252 ▽死生観
三人は町外れの教会に戻ってきた。
ジュストが勢いをつけて両開きの扉を開く。
盛大な音が響くと同時に、暗闇が目の前に広がった。
その礼拝堂は以前に来たときと比べてもずっと闇が濃い。
夕暮れの光が開いた扉から差し込む以外、まったく光源がなかった。
そんな中、床に膝をついて頭を垂れている者の姿がある。
「困りますね。神聖な礼拝の最中に、無粋な光を差し込まれては」
聞き覚えのある声。
それは紛れもなく神父のものだった。
しかし彼の顔つきは、以前に会った時に見せた、人好きのするような好々爺ではなかった。
例えるなら、策を巡らし利を得る悪党のよう。
「トーアがやられましたか……やれやれ、意外と役に立たない人だ。きっと信仰心が足りないのでしょう」
「答えろ。お前は何をやろうとしている?」
神父は――
堕天派の司祭ベツィルクは、ジュストの問いに簡潔な答えを返した。
「トーアが言いませんでしたか? エヴィルによる人類の救済ですよ」
「傭兵を使って、地方官の館から古代神器を盗み出そうとした理由は?」
「神器……というより、この地方に伝わる遺産の一つですね。清火のリングと呼ばれるそれには、エヴィルを自在に飼い慣らす力があります。邪法に通じる輝術師ならば特別な道具を介せずとも可能らしいですが、あいにくと私にその筋の才能はないようでして」
エヴィルを飼いならす輝術師と言うと、一行はとある老人のことを思い出す。
かつてフレスの体を乗っ取り、ルーチェの手で消滅させられると同時に、その力の才だけを残していった悪の輝術師を。
今はそんなことはどうでもいい。
フレスは目の前の邪教徒に疑問をぶつけた。
「何故ですか? どうして、あなたは堕天派なんかに染まったのです?」
エヴィルは疑う余地もない人類の敵だ。
今の暦が始まって以来、常に人と生存競争を続けてきた、忌むべき天敵。
それを崇め、あまつさえエヴィルに人間を殺させようなど、正気の沙汰ではない。
一体どうすればそのような思考に染まるのか……
「フレスさん、でしたかな。あなたは主神派の洗礼を受けておられると仰いましたね」
「ええ」
「ならばお答えください。人が命を全うした後、意識と記憶は一体どこに行くのでしょう?」
突然の質問に意表を突かれる。
しかしフレスはそれに対する答えを持っていた。
「選ばれし者は楽園へ上り、そうでない者は新しい器に宿り、新たな人生を送ります」
輪廻転生はミドワルトに生きる者にとって、ごく一般的な死生観である。
信仰心や派閥に関係なく、誰もが当然のようにそう信じている。
しかし神父は鋭い目でフレスを見据え、こう問いかける。
「転生後に宿った新しい器とは、一体何者でしょう? 生まれたばかりの赤子に、前世の意識と記憶が宿っていると思いますか? あなたは前世の、今とは違う別人だった頃の記憶をお持ちですか?」
「それは……」
もちろん、そんな訳はない。
生まれる前どころか、小さかった頃の記憶だって曖昧だ。
この世に生を受け、すぐに喋ったり過去を語ったりする人間なんているわけがない。
「死ねば今生の記憶は消され、地上にてゼロからの新たな生を強制される。たとえ望まずして死んだ者であってもね。なぜなら、楽園に住める人間の数には限りがあるから。聖典にもそう記してあります。主神も、聖天使も、選ばなかった者には見向きもしない。次はうまくやれよと無責任に魂を漂白する」
闇の中でベツィルクの瞳がギョロリと動いた。
真っ赤に充血した瞳がオレンジの光に照らされ、フレスは思わずゾッとする。
「それは無に還るのとどう違う? 死とは今生のすべてを忘れることなのか? それではあまりにも無慈悲で、残酷ではないか」
神父の瞳には様々な感情が渦巻いていた。
怒り、恐怖、神に対する侮蔑。
そして……
「ですが闇の始祖は違う。誰もが自分自身のまま、地の国へと旅立つことができる。あの日、私の目の前で無残にも八つ裂きにされた我が妻も、変わらぬ姿で私を待っててくれている!」
その瞬間、ベツィルクの狂気の源泉が見えた。
同じだ、この男も、おそらくトーアも。
フレスやジュストと同じなのだ。
大切な人をエヴィルに殺され、歪んでしまっただけなのだ。
今の断片的な情報から推測される彼の境遇は同情して余りあるし、悲しみのあまり都合の良い教えに染まってしまうのも理解できる。
しかし。
「だからと言って、関係ない人にまで死を強要して良い理由にはならない」
己の絶望に他人を巻き込むことは許されない。
ジュストは悲しみから立ち上がり戦うことを選んだ。
ベツィルクに真っ向から反抗する、彼の言葉には確かな重みがある。
「あなたがエヴィルに殺されることで救いが得られると信じるのなら、それは否定しない。だが何故、平穏に暮らしている人々を巻き込もうとする?」
「それが誰にとっても幸福だからだ。私は人類を救いたいだけなのだよ。より多くの同行者がいれば、それだけ皆も寂しくないだろう?」
「根拠のない妄言ばっか吐いてんじゃねーよ。死ぬならテメーひとりで死ね」
しびれを切らしたダイが剣を抜いた。
これ以上ベツィルクの妄言には付き合っていられない。
彼の腕前なら、この距離でも一足飛びで攻撃を加えることが可能である。
建物の入り口は三人が塞いでいる。
もはや今更何をしようと、神父に逃げ場はない。
「くっくっく」
絶体絶命の状況だというのに、ベツィルクは不敵に笑った。
「なんだよ。気でも狂ったか」
「いいや、正常だよ。私はまだ死なない」
「殺すつもりはねーよ。けど、しばらくの間、牢屋ん中で反省しろ」
「ほう、どうやって私を牢屋に入れるつもりだ?」
「決まってんだろ。適当にボコったあと、衛兵につきだして……」
「私はなんの罪も犯してはいない。善良な町の司祭に暴力を振るえば、お前たちの方こそ牢獄行きだぞ」
「なんだと?」
ベツィルクの言葉にダイが眉根を寄せる。
「善良もなにもねーだろ。オマエがコイツらに命令して……」
「ああ、地方官様の館に忍び込み、宝を盗もうとした賊がいるらしい。まったく許せん話だよ……すべて、貴様らが勝手にやったことだ!」
「……そういうことか」
トーアのような強い剣士がいるにも関わらず、傭兵を雇っていた理由。
信用の低い、よそ者に罪をかぶせるため。
最初からそのつもりだったのだ。
「さあ、理解したらさっさと出て行ってくれないか。これから神に祈りを捧げなければならないからね」
「……僕たちの言葉だけでは弱いかもしれない。けど、雇われた傭兵全員の証言があれば」
「役立たずを始末しているのは、トーアだけだと思ったか?」
「それって、まさか……!」
口の端が裂けたような醜悪な神父の表情。
フレスは背中が凍り付くような感じを味わった。
洞窟で一緒だった半ピンク髪の少女剣士や、屈強な傭兵たちの顔を思い出す。
「君たち以外はとっくに始末しているよ。私のとっておきの――」
「誰が始末されたのですか?」
突如、頭上から声が響いた。
戸から漏れる光が届かない、礼拝所の天井。
暗くて何も見えなかった闇の中に、一筋の光が差し込む。
それはやがて長方形に切り取られ、真っ黒な板がはがれ落ちた。
板は落下し、礼拝堂内の机を破壊して轟音を上げた。
現れたのは幻想的な光をもたらすステンドグラス。
夕日が様々な光に乱反射し、礼拝堂を照らす。
その前に立つ長い髪の人影。
「邪教を崇拝する悪の神父よ、あなたの悪事もここまでです!」
半ピンク髪の少女剣士、シルクだった。




