159 ▽牢獄
腕に当たる冷たく硬い感触にダイは目を覚ました。
目の前にあるのは薄暗い小部屋と鉄格子。
どうやら牢屋にぶち込まれてしまったらしい。
体を動かそうと身をよじるが上手くいかない。
どうやら両手首を鎖で繋がれているらしい。
両足は地面に付いているが同じく鎖の付いた輪っかが足首に嵌められている。
完全に四肢を壁に固定されていた。
「ちっ、しくじっちまったぜ」
独り言の呟きだったが、その声に応える者がいた。
「よう新入り。一体何のつもりでこの館に忍び込んだんだ?」
暗くて気づかなかったが、よく見ると隣に人がいた。
ダイと同じように四肢を拘束され壁に繋がれた男。
ボサボサに伸びた長い髪と髭にやつれた体。
「アンタ、いつからここにいるんだ?」
ダイは相手の問いかけに答えずに質問を返した。
男は苦笑いの後、素直に返事をする。
「かれこれ一年ほどになるかな」
「一年以上も繋がれっぱなしかよ。それで正気を保ってるアンタもたいしたもんだけど、あのババアもそうとう狂ってるな」
「なあに、四六時中このままってわけじゃない。普段はそこのベッドで寝ているし、最低限の食事は用意される。君が放り込まれた時に脱出を試みたせいで今はこうなってるだけさ」
男が部屋の隅を指すように顎をしゃくる。
粗末だが確かにベッドらしきものがあった。
その上に誰か寝ている。
桃色の髪の少女だ。
「ルー子じゃねーか」
眠りの杖の効果がまだ聞いているのか目を閉じてスヤスヤと眠っている。
ダイたちのように壁に繋がれてはいないが麻縄で後ろ手を縛られ、口元はテープと布でぎっちりと塞がれていた。
「彼女も君と一緒に連れて来られたんだ。そのうち別の部屋に移されるだろうが、女性が牢に入れられるのを見るのは初めてのことだ」
「そっか、無事だったのか」
安堵のため息を漏らすダイ。
それを聞いた男が微笑ましそうにフッと笑う。
彼女のことを心配していた自分に気づきダイは途端に恥ずかしくなった。
照れを誤魔化すため男から情報を聞き出すべく会話をする。
「アンタ、名前は?」
「レギリオだ」
「オレは霧崎大五郎。呼びにくかったらダイでいい」
「東国の人間なのか? 暗くて気づかなかったが、鴉のように見事な黒髪だな」
「オマエらの呼び方で言えばそうだ。ここに来た理由は人捜しだ。アンタ、この館にオレと同じような黒髪の女がいるって話は聞いたことないか?」
「いや。館の情報なら見張りの兵士を通して多少は入ってくるが、そんな話は聞いたことがないな」
「そうか……まあ、あの人があんな耄碌ババアに手を貸すわけもないか」
やはりこの館にダイの探し人は寄っていない。
何度目になるかもわからない無駄足と落胆。
ダメ元だとは思っていたが気力が萎える。
「アンタはなんでこんな所に閉じ込められてるんだ? さっきの言い方だと他にも牢屋に入れられたやつがいるみてーだけど、そいつらはどこにいるんだ?」
「後の質問から先に答えよう。俺の後に入って来た人間はみな出て行った。もちろん脱獄したわけではない。自害した後に死体として処理場に運ばれたのだ」
「……ずいぶんと気が滅入る話だな」
「あの侯爵は人の心の折り方をよく心得ている。夜通し続く精神的な拷問も、一日二度の肉体的拷問も実に効果的に行われる。正義感に燃えていた青年も、家族に会いたいと願っていた男も、みな例外なく同じ結末を迎えた。人間が落ちていく過程を見るのはあの侯爵にとって楽しみの一つらしい」
「ほとほと性根の腐ったババアだな」
捕らえた男をあっさりと処刑するのではなく、精神が参っていく過程を見て楽しんでいるのだ。
大言壮語を吐く貴族気取りで時代遅れの拷問を行っている老婆。
時代錯誤も甚だしい実に胸糞悪い話である。
やはり、あのババアは一発殴ってやらなきゃ気が済まない。
「よくアンタはこれまで耐えたな」
「俺は神隷輝士だ。自死という選択は選べない」
レギリオの言葉の意味はよくわからなかったが、簡単に死ぬ気はないということだろう。
「君も簡単に諦めるような人間ではなさそうに見えるが、あの侯爵の下では難しいと思う。まあ、できれば長く話し相手になって欲しい」
「悪いけど、そりゃできない相談だ」
もうダイの頭の中には侯爵の横っ面を張り飛ばすことしかない。
奪われたゼファーソードも気になるし、いつまでもこんな場所にいるわけにはいかない。
「おいルー子、起きろ」
「んー」
寝ぼけているのか、ベッドの中でくねくねと身をよじるルーチェ。
「ルー子!」
「んあ……んぶっ!?」
やがて端まで来ると、そのままベッドから落ちた。
硬い床に顔から激突しルーチェはようやく目を覚ました。
「んんっ! んん、んんんんん?」
何か言おうとしているが口を塞がれているため声にはならない。
混乱しているらしく芋虫のように床を這いまわり、やがて自分が拘束されていることに気づいて涙目になる。
「状況は見ての通りだ。あのババアに閉じ込められた。ぶっとばしに行くからさっさと脱出するぞ」
「無駄だ。侯爵は脱出に使える道具を決して見逃さないし、部屋に入ってくる時は必ず二人以上の護衛を連れてくる。失敗した後に待っているのは死んだ方がマシと思うほどの肉体的拷問だ」
「いいから見てろよ」
ダイが言うと、ルーチェを後ろ手に縛った縄が燃え上がった。
「んーっ! んんんーっ!」
どうやら火傷をしたらしく、ルーチェは両手首を押さえながらピョンピョンはね回っている。
そのうちに彼女は落ち着きを取り戻し口元の布とテープを力任せにはがした。
両目に涙を浮かべながらそれを地面に叩きつける。
「痛ったいなもう! 熱いし最悪!」
「輝術だと? バカな、言葉を封じられた状態でどうやって……」
侯爵たちは勘違いしていたが、ルーチェが使う輝術は単詠唱ではない。
輝術理論を深く学ぶと術を使用するための輝言を短縮できることに気づく。
特に戦闘中は致命的となる輝術使用にかかる時間を短くするための技術があるのだ。
術式を組み替え平常より輝言を短くしたものを『短詠唱』
さらに短く術名だけを発現の引き金としたものを『単詠唱』と言う。
ただしどんなに輝術理論に精通していても輝鋼石から力を借りるためには発声が必要である。
どんな優秀な輝術師であっても声を出すのを封じられたら途端に無力になってしまう。
だから侯爵がルーチェに対して行った口をふさぐという対処は間違いではない。
対して天然輝術師であるルーチェの輝術は『無詠唱』である。
自分自身の輝力を変換させているため輝言を唱えることを必要としない。
普段はイメージの補完として術名を叫んでいるが、実際は頭に思い描くだけで発動ができる。
「大変なところ悪いが、コイツも外してくんねーか」
「ねえねえ、顔が痛いのはさっきベッドから落ちたからってわかるんだけど、頭にコブができてるのは何でか知らない?」
戦闘前に邪魔だったので放り投げた時にできたものだろう。
ダイは当然しらばっくれた。
「さぁな。それより早くしてくれ、いい加減この体勢も疲れてきた」
「……えっと、引っ張ればいいの?」
ルーチェはダイの服を掴んで強引に引っ張る。
四肢に鉄の輪っかが食い込んで痛い。
「おい、ふざけんな!」
「冗談だよ。外すのは難しそうだから鎖を切っちゃうね」
彼女は右手を壁と繋いでいる鎖に手を添えた。
そして輝術を使用する。
「閃熱掌」
掌から超高熱の閃光が放たれ、ほとんど抵抗もなく鎖を焼き切る。
閃熱は空気中で減衰するため射程は短いが威力は異様に高い。
この程度の鎖を焼き切るのは造作もないことだ。
ルーチェは同じように左手、右足の鎖を焼き切った。
「疲れた。ちょっと休憩」
「おいっ」
半端な状態で放置された格好になったダイは文句を言う。
ルーチェは彼の手の届く範囲から逃れて座り込んでしまった。
「だって閃熱ってすごい集中力使うから疲れるんだよ。助けてあげるんだから文句言わないで待っててよ」
「怠けんな! 最後までやってから休め!」
ルーチェはムッとした表情で唇を尖らせ、それからなぜかニヤリと唇の端をつり上げた。
「じゃあ、ルーチェお姉ちゃん助けてーっ、って言ったら助けてあげる」
「は?」
「嫌ならしばらくそのままで」
「おいふざけんな、早く外せっ」
とんでもない交換条件を出されてうろたえるダイ。
撤回させようとするが片足を繋がれたままでは掴みかかることもできない。
手の届かない場所でルーチェはにやにやとダイの方を見ていた。
「ほら、早く私にお願いして」
「絶っ対に嫌だ」
明らかに相手が有利なにらみ合いが続く。
この体勢はキツいが絶対に負けたくなかった。
「……はぁ、仕方ないなぁ」
ようやく折れたルーチェは溜息をつきながらダイに近づく。
残った鎖に手を触れ、最後の拘束を解いてくれると思いきや……
「と見せかけて、いい子いい子! ダイはかわいいねー」
「この野郎っ!」
頭をなでられた。
捕まえる前にまた逃げられる。
「満足した。でも本当に疲れるんだから、もうちょっと待っててよ」
「くっ……」
仕方なく片足を繋がれたまま待つこと一分弱。
ようやく腰を上げたルーチェが恐る恐るダイに近づいてくる。
「それじゃ最後のも外すけど、怒らないでよ? 助けてあげるんだからね?」
「怒らねーよ。だから早く外せ」
残った鎖が焼き切られる。
ようやく自由を取り戻すとダイはルーチェの頭に軽くげんこつを落とした。
「怒らないって言ったのに!」
「ああ悪かったすごく感謝してるぜありがとう」
「もっと心をこめて言えっ」
一通りくだらない口げんかを交わしお互いにはぁはぁと息を切らせる。
ルーチェはそこで初めて隣の壁に繋がれた男の存在に気づいたようだ。
「えっと、この人は?」
「あのババアに捕まったらしい。ついでだから解放してやれよ」
「そうだね」
ルーチェはダイにやったのと同じように間に休みを挟みながらもレギリオを繋いでいた鎖をすべて焼き切った。
「はい、これで自由ですよ」
「ありがとう。なんと礼を言っていいか」
「そういうのは後にしようぜ。まずはここから出るのが先だ」
ダイは体をひねってあちこちをポキポキ鳴らしながら牢屋の扉を指差した。
「あそこの鍵も同じように破れるか?」
「できると思うよ。時間は掛かりそうだけど」
「頑張ってくれ。脱出したらまずは武器を探さねーとな。アンタ、それっぽいところはわかるか?」
ダイが尋ねると体の具合を確かめていたレギリオは答える。
「いいや見当もつかないな。なにせこの一年間一度も牢から出たことがないからね」
「わかった。ババアの杖にさえ注意すれば問題ねーし、怪しいところは片っ端から探そうぜ」
「そうやって結局は私に全部頼る気なんだ」
「武器が見つかるまでの辛抱だ。頼りにしてるぜ、ルー子」
「ふん」
ルーチェはそっぽを向いたが、期待を受けたその横顔は少し嬉しそうだった。




