逃げ出した。


 数時間前まで、草花の香りと温かい日差しに包まれていた村だった。

 それが今は、大嫌いな血の匂いと炎の熱気が支配する地獄。


 少女は何故こんなことになってしまったのかを考えた。




   ※


 ほんのついさっきまで、いつも通りだったのに。

 午前中は畑仕事を手伝って、お昼を食べた後は剣術の稽古。

 それから夕方までのわずかな間を、近しい年齢の友だちと遊んで過ごした。


 周りを深い森に囲まれた村の変化のない日常。

 いつも通りの穏やかな毎日。

 それが何の前触れも無く、崩れ去った。


 村中の人間が狂ってしまった。

 ある者は手当たり次第に物を破壊。

 またある者は家屋に火をつける。

 そしてまたある者は、凶器を手に取り人を傷つけた。


 優しかったお隣のお兄さんも狂ってしまった。

 いつも美味しいお菓子を作ってくれたおばあちゃんも殺された。


 理由は分からないが、少女は狂気に冒されなかった。

 だが地獄と化したこの村に正気のまま放り出されることが、どれだけの救いになるのだろう。


 少女の他にも、正気を保っている人はいた。

 そのすべてが同年代か、自分より年下の子どもたち。


 どうやら狂ってしまったのは大人だけのようだ。


 大人たちは逃げ回る子どもを容赦なく襲った。

 力も強く、一切の迷い無く凶刃を振りかざす大人。

 わけもわからず、信頼していた大人たちに手をかけられる子どもたち。

 村中で目を覆いたくなるような虐殺が繰り広げられていた。


 少女は逃げる事しかできなかった。

 目の前で自分より小さな子が無残に殺される姿も見た。

 それでも、浮かび上がる感情は怒りでも、悲しみでもない。

 ただ、恐怖。


 少女が生き延びているのは、人より優れた運動能力のおかげではない。

 いち早く状況を理解し、残酷にも仲間たちを見捨てて逃げ出したからだ。


 空が暗くなり始めていたことに気づき、少女は足を止めた。

 いつの間にか村の外れまで来たようだ。


 この辺りは火の手が回っておらず、家屋も無い。

 どうやら追手もいないようだ。


 薄暗い闇の中、近くの木にもたれて少女は息を吐いた。

 一息つくと、体の節々に痛みが走る。

 あちこち擦り傷だらけの体。

 今になって、自分がボロボロであることを認識する。


 痛みに耐えながら、少女は村の中心部に視線を向けた。

 赤々と燃え盛る炎は、まるで巨大なかがり火のように見える。

 祭りの後のように、どこか幻想的なその雰囲気に正気を失いそうになる。


 炎に包まれた建物がまたひとつ瓦解した。

 あれは誰の家だっただろうか。


「……ぁん……れかぁ……」


 建物が崩れ落ちる音に紛れて、消え入りそうな声が聞こえた。

 まだ、生き残っていた子がいた……


 今も村では自分より若い子たちが、今もあそこで狂った大人に襲われている。

 少女は自分が逃げることしか頭に無かった。

 慕ってくれていた娘も見殺しにした。


 その娘の最期の表情はまぶたの裏に焼き付いている。

 恐怖に染まった顔。

 助けを求める幼い声。

 少女を見る絶望の眼差し。


 身を守ることで精いっぱいだったとはいえ、何ということをしてしまったのだろう。


 そして少女はまた思いだす。

 まだ、弟が残っている。


 ちょうどあの娘と同じくらい。

 十一になったばかりの可愛い弟がまだ村にいる。

 泣き虫だけど頑固で、いつも少女の後を追いかけていた可愛い弟。


 あの娘を見捨てた罪悪感が胸をえぐる。

 同時に少女の中に新たな気持ちが芽生えた。

 その感情はすぐに、我慢できないほどに膨れ上がる。


 使命感が恐怖を上回る。

 少女は拳を握り締めた。


 このまま逃げれば、命は助かるかもしれない。

 けど。


 少女は駆け出し、村の中へと戻っていった。




   ※


 焼けた空気が体を炙る。

 熱気が傷に響くが、気にしてはいられない。

 崩れ落ちる建物の間を抜けて、少女は必死に弟の名を叫び続けた。


 もう叫び声も泣き声も聞こえなかった。

 嫌な予感を頭から振り払いながら、僅かな希望に縋って捜索を続けた。


 目の前に人影が立ち塞がった。

 三軒隣に住んでいた、怒るということすら知らないような、温和を絵に描いたような婦人。

 庭で取れた果物をよく差し出してくれていたその手に握られているのは、先端が赤黒く染まった無骨な木片と、小さな、人の、頭。


 婦人の狂気に染まった目と、その手にある人だったモノを交互に見つめる。


 再び心を蝕む恐怖の感情。

 でも、逃げ出すことはできない。


 弟を守るんだ。

 この命に代えても


 少女はがむしゃらに走り出した。

 渾身の力を込めた体当たり。

 婦人がよろけた。


 その隙に木片を奪い、横を走りぬける。

 すぐにまた別の人影が目の前に現れた。


 今度は三人。

 長老を補佐する組頭の老人。

 丁寧に畑仕事のやりかたを指導してくれた中年の男性。

 そして、以前に恋文を貰ったこともある、三つ年上の男性。


 少女は反射的に持っていた木片を振り上げた。

 しかし、暴力を振るう事を躊躇った。

 三人の中に、いや……

 村のどこにも傷つけたい相手はいない。


 背後から鈍い音が聞こえてきた。

 振り向くと、さっき突き飛ばした婦人が、鉈を手にした別の男に頭をかち割られていた。


 迷っていては、殺される――

 婦人の頭を何度も殴りつける音が響く。

 少女は振り返って、男めがけて木片を投げつけた。


 頭部に直撃を受け、男が地面に倒れ伏す。

 正面からは、また鈍い破壊音が聞こえてきた。

 少女を囲んだ三人の村人が同士討ちを始めたようだ。


 彼らの間に敵味方の区別はないのだ。

 ただ、目の前にあるモノを破壊するだけ。

 その光景を見ているとこっちまで気が狂いそうになる。


 少女は生きるため、大切な人を探すために走った。

 すでに原型をとどめていない婦人の横を通り過ぎて。


 村中を走った。

 道端に横たわる人間だったモノを何体も目撃した。

 子どもたちだけじゃなく、同士討ちの果てに力尽きた大人たちもたくさん見た。


 元々が五十人にも満たない小さな村だ。

 既に生き残っている人間はほとんどいないだろう。


 最悪な想像が嫌でも頭に浮かんでしまう。

 できる限り死体を見ないよう、視線を四方に走らせ、弟の姿を探す。

 どうか生きていてと必死に念じながら。


 火の消えかけている建物のそば。

 蹲って、かすかに動いている影を見つけた。


「大五郎」


 随分と久しぶりに意味を持った言葉を発した気がする。

 震えていた少年が顔を上げた。

 黒いボサボサの髪に、あどけなさの残る幼い顔立ち。

 顔は煤にまみれ、恐怖に歪んでいたが、見間違えるはずもない。

 それは少女の最愛の弟だった。

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