222 ◆俺の名はケイン、冒険者だ
手の中にある冷たく重い感触を確かめる。
何度も共に死線を潜り抜けてきた、愛剣の感触を。
「輝強化!」
レイナの輝術補助だ。
淡い光が俺の全身を包む。
体の奥から力が漲ってくる。
全身の膂力を振り絞り、俺は剣を振った。
ブーストを加えた一撃が、巨大な体躯を誇る獣人型エヴィルの胴を薙いだ。
エヴィルは獣の咆哮を上げた。
魂を揺さぶるような大音量の叫びである。
それを聞いていると、本能的な恐怖が呼び起こされるようだ。
怒りに燃えた獣人が腕を振り下ろす。
それより先に、横からアッシュが飛び込んで来た。
戦友の双刃が閃く。
両手にそれぞれ握った短剣の一撃は軽いが、手数で攻めるのが彼のスタイルだ。
俺とアッシュは交互に斬撃を繰り出した。
連携は完璧、エヴィルはなすすべもなく翻弄される。
だが、脅威的な生命力を持つ獣人の息の根を止めるには至らない。
「今よ、離れて!」
背後から聞こえたのはレイナの声だ。
それを合図に俺とアッシュは左右に飛びのいた。
長い輝言を唱え終えたエクレイアが、光り輝く右手を振り下ろすのが見えた。
「――爆炎弾!」
オレンジ色の光球が放物線を描いて飛んでいく。
それはエヴィルの頭部に着弾すると、大爆発を起こした。
前衛の俺とアッシュで詠唱時間を稼ぎ、エクレイアの輝術で決着をつける。
いつもの戦術が成功した瞬間だった。
「やったあ!」
回復役兼補助役のレイナが無邪気な喜びの声を上げる。
トドメを決めてくれたエクレイアもほっと胸をなで下ろしていた。
アッシュは双刃を腰の鞘にしまい、クールな彼らしくやれやれと肩をすくめていた。
その時、俺は見た。
頭部を半分以上失いながらも、獣人がまだ生きていたのを。
「アッシュ、逃げろォ!」
獣人の正面にはアッシュがいた。
俺の叫びに反応し、彼は振り返って驚愕の表情を浮かべる。
その体を、獣人の巨大な腕がガッシリと掴んだ。
骨が軋む音が響き、アッシュは苦痛の声を上げる。
俺は無我夢中で走った。
親友の危機を救うため、腰だめに剣を構えながら。
「うおおおおおおっ!」
獣人の手がアッシュの体を握り潰す、その寸前。
体ごとぶつかった俺の長剣が、エヴィルの鳩尾に深々と突き刺さり――
※
ドガッ。
したたかに全身を打ちつける。
その強い衝撃に俺は目を覚ました。
どうやら寝ぼけてベッドから落っこちてしまったようだ。
痛む腰をさすりながら起き上がる。
カーテン越しに差し込む陽光に思わず目を細めた。
……夢、か。
いい夢だった。
常に死と隣り合わせだったが、何もかもが輝いていたあの頃。
十年前の魔動乱で共に肩を並べた戦友たちは、もう俺の隣にはいない。
※
俺の名はケイン。
職業は冒険者だ。
「ほらヒルシュさん、はやく飲まないとスープが冷めちまうよ」
行きつけの酒場の女将が、俺を仮の名で呼んで食事を急かす。
「捨てた名で呼ぶのはやめてくれ。何度も言うが俺の名はケインだ」
「何がケインだよ。いい年して冒険者ごっこに現を抜かしてる暇あったら、いい加減に腰を据えて働いたらどうだい」
まったく、夢がない人だ。
たしかに魔動乱は十五年前に集結した。
冒険者という職業は平和が訪れると同時に姿を消した。
名を為した冒険者の中には戦後に王宮に召抱えられた者もいた。
しかしほとんどは武器を捨て、輝術を忘れ、市井の生活に戻っていった。
それは平和な時代では当然のことなのだろう。
だが、冒険者が必要でなくなったわけではない。
現にこの数か月、残存エヴィルは妖しい動きを見せているではないか。
あの熱狂の時代がまた始まる兆候だ。
こんな時こそ俺たち熟練の戦士が、先陣を切って地域の見回りを行うべきなのだ!
「んなもん、王国の輝士に任せておけばいいじゃないのさ。昔と違って、この辺りもちゃんと大国の庇護下に入ってるんだから」
「甘いな。いくら大国の庇護を受けていようと、真っ先にエヴィルの被害を受けるのは我々小国の民だ。それに、大国の影響が過剰に大きくなるのは危険である。祖国は輝士団の規模が小さく、傭兵を雇うにも金が掛かる。ならばこそ、我々冒険者が国のために無償で立ち上がるべきではないか?」
「あたしに言わせりゃ、土地の安全さえ保証してくれりゃお上が誰だって構わないんだけどね」
まあ、一介の村人に祖国愛を説いても意味はないだろう。
「というか、大国が冒険者をサポートしてたおかげで、魔動乱期のあんたらは好き勝手できたんじゃないか。今さら大国の方針に逆らおうなんて、気が触れてるとしか思えないよ」
「それが男のロマンってやつなのさ」
「結局、最後はそれかい。いい加減にチュニー病は卒業してくれよ本当に」
神話の時代に描かれた狂気の病まで持ち出して批判されては語る言葉もない。
俺はこれ以上の議論は無駄だと悟り、生ぬるくなったスープを喉に流し込んだ。
「そういえば昨夜、珍しく外から客が来たんだよ」
俺が黙って食事をとっていると、女将は唐突に話題を切り替えた。
「ほう、こんな貧乏宿に俺以外の客とは珍しいな」
「大きなお世話だい。旅の若い男女なんだけど、余計なこと吹き込むんじゃないよ」
「そうと聞いては放っておけないな。年長者として、若者に冒険の心得を教授しなくては」
「あんたは人の話を……あ、噂をすれば」
女将の視線の先には二人の若者がいた。
なにやら言い争いをしながら食堂に入ってくる。
「本っ当、信じられない! こんど覗いたら本気で怒るからね!」
「うるせえなあ。オマエがいつまでもモタモタ着替えてるから悪いんじゃねーか」
「服を乾かしてあげたのは誰だと思ってるんだっ」
それは実に奇妙な二人組だった。
男の方はどうやら剣士らしい。
旅人にしては軽装なのが気になるが、室内でも剣を腰に差している辺り、危機管理意識は高そうだ。
奇妙なのはその髪の色。
まるで夜闇のように真っ黒である。
女の方は、輝術師だろうか。
黒を基調に赤や金で彩られ、胸元に青い宝石をあしらった、やや大きめの術師服を纏っている。
服装の立派さとアンバランスに素肌の露出が多く、術師なら当然しているような長手袋やタイツなどはつけていないし、杖も持っていない。
男ほどではないが、こちらも珍しい桃色の髪である。
「ああ、せめてジュストくんかフレスさんの傍にいるんだった。よりによってダイなんかと二人っきりになるなんて……」
「そりゃこっちのセリフだ。何が悲しくてルー子のお守なんか……」
「泳げなかったお前を助けてあげたのは誰でしたっけ? っと、宿の人にお礼を言うから、ちゃんとダイも頭を下げなよ」
にぎやかな二人が俺と女将のいるカウンターに近づいてきた。
食器の水気を拭き取りながら女将が彼らに話しかける。
「おはよう。昨日はよく眠れたかい?」
「おはようございます。昨日はどうもありがとうございました……ほら、ダイも」
「ああ、助かったぜ」
「そんなお礼の仕方があるかっ」
「いいんだよ。それより腹も空いてるだろう、いま朝食を用意するからね」
「えっ、そんな悪いです。タダで泊めてもらえただけで助かってるのに」
俺は少女の言葉に違和感を覚えた。
この商売人気質の塊が、無償で人助けなどするだろうか?
否、断じてあり得ない。
厨房に引っ込んでいく女将。
その横顔が、やけにニヤついていたいたのを俺は見た。
あれは確実に不当な儲けを得てほくそ笑んでいる顔だ。
「いい人でよかったね!」
「本当にな。あんな石ころ一つでメシまで食わしてくれるなんて」
カウンターの隣に並んで腰かける男女二人。
俺は失礼にならない程度に彼らを観察をする。
恋人か、あるいは若夫婦だろうか。
男の質素な服装に比べて、女の来ている術師服はかなり良質である。
しかし、男の持つ剣は装飾こそ簡素だが、かなりの業物であるのが一目でわかる。
「ほら、お待ちどうさま」
女将が朝食を運んで戻ってきた。
ベーコンを乗せたパンと、むき身のゆで卵という簡素な食事である。
「わーい、ありがとうございます!」
「はしゃぐなよ、みっともねーな」
「ダイだって、さっきからグーグーお腹鳴ってるくせに」
俺はそのタイミングで二人に話しかけることにした。
「君たちは冒険者なのかい?」
「えっ、あっ、はい! 冒険者っていうか、いちおう旅をしてます」
急に話しかけられて驚いたのだろうか。
その反応を見るに、少女はあまり冒険慣れしていないように思える。
「どこへ向っているんだい?」
「新代エインシャント神国です」
「なんと、たった二人で!?」
新代エインシャント神国と言えば、このミドワルドの北西の果てである。
この大陸を横断してさらに海を渡った向こうの小大陸にある。
仮に平時だとしても駆け出しの冒険者が目指すにはかなりハードルが高いと言えた。
「あ、いえ。他にも仲間はいるんですけど、乗っていた船が沈んじゃって、私とこいつだけが近くの岸に流されたんです。今は到着予定だったトラントっていう町を探しているんですけど」
「なるほど、そういう訳か……」
おそらくだが、この二人はきっと良い家柄の子なのだろう。
たしなみ程度の剣や輝術なら使えるかもしれない。
だが、このご時世に旅慣れていない若者二人での冒険はあまりにハードだ。
「もしよければ」
「ちょっと、私の分の卵まで勝手に食べるなっ!」
「オマエが喋ってるから悪いんだろ」
ごほん、と俺は一つ咳払いをする。
食事中に話しかけるのは無粋だったか。
若夫婦が朝食を食べ終えるのをしばし待つ。
女将が紅茶をカップに注いで持ってきた時を見計らって、再度会話を試みる。
「もしよければ、俺がトラントまで同行しようか」
「え?」
紅茶に砂糖をどばどばと入れながら少女がこちらを振り向く。
「仲間とはぐれて戦力も心許ないだろう。トラントに行くためには西の森を越えなければならないが、入り組んでいて道にも迷いやすい。よければ、護衛として一緒に付き添おうかと考えたのだが」
「そんな、悪いです。いま会ったばかりなのに」
「遠慮することはない、駆け出しの冒険者のサポートは熟練者の務めだからね」
「うーん。どうしよっか、ダイ。お言葉に甘えちゃう?」
「別にどっちでもいいぜ。護衛は必要ないけど、道に迷うのは面倒だからな」
少年の方は腕に自信があるのだろう。
だが、こういう若者の過信は実に危険だ。
「えっと……それじゃ、お願いしちゃってもいいですか?」
遠慮がちに返答する少女。
俺はもちろん快諾した。
「そうと決まったらさっさと出発しようぜ。おばちゃん、ごちそうさん」
「ごちそうさまでした!」
「おっと待ちな。出かける前に弁当を作ってやるよ」
「わーい。何から何までありがとうございます」
若夫婦が部屋へ荷物を取りに食堂から出て行った。
その隙に俺はカウンター越しに女将に話しかける。
「で、何をもらったんだ?」
「いやあ、本当にいい子たちだよね。しっかり守ってやるんだよ」
ニヤニヤとしながら彼女が懐のポケットから宝石を取り出した。
それはなんと、黄色のエヴィルストーンであった。
エヴィルの中でもかなり手ごわい敵を倒した時に出てくる石だ。
その価値は町から職人を呼んで、この建物を新築で立て直してもお釣りが出るほどだ。
駆けだしの冒険者が易々と手に入れられるものではない。
どこで手に入れたのかは知らないが、一泊の礼がこれではどう考えても大損である。
彼らは物の価値をよく知らないようだ。
旅をする上では致命的である。
これは是非とも、冒険者の心得を諭してやらなくては。




