145 ▽戦闘を終えて
「おつかれさま! やったね!」
馬車に戻る前衛三人をルーチェは満面の笑みで出迎えた。
先ほどビッツの危機を救った炎の蝶を撃ったのは彼女である。
「緊張しましたけど、なんとかやれるっもんですね」
ルーチェの隣で胸をなでおろして安堵している少女の名はフレス。
戦闘が始まってからもしばらく馬車の中に残っていたが、遠距離から氷の矢でキュオンの動きを止めたのは彼女の輝術だった。
力を得た経緯に違いはあれど彼女もまたルーチェと同じく高位の術を使える輝術師なのである。
「フレスさんもすごかったよ。あんな風に敵を足止めするなんて」
「実は隣の敵を狙ったんですけど……仲間に当たらなくて本当に良かったです」
さらりと恐ろしいことを言うフレス。
ルーチェは苦笑いで誤魔化した。
「ま、まあ、上手く行ったんだから、だいじょうぶ!」
戦闘を終えたばかりでテンションが高いルーチェ。
ダイが覚めた表情で彼女に文句を言った。
「あのくらいの敵に勝った程度で騒ぐなよ。これからも次々とエヴィルと戦うことになるんだぜ」
「いいじゃない大勝利だったんだし、少しくらい喜んだって」
互いに文句を言いつつ争うがこれもいつものことである。
そんな二人を横目にジュストは抜き身の剣を眺めていた。
「どうした?」
「あ、アンビッツ王子。実はさっきの戦いで刃が削れてしまいまして」
ジュストの言う通り彼の剣には刃こぼれが見える。
良く見れば刀身もわずかに湾曲していた。
「明らかに寿命だな。新しい剣を買った方がいい」
「そうですね、長いこと使っていますし」
「輝攻戦士として戦うのなら輝鋼精錬された武器ではないと厳しいだろう。幸いにも国境を抜けてすぐに町がある。そこで新しい武器を購入すると良い」
「わかりました。ありがとうございます」
礼儀正しく頭を下げるジュストの態度にビッツはため息を吐いた。
ジュストはクイント王国出身の民でありビッツはその国の王子。
だから彼からすれば恭しく接するのも当然なのかもしれない。
だが。
「そのような畏まった態度はやめて欲しい。私はそなたらの旅の仲間なのだぞ」
かつて一度は彼らと敵対した自分がこうして共に旅をしている。
彼らには感謝こそすれ偉そうに振る舞うつもりは毛頭ない。
「ですが……いいえ、わかりました。けれど年長者に対する礼儀はわきまえさせてもらいます」
「好きにするがいい」
そう言ってビッツは再び御者台に収まった。
馬に鞭を入れ馬車を走らせながら思う。
ジュストとダイはたった二人で七体のエヴィルを倒した。
対する自分はルーチェとフレスのサポートを借りてようやく一体。
それもスマートな勝利とは言えないギリギリの討伐だった。
輝攻戦士の力を扱いこなせない自分は前衛としては明らかに劣っている。
はたしてこの先の旅を続けていく上で、自分には何ができるのだろうか。
※
東に深淵の森。
西に奈落の滝。
南に不毛の砂漠。
そして、北には極寒の氷の地。
人間世界ミドワルトは四方を人外魔境に囲まれている。
この地には様々な文化を持った国家が存在していた。
その中で特に大きな国家は五大国と呼ばれている。
ファーゼブル王国。
シュタール帝国。
セアンス共和国。
海洋国家マール。
そして一行が目指す最北の地、新代エインシャント神国。
この五つの国に共通することは莫大な輝力を秘めた『大輝鋼石』を所有していることである。
「なるほど、いまの川を超えたところからアンブラ国の領地なんだ」
独り言のように呟くジュスト。
ルーチェが肩越しに覗き込むように話しかけた。
「何を見てるの?」
「ミドワルト東部の地図だよ」
ジュストは羊皮紙に描かれたセピア色の地図を眺めていた。
彼は地図をルーチェに見せながら南東にある半島の東部分の囲みを指差す。
「ここがフィリア市だね。で、こっちがクイント王国で……いま僕たちはこの街道を北上している。これからこういうルートを通ってシュタール帝国へ向かうんだ」
地図上をジュストの指がなぞっていく。
南の半島からやや西へ向い、そこから北へ。
地図中心部の一番大きな囲みの中に入る。
「ええ? まだこれだけしか進んでないの?」
「世界は広いからね。そりゃもう、ものすごく長い旅になるよ」
ファーゼブル王国とシュタール帝国は大国間でも比較的近い位置にある。
街道沿いに行けばいくつかの小国を挟むものの東部の山地では国境を接しているくらいだ。
大国、小国と言っても領土の大きさに差があるわけではない。
中には領土の広さだけなら大国をも上回る小国があったりする。
それでも、やはり最も広い領土を持つのはシュタール帝国だろう。
「さっきの川が国境って言ってたけど、あんな簡単に通って大丈夫だったの? 前にクイントに入ったときは関所で足止めされたけど」
「いろんな国があるからね。いま僕たちがいるアンブラ国は近隣の国と自由貿易協定を結んでいるから、出入りの制限も比較的緩いんだ」
「へえ」
ルーチェは以前に関所をやり過ごすため危険な山道を通って国境を越えたことがある。
その時の苦労を思い出せば橋の横の小屋にいた兵士に一礼するだけで国境を超えられたのが、少々納得いかなかったようだ。
ともあれすんなりと事が運ぶならそれに越したことはない。
「そして国境を越えたらすぐに見えてくるのが――」
「見えきたぞ、機工職人の町マテーリアだ」
御者台からビッツが声をかけ、ルーチェは馬車の外に視線を向けた。
※
機工職人の町マテーリア。
アンブラ国で最も大きな町で、その規模は大国の都市であるフィリア市にも匹敵する。
クイント王国の王都チェ・クイント以上の人口を抱えたこの町には、その名の通り多くの職人が暮らしている。
また交通の要所でもあり、周囲の国から日々多くの人々が集まっては物資と情報の交流を行っているのだ。
旅に必要なものを揃えるにはふさわしい町と言えるだろう。
もちろん機械技術の発達した輝工都市とは比較にならないが。
一行がマテーリアに到着した時、すでに太陽はやや西に傾いていた。
次の町までの距離を考えればこの町で一泊することに異存がある者はいない。
町に隣接した宿駅に馬車を預け一行は三手に別れた。
武具屋を探しに行くジュストとそれに付き合うルーチェ。
その他の必要物資を買い出しに行くフレスと付き添い(と言いつつ目当ては腹ごしらえ)のダイ。
そしてビッツは皆を代表して今晩泊まる宿を予約してから一人で町を散策することにした。
これから旅を続けていく上で自分に何ができるか。
そのヒントを探したいと彼は思っていた。
前衛を預かる輝士として戦闘能力の低さは致命的だ。
大賢者から与えられた任を全うするのが第一とは言え旅の足手まといにはなりたくない。
ただの雑用係に甘んじるつもりもない。
輝攻戦士の力を扱いこなせない自分でも、きっとやれることはあるはずだ。
※
ビッツが通りの左右に立ち並ぶ武具屋を眺めていると、なぜかルーチェが一人で歩いているのが目に入った。
「ジュストと一緒ではなかったのか?」
「あ、ビッツさん」
こちらから声をかけると彼女は困ったような顔で小走りに近寄ってきた。
「実はちょっと目を離した隙にどこかに行っちゃって」
「なんと女性を一人ほったらかしにするとは。そのような薄情な男だとは思っていなかったが」
「いえ、たぶん迷子になっているだけです」
言っている意味がビッツにはよくわからなかった。
詳しく聞けばどうやらジュストは極度の方向音痴らしい。
武具店を探して辺りを回っているうちにはぐれてしまったようだ。
「近くの武具店で尋ねてみたらどうだ? 私も探すのを手伝おう」
「いいんですか?」
「私もちょうど新しい武器を探しに行こうと思っていたのだ」
ビッツが提案すると、ルーチェは手を叩いて満面の笑みを浮かべる。
愛らしいその姿を眺めビッツは迷子になってくれたジュストに心の中で感謝を捧げた。




