234 ▽ケイオスの定義
ラインは山中を歩いていた。
山、というよりは岩場に近い。
背の高い木々は存在せず、周囲は苔むした岩石ばかり。
時々、岩陰から小動物が顔をのぞかせているのが見える。
ツェッテル王都から徒歩で半日の場所にある、クノップ山である。
酒場で男に情報を聞いてから、すでに丸二日以上が過ぎていた。
乗合馬車を使って国境を越えるのに一日。
途中でエヴィルの集団に襲われるもなんとか撃退し、体力回復のためツェッテル王都で休息して一日。
朝早くに王城へと向かい、シュタール輝士の名で国王に謁見。
今回の件について星輝士の名で釘を刺してから、クノップ山へと向かう。
戦闘が控えているので、体力温存のために飛んで行くことはできない。
ドラゴンがいると思われる山の頂上付近に差し掛かった頃には、既に日が傾き始めていた。
「なんていうかさ、本当にバカだよね。おまえって」
段差の激しい岩道を無言で歩いていたラインの口から、少女の声が漏れる。
「……なにがですか」
相手にしたくなかったが、カーディナルの機嫌を損ねたら寝ている間に何をされるかわからない。
ラインは多少の不機嫌さ隠しつつ、彼女の話に付き合った。
「お人好しになんでも安請け合いし。なんでもって訳じゃないですよ。結局は勝ち目のない敵と戦って命を捨て。勝てないと決まったわけでも。こら、ひとが喋ってる間は黙ってろ」
ラインの口から光が漏れる。
それは球体の形になったかと思うと、背中側に周り、幼い少女の姿へと変化した。
具現化したカーディナルがラインの背中にしがみつく。
「よっと、これでまともに会話できるね」
「自分で歩いてくださいよ」
「なに言ってるんだ、ロリコンのおまえにはこの方が嬉しいだろ?」
「ロリコンじゃありません!」
くすくすと笑うカーディナル。
ラインはため息を吐いた。
「話を戻しますけど、別に命を捨てるつもりで依頼を受けたわけじゃないですよ」
「そうだね。ドラゴンなんて、よく訓練された五十人規模の輝士団か、輝攻戦士が三人もいれば楽勝だ」
これでも、ラインは星輝士の末席に数えられる天才輝士である。
輝攻戦士としての実力も並以上はあるが、厳しい相手であることは理解している。
星輝士と言えども、ドラゴン相手に余裕を持って挑めるのなんて四番星以上だけだろう。
「しかも、今度の寄り道で完全にピンクたちを見失ったね」
「終わったら急いで追いかけますよ」
「次に見つけたとき全滅してたらどうする?」
「……ルーチェさんたちを信じましょう」
あちらを立てればこちらが立たず。
悔しいが、任務放棄という指摘に反論はできない。
ならばなおのこと、さっさとドラゴンを退治して再び元のルートに戻らなければ。
しかし、先ほどからずっと探しているのだが、いくら歩いてもドラゴンの影も形も見当たらない。
「本当にいるんですかね……」
「ドラゴン種が特定の場所を住処にするのは本当だよ、この近辺で目撃されてるなら、近くに住んでいるのは間違いないだろうね」
「巣を作って長期的に留まるなんて、エヴィルとしては珍しいですよね」
他のエヴィルには見られない特殊な習性であると言える。
魔動乱が終わり、異界とこの世を結ぶウォスゲートは閉じた。
その後、人間世界ミドワルトに残った残存エヴィルは、八大霊場と呼ばれる場所に自然と集まっていった。
八大霊場は自然の湧出輝力が多く、エヴィルにとって暮らしやすい環境らしい。
しかしドラゴンはそういった理由もなく自分で済む場所を決めて一箇所に居座るのである。
「巣なんていう上等なものじゃないよ。特定の場所を拠点にするだけ。迷宮を作って奥深くに居座る、ヒトの言うところのケイオスとも違う」
ケイオスとは上位エヴィルのことである。
明確な意志を持ち、高度な知性を有している。
とはいえ、その思考傾向は人間とは異なっており、恐ろしさはドラゴン以上である。
現在進行形でそのケイオスに体の半分を乗っ取られているラインにとっては、聞くだけで気の滅入る単語だが、カーディナルの言葉には少し気になることがあった。
「そういえば、どうしていつも変な前置きをするんですか?」
「あん?」
「ケイオスを呼ぶとき、必ず『ヒトの言うところの』ってつけますよね」
よく注意して聞いていないと聞き逃す程度の違和感である。
ラインはその言い方をずっと不思議に思っていた。
まるで、本来は別の名称があるような言い方だ。
「簡単な話だよ。『ヒトが言うケイオス』と『本来のケイオス』は、微妙に異なるものを指しているからさ」
「どういうことですか?」
過去にケイオスが、人間と対話の席に着いたという話はない。
人間側は何度か接触を試みたことがあるが、そのすべてが一蹴されている。
ケイオスも中位以下のエヴィルと同様、人間を殺害対象としてしか認識していない。
知性があるとは言え、会話が成り立つような相手ではないのだ。
それを踏まえて考えれば、カーディナルとラインの関係はかなり特別だと言えた。
成り行きとは言え、ケイオスとまともに会話が成立している時点で、奇跡のようなものである。
ケイオス自身から詳しい話を聞ける。
これは、歴史的な偉業と言ってもいい。
ラインは息を飲んで彼女の話に耳を傾けた。
「ヒトの定義では『異界から来て、高い知性を持ち、ヒトではあり得ない輝力を持ち、死ぬとエヴィルストーンになるヒト型の存在』をケイオスと呼んでるよね」
「そうですね、ほぼ間違いないと思います」
厳密な定義が定められているわけではないが、彼女の言う通りでほぼ合っていると思う。
「この定義だと、わたしはケイオスから外れる。だって、わたしはこの世界出身だし」
「言われてみればそうですね。でも、あなたは魔動乱期に人類と敵対したから……」
「そう、だから割と曖昧なんだよ。死んだことがないから、エヴィルストーンになるかもわからないしね」
「それに何か問題があるんですか?」
「もしかしたら、ピンクもケイオスかもしれないよ」
「ルーチェさんは人間ですよ!」
天然輝術師という存在は伝説の中でしか語られないほどに珍しい。
だが、彼女をケイオスと呼ぶのはどう考えても違和感がある。
「証明できる? わたしとピンクの違いは何? あいつがもっと多くの輝術を覚えれば、わたしのように肉体を再生したり、ヒトの体を乗っ取ることもできるようになるかもしれない。もしかしたら死んでエヴィルストーンになるかもしれないし、それは死んでみないとわからない」
言われてみれば不思議なことだ。
カーディナルのやっていることは、輝術を極めた輝術師なら可能なことばかりである。
いわゆる邪法と呼ばれる類いではあるが、他者から輝力を吸い取ったり、他人の体に自分の意識を移すことも一応は可能ではある。
ラインは多くのケイオスを見たわけではない。
だがカーディナルは少なくとも外見上は人間にしか見えない。
いや、だとすると……
「もしかして、カーディナルさんって実は人間なんですか?」
「なんでそうなる」
思い切った質問だったが、カーディナルはあっさりと否定した。
「わたしは人間じゃないよ。そもそも体のつくりがまるで違うし、ウォスゲートの影響も他のエヴィルと同様に受ける。でも、厳密にはケイオスとも違う。大型妖精とか、高等亜人とか、その辺も定義に当てはまるけどケイオスじゃない。ヒトは一緒くたにケイオスって呼んでるけどね」
大妖精や高等亜人の名前は聞いたことがあるが、どちらも伝説の中の存在である。
フェリキタスに関して言えば、つい先日この目で見たばかりだが……
魔動乱期にこれらと人類が敵対したという歴史は存在しない。
「それじゃ、あなたは一体何者なんですか?」
「だから『人が言うところのケイオス』だよ。他に名称はない。『本物のケイオス』とは違うけどね」
「なら、本物のケイオスの定義とはなんでしょう?」
「異世界からやって来た先兵さ」
魔動乱の末期、争いを終結させた五人の英雄。
彼らはエヴィルの世界に乗り込んで。エヴィルの王を討ったと言われている。
ウォスゲートは異世界と人間世界を繋ぐトンネルだ。
そこから現れたのは無数のエヴィルたち。
それらを率いる意志持つ軍団長。
それが真の意味でのケイオス。
「って言っても、ヒトから見れば一緒だけどね。ウォスゲートが開いてかわきを感じたら、ヒトと敵対せざるを得ないんだから」
ならば、とラインは考える。
「異世界から来たケイオスも、かわきさえ癒やせれば争わなくて済むんでしょうか?」
カーディナルと同じように、彼らに対しても交渉という解決策を模索できないだろうか。
例えば輝鋼石から湧き出る輝力の一部を譲渡するとか……
しかし、カーディナルはそんな甘い考えを一蹴する。
「無理だね。それがわたしたちと本物のケイオスの一番の違いだ。やつらは王に臣従し、確固たる意志を持ってヒトを滅ぼそうとしている。やつらが対話をしないのは、ヒトを駆逐すべき害虫程度にしか思っていないからさ」
知性を持つ者同士が会話にならない理由。
それは圧倒的かつ、自然な差別意識のため。
言葉が通じるのにわかりあえないなんて、悲しいことだとラインは思った。
「だから、おまえたちはヒトで、わたしたちはエヴィルなんだよ」
短い会話の中で確認できたことは決して少なくなかった。
が、その結果はエヴィルという存在の不気味さを再確認できただけだった。
救いがあるとすれば、自分に取り付いているカーディナルが――
かつての魔動乱期に最強のケイオスと呼ばれた少女が、話の通じない魔物とは少し違うとわかったことくらいだろうか。
「なら絶対に二度と、ウォスゲートを開かせてはいけませんね」
「そのために急いでるのに、寄り道ばっかりしてるのはおまえなんだけどね」
辛辣な突っ込みにラインは黙ってしまう。
自覚をしていないわけではないのだ。
ただどうしても、大事の前の小事だと、目の前で困っている人を切り捨てることができないのである。
すでに太陽の色は夕方のオレンジ色に染まりかけている。
ふと、その光が何かの影に遮られた。
ラインは頭上を見上げ、そこに探していたエヴィルを見つけた。
「ほら、おでましだよ。早いところ片付けて新代エインシャント神国へ向かおう」
緑色の巨大な翼を広げるエヴィルの最強種。
ドラゴンが彼らの上空を旋回していた。




