248 ▽為政者たる者
「すまないね、子どもたちの勉強を見てもらってしまって」
食堂である。
ルーチェとビッツ、そしてブルートの三人が丸テーブルで向かい合っている。
隣の長机では、子どもたちや使用人の人たちが談笑しながら昼食を楽しんでいた。
「いいえ! すっごく楽しかったです!」
ルーチェは一点の曇りもない笑顔で答えた。
「さすが輝工都市育ちのお嬢さんは聡明でいらっしゃる。貴女みたいな立派な方なら、子どもたちの教育を頼んだ甲斐があった」
「まあ、さすがに初等学校の勉強くらいなら……」
「しかし、良く躾けられているな。元浮浪児とは思えん」
ビッツは横目で向こう側のテーブルを見る。
行儀良くナイフとフォークを使っている少女たち。
先ほどの兵士に対しても思ったが、驚くほどに教育が行き届いている。
「屋敷で暮らす者にはまず、道徳心と、一定のルールの下で他者と協調することの大切さを教えています。それさえ学んでくれればマナーや規律などは後からいくらでも教えられますからね」
「素晴らしい教えだと思います、地方官さま!」
「ははは、お恥ずかしい。私は人として生きるため、当然身につけるべきことを教えているに過ぎませんよ」
手放しに賞賛するルーチェの言葉を受け、ブルートは気恥ずかしそうに笑った。
「とはいえ、言うほど簡単ではないだろう。子どもだけならともかく、あの数の兵を養うには莫大な蓄えが必要なはずだ」
「そこは先行投資と割り切っていますよ。街道の安全が保障されれば人が集まるし、優秀な若者が世に出れば町はますます栄えます。そうすれば将来の税収は自ずと増えるでしょう」
「なるほど……安全と引き換えに人と物資を呼び込み、高い関税をかけることでバランスを取っているのだな」
「高税率にはしていませんよ。人が離れては本末転倒ですから」
「なんだと? ならばどんな方法で財源を潤しているのだ?」
「ビッツさん、そんな言い方は失礼だよ」
「む」
ルーチェに怒られてしまった。
今でこそ旅などしているが、ビッツはクイント国の第一王子だ。
為政者の端くれとして、ブルート地方官の手腕には興味を引かれるところがある。
確かに、少し言葉を選び間違えた感はある。
客人の立場で地方官相手にする質問でもなかっただろう。
「構いませんよ、ビッツさんの疑問は当然のことだと思います」
しかしブルート地方官は少しも意に介した様子はなく、質問に対して丁寧に答えてくれた。
「散財ばかりでは為政者として失格です。ですが、先ほども言ったように今は先行投資の時期なのですよ。トラントの町で商売がしやすいと商人たちの間で評判になれば、より多くの人が集まり、町はますます栄えるでしょう。さすれば景気も上向き、平時の税率でも十分な税収が見込めるだろうと試算を出しています」
「将来を見越して、か。幾分か希望的観測に頼り過ぎている気もするが……」
「もちろん、初期投資費用の大きさは否めません。当面の資金工面のため、ここ以外の屋敷はすべて売り払ってしまいました。おかげであと十年は試行錯誤が続けられますがね」
よく見れば、ブルート地方官の食事はパンが二枚とハムだけという、とても質素な物だった。
客人であるビッツたちにはそれなりの食事が振る舞われているにも関わらずだ
為政者たるもの、公の僕たれ。
理想ではそう言われるが、私財を擲ち、自らの生活水準を落としてまで民のために尽くすなど、聖人ならぬ身ではなかなか実践できることではない。
「自ら隊商を率いて近隣の国に視察へ行くのもよくあることなのか?」
「はい、知識は何よりも強力な武器ですからね。さすがに地方官という職責を任されている以上、長期間留守にするわけにはいきませんが、一月に一度は必ずよその国を見て回っていますよ。己が眼で知り学ぶことが何よりも重要だと思っていますので」
「熱心なことだ」
その気持ちはよくわかる。
ビッツにしても、この旅を続けている一番の理由は知識を増やすことだ。
ルーチェたちは別の目的があって新代エインシャント神国を目指しているが、ビッツはそれに便乗させてもらう形で世界を見て回っている。
ふと隣を見ると、食事を終えたルーチェがなにやらそわそわしていることに気づいた。
彼女の視線は向こうの長テーブルに向いている。
「どうした?」
「えっ、いやその」
「食事がお済みになったのなら、どうぞご自由になさってください。子どもたちもあなたを気に入っているようですから」
ああ、子どもたちに混ざりたいのか。
彼女にとっては政治談義など聞いていて退屈だろう。
「私は構わん。言ってきてやれ」
「そ、そうですか? それじゃ、ごめんなさいっ」
ルーチェは丁寧に食器を重ねて席を立つ。
「ああ、そんなことは使用人にやらせますから……」
「聞いていないな」
ブルートが声をかけるより早く、彼女は小走りで食器を持ってキッチンに走って行った。
すぐにまた戻ってきて、子どもたちのいるテーブルに着く。
ここ最近は、輝術師としての苦しい戦ってばかり続いていた。
彼女の年相応に無邪気な振る舞いが微笑ましく見える。
「良い子ですな」
「ああ。そして頼れる仲間でもある」
ビッツは食事を終え、フォークを置いた。
ライスに肉料理にサラダ、スープと、久しぶりに豪勢な料理を味わった。
特にハーブをふんだんに使った肉料理は美味かった。
旅の途中で立ち寄る村の素朴な料理や、捕らえた野生動物をルーチェとフレスが即興の味付けで作る野外料理も悪くない。
だが、やはり育ちのせいもあって、上品な味の方が口に合う。
「ところで、もう一人のお仲間は本当によかったのですか? かなり危険な仕事を任せてしまいましたが……」
もう一人の仲間とは、もちろんダイのことである。
彼は現在、この屋敷のある島へと続く洞窟の警備を引き受けていた。
と言っても単なる見張りではなく、邪教徒の放ったコソ泥がよく現れるので、その対処として実戦になる可能性がかなり高い任務である。
「心配いらん。あの男をどうにかしようと思うのなら、最低でも星帝十三輝士クラスの人間でなければまず無理だ」
ダイの扱う東国流の剣術は、大国トップクラスの輝士と比べても引けを取らない。
しかも、いざとなれば輝攻化武具で輝攻戦士化することもできる。
そこらの雇われチンピラがどうにかできるような男ではない。
「それより、この時代に堕天派など本当に存在するのか? ずっと前に絶えたとばかり思っていたが」
「残念ながら。彼らは一定の信徒を集め、傭兵を騙して雇い入れては、西の洞窟に安置されている『清火のリング』を奪おうとしています」
「それは聖具なのか?」
「ただの銀の腕輪ですよ。数百年前、この地を治めていた王族が疫病を沈めるために供えた物と言われています。由緒正しい謂れはありますが、宝物としての価値があるほどとは思えませんね」
「そなたはあまり信仰心がないようだな」」
「ええ、祈りを捧げるなんて無駄なことですから。神などに祈らずとも人は正しく生きていけます。そんな時間と労力があるなら、その分だけ働いた方がずっと社会のためになりますよ。ましてや、人間がエヴィルの始祖を崇拝するなんて……」
後半は独り言のように呟きながら、ブルートは眉間にしわを寄せた。
彼が不快さを顔に現すのは知る限りで初めてのことである。
「……まあ、そんなものでも心の支えにしている市民がいる限り、無理に排除することはできないのですけどね」
彼はすぐに表情を取り繕い、いつもの笑顔に戻る。
「食事も済みましたし、よければ書斎へ行きませんか? 先ほど仰っていた火槍の原理もお聞きしたい」
「うむ」
ルーチェが子どもたちの勉強を見て、ダイが洞窟の見張りを行うのと同様、ビッツはこれまでの旅で見聞きした事柄を事細かに伝えることで彼の恩に報いることにした。
特に二丁の火槍は彼の興味を強く引いたようである。
製法を調べて複製、場合によっては量産化も検討したいらしい。
ジュストとフレスが見つかるまで、しばらくこの館に厄介になる。
情報を提供する代わりに豪邸に泊まれると考えれば安いものである。




