25 花火大会
数日後、私はジュストくんと二人で輝動馬車に揺られていた。
夕暮れ間近のフィリア大通りをがたごとと馬車がゆく。
今日は花火大会の日。
その日もうちに来ていたジュストくんを思い切って誘ってみると彼は快くオーケーしてくれた。
「花火なんて始めてだよ」
「王都にはこういうのなかったんですかっ」
私ってばさっきからずっと緊張しっぱなし。
ピャットファーレ川の花火大会は年に一度の、降誕祭のパレードと並ぶ初夏の一大イベント。
去年までは友だちと一緒に来ていたけど今年はジュストくんと二人っきり。
こ、これって、間違いなくデートだよねっ。
「余剰エネルギーの排輝行為として花火を打ち上げるなんて世界中でもフィリア市だけだよ。前から一度見てみたかったんだ」
「じゃあ今日はいっぱい楽しみましょうね!」
「そうだね、けど……」
「わっ?」
照れ隠しに大きな声を出す私の頬を彼が突っつく。
「また敬語になってるよ。ルーチェさん」
「や、やだぁ」
緊張しているのが伝わった気がして思わず頬が熱くなってしまう。
いけない、彼にとっては課題中の大事な息抜きなんだからしっかりと案内してあげなきゃ。
川沿いの停留所で降りるといつもより人手が多いのが分かる。
平屋が立ち並ぶ下町に休日のルニーナ街くらいの人が溢れていた。
「は、離れたら大変だねっ」
私はそんなことを言いながらちょっとあからさまに右手をぶらぶらさせてみた。
「そうだね。気をつけないと」
……あらあ。
ちょっと期待したけど、さすがに手を握ってはくれなかった。
ううん。焦らないあせらない。
フィリア市の花火大会はお祭りの規模としては王都のパレードに劣るけど楽しむ要素は満載。
近くの出店でフランクフルトを一本ずつ買って食べながら歩く。
私は遠慮したけどジュストくんは自分が代金を払うと譲らなかったので素直に甘えた。
「アルディさんから特等席を教えてもらったんだ。よかったらそっちに行ってみない?」
「特等席ですか?」
これだけ人がいれば落ち着いて見物するのも難しい。
去年までの私の場合は友だちと喋りながら見るのが楽しみだったけど、せっかくだしジュストくんには花火そのものを楽しんでもらいたい。
このあたりはあまり来ないから案内できるほど詳しいわけでもないし。
ここは彼に任せちゃおっかな。
「うん、そこに行こう」
そしてジュストくんを先頭に歩き始めて十数分。
「えっと……」
人ごみを掻き分けぐるぐると辺りを見回すジュストくん。
額には一筋の汗。
「ごめんね歩かせちゃって。もうすぐ着くから」
「私はかまわないよ。地元なのに案内してもらってるんだもん。で、どっちの方角なの?」
「北西水門の向こうにある住宅街の中の高台。地図があるから迷う心配もないよ」
「北西水門っていうと川の向こう側だよね?」
実はさっきからひと気のない方へと向かっているような気がしているんだけど……。
ジュストくんは立ち止まりジャケットのポケットから地図を取り出した。
正面と来た方向を交互に見渡して首を捻る。
えっと……
「だいじょうぶ、かな?」
遠慮がちに声をかけると、ジュストくんは見るからにあわてて親指を立てた。
実に大丈夫じゃなさそうだ。
「だ、大丈夫だよ!」
「ジュストくんはこの辺りに来たことがあるの?」
「いやないけど……」
「もしよかったら地図を貸してもらってもいいかな」
悪いけどこの間のことを考えると私が先に歩いたほうが……。
「大丈夫だから! 僕を信用して!」
ジュストくんは自信満々に胸を叩いた。
男の子のプライド……なのかな。
だ、大丈夫だよね。
もし間違っても反対側に戻ればいいだけだもん。
そんな考えは甘かった。
目的の場所どころか反対側、つまり川を渡る橋にすらたどり着かない。
気がつけば川の柵にぶちあたり、そのまま川沿いに行けばいいのに中途半端に引き返すもんだからまたよくわからない場所に出る。
ああ、あのピザの屋台の前を通るの四回目だ……
「あの地図を」
「大丈夫だから、ほら最初の目印が見えてきた!」
そしてようやくたどり着いたのは予想通り南東水門だった。
先頭を交代し私が前を歩いてまっすぐ真後ろへ向う。
橋を渡って第一目的の北西水門にたどり着いたのは五分後、最初に歩き始めてから一時間後だった。
三十分あれば端から端まで歩けるくらいの場所なのに……
「あの、気を落とさないでね」
「な、なにが?」
平静を装っているけど肩を落として歩いているジュストくん。
見るからに落胆していて見てて辛い。
洒落にならない方向音痴は彼自身もかなり気にしている様子。
っていうかこの人の日常生活は大丈夫なのかな……
うんまあ、役に立ててよかったかな。
それより花火が始まるまで時間もない。
もう特等席はいいや。私としては彼と一緒に歩けただけで楽しかったし。
ちょうどこの辺りは屋台も少なくごみごみしてない。
「もう始まっちゃいそうだし特等席はいいからここで見ようよ」
「ごめん……」
ジュストくんは心から申し訳なさそうに謝る。
「だ、大丈夫だから! お祭りって歩くのが楽しいんだから!」
「うん、でも――」
まだ何か言おうとしていたジュストくんの言葉を遮るように空に一筋の閃光が立ち上っていった。
慌てて顔を上げると海の方角の空に大輪の花が咲いた。
数瞬遅れてお腹に響くような低い音が響く。
「わあ……」
空に咲く大輪の花。オレンジ色の花火。
夏の始まりを告げる音と光はいつになっても心奪われる。
ずっと歩きっぱなしだった足の疲れも忘れて、私はたちは並んで空を見上げた。
続けて二発、三発と巨大な火の輪が描かれる。
昔はただの排輝行為だった花火大会も現代では職人と呼ばれる人たちの手でエンターテインメント性を帯びた一大イベントになっている。
赤や青、楕円系や二重輪など色も形も様々に見物者たちの目を楽しませてくれるのは空に描くアートと言ってもいいくらい。
今年は例年以上に気合が入っているように見える。
ジュストくんも楽しんでくれているかな?
隣を見上げた私は自分の心臓が跳ね上がる音を聞いてしまった。
子どもみたいな無邪気な顔で空を見上げる少年のような彼の横顔に思わず胸が高鳴った。
ドキドキ。
う、うん。いいんじゃない? いまならさりげなく……
私はそっと右手を動かして彼の左手に重ねた。
夢中で空を見上げていた彼の手がぴくりと動いたけれど、思い切って手を繋ぐと彼は何も言わずに握り返してくれた。
や、や、やった、やったよ。つないじゃった、て、わわわ。
ダメえ、恥ずかしくって顔を上げられないよっ。
でも……いいかも。
私はお腹に響く轟音と自分の心臓の音だけを聞いて、この幸せな時間が永遠に過ぎないことを祈った。
つないだ手から私の気持ちが伝わってもかまわないと思った。
「ルー?」
はっ。ジュストくんが呼んでる。
私は思わず手を離して彼の顔を見上げた。
「大丈夫? 体調が悪いの?」
「え、いいい、いや。そんなことはないですじょっ」
声が裏返った。
「本当? 顔赤いしせっかくの花火も見てないみたいで……」
「大丈夫ですっ。見ます、せっかくの花火大会だもんねっ!」
うーん。やっぱりダメかぁ。
ジュストくん、意外と鈍感なのかも。
まあいいや。そのうち、そのうちね。
「花火綺麗だねっ」
「うん、けどもう終わりなんだね」
花火大会って言っても何百発も上がるわけでもなし。
一時間も経たずに終わってしまう。
いまのこの時間が永遠に続くことなんてありえない。
「毎年あるから……よかったら来年もこの街に来て欲しいな」
だから少しだけ調子に乗ってもいいよね?
「必ず来るよ。その時はまた一緒に見ようね」
夜空に響く轟音以上に私の心臓は激しく脈打った。
やくそく。また一緒に。
鈍感なフリして私の気持ちをわかってくれているのかな、なんて。
私は真っ赤になった顔を隠すために空を見上げた。
また来年も。けれどいまはこの時を楽しもう。
空に描かれた今年最後の花火はこれまでの十数年間で一番綺麗だった。
私は一生この日の花火を忘れないと思った。




