143 ▽剣闘部
「無理なんだってば、ベラお姉ちゃんは特別なんだから」
ナータは剣闘場わきの小さな休憩室で呆然としていた。
兜を取り鎧はつけたまま椅子に腰掛けている。
耳をルーチェの呆れたような声が通り抜けていく。
負けた。
別にそれはしょうがない。
自分はシロウトなのだし相手は剣闘部の主将だ。
問題は大勢の――と言うよりルーチェの――目の前であれほどあっさりと完敗したことにある。
しかも事もあろうに自分から挑んだ試合だ。
正直言うと勝つつもりであったことも一層の惨めさを増幅させている。
「ナータ、大丈夫?」
ひらひら。
目の前をルーチェの手が行き来する。
「あ、うん。別になんともない……よ」
体はなんともない。
衝撃はあったが後を引くような怪我はしていない。
なんともあるのは精神の方である。
はっきり言えばショックから立ち直れない。
「ナータがいくら運動神経良くったって、いきなりベラお姉ちゃんと試合なんて無茶なんだよ」
「うう……」
本人はフォローのつもりなんだろうけど今のは少しキツかった。
カッコつけて分不相応なことしても痛い目見るだけと言われたようなものだ。
実際にカッコつけたかっただけだから何も言うことができない。
「ベラお姉ちゃんはね、ファーゼブル王国の輝士団の団長さんをやってるおじいさんから小さい頃から本格的な剣術の稽古を受けてるんだ。中学の頃には輝士修行を終わらしてるし剣闘部では一年生の時から二年連続で二国大会優勝してるスーパー剣士なんだから」
そんなすごい人が相手だから仕方ないって言いたいのか。
そういう慰めからをされると余計に……
余計に落ち込みそうな気分になったナータは、ルーチェの言葉の内容が頭に浸透するに従って思考を中断せざるを得なかった。
がばっと顔を上げてルーチェの瞳を覗き込む。
「いまなんて言ったの?」
「え、だからベラお姉ちゃんは小さいころか小さい頃から剣術修行をしてて、もう後は高校卒業したらそのまま輝士になって王宮仕えするくらいのほとんど本物の輝士さま同然の剣士なの」
「そんなやつに勝てるか!」
思わず怒鳴りたくなるほどあまりにも無謀な勝負を挑んでいたと今さらながら知った。
ルーチェが鞄で頭をガードしながら後ずさる姿を見て正気に戻るが文句は収まりそうにない。
「だ、だって、ナータがいきなり試合するとか言い出すから止める間も……」
「せめて昨日の時点で教えててくれれば恥かかなくてすんだのにっ」
「でもナータも剣闘の経験あるみたいだったし、ひょっとしたら知ってて試合を挑んでみたかったのかもって思って」
「あたしはシロウトだって昨日言ったでしょっ」
「えっ、だってその前の試合ではあんなに……」
「あれは違うの。あたしは本当に剣闘なんか体育の授業くらいしか――」
「その割にはずいぶんと実戦慣れしているみたいだったがな」
二人が同時に後ろを振り向く。
防具を脱いで紺色の運動着姿になったベラがいた。
「動きはともかく気迫は凄まじかった。実際に相対してみればわかるが、あれは運動神経が良いだけでは説明できない。恐らくかなりの数の修羅場を潜っているな。格闘技か……いや、どちらかというとストリートの――」
「わーっ! わーっ!」
ナータは慌てて大声をあげてベラの言葉を遮る。
そしてルーチェに聞かれないようそっと耳打ちした。
「ごっ、ご賢察の通りでございますが、どうかそのことはご内密にっ。いまのあたしは真面目に学校生活を送りたいと考えてますのでっ」
「わかったわかった」
取り乱しているナータを宥めるようにベラが肩を叩いた。
後ろではルーチェがきょとんとして二人のやり取りを眺めている。
「ともかく素質はあるぞ。どうだ、本当に剣闘部に入ってみないか?」
「え」
落ち着きを取り戻していないせいもあってベラの言葉はナータの不意を突いた。
「君には一流選手になれる素質がある。何よりも剣を手にした時の表情がよかった。私も来年は卒業だから、君みたいな後輩が入ってくれれば部の先行きも明るいんだけどね」
「……せっかくですけど」
彼女は嫌味を言っているわけではないだろう。
だが手も足も出せずに負けた相手から絶賛されるというのもいたたまれない。
そもそもナータは剣闘にそれほど興味があるわけではない。
ルーチェにいいカッコを見せようとして試合を挑んだだけなのだ。
部の期待を背負えるような真面目さはない。
「あたしにはたぶん向いてないと思います。剣闘が嫌だって言ってるわけじゃなくて、団体行動とか部の規則に従うとかそういうのに慣れてないから――」
「すごいっ! ベラお姉ちゃんに認められるなんて、やっぱりナータはすごいんだよっ!」
丁重にお断りしている最中だというのに興奮した様子のルーチェが割り込んでくる。
「そ、そんなことないわよ。ルーちゃんも見てたでしょあっさりやられちゃったの」
「本気でやったんだよ」
ベラがこんどは真面目な表情でナータの言葉を遮った。
「素人だってわかった時点で手加減するつもりだった。けど君の前に立って余裕ぶってはいられないと思った。こんな事は国内大会でもめったにないんだぞ。本気で練習すればきっとすごい選手になれる」
「ほら、すごい褒めてくれてる!」
ルーチェはまた両手を叩いて喜んでいたがナータは若干ムッとした。
褒めているつもりなのはわかるが上から見るような言い方が勘に障ったのだ。
「あのですね」
「ん、何かな?」
「その、確かにあなたはすごいと思いますけど、それじゃまるで『こいつは自分の足元にはギリギリ及ぶ程度の実力はあるからとりあえず部に入れて鍛えてやろう』って言っているように聞こえますけど?」
「なっ、ナータっ!」
今度は明確にケンカ腰になった。
ナータの制服の背をルーチェがギュッと握る。
しかしベラは表情ひとつ変えずにハッキリと言いきった。
「そうだな、大体そういう感じだ」
「なっ……」
ナータは勢いよく立ち上がる。
その反動で椅子が後ろに転がった。
「ダメ! 絶対ダメだよ! ベラお姉ちゃんもそういう言い方って……」
「黙ってなさい」
「あっごめんなさい……」
慌てるルーチェを低い声で叱ると謝って後ろに下がった。
八当たりするのは本意ではないがこれは先日のジルとの一件とは訳が違う。
この人はハッキリとナータを挑発しているのだ。
ベラもまた目を細めてナータを睨む。
「そういう態度を取るのか? 私の可愛い妹を泣かせたらタダじゃおかないぞ」
「ルーちゃんはあたしの友だちです。あなたにどうこう言われる筋合いはありません。あたしにとってもルーちゃんはかけがえのない大切な人ですからその点はご心配なく」
引くわけにはいかない。
得意の冷たい眼差しでしっかりとベラを睨み返す。
しばらく無言の睨み合いが続いた。
取っ組み合いのケンカにはならないだろうが本気でやりあったらまず勝てる相手ではない。
気を抜いたら逃げ出したくなってしまいそうだが、ナータは全身に気を張り詰めて耐えた。
フッ、とベラの表情が緩む。
と思ったら大声で笑い始めた。
「あはははは!」
「な、何がおかしいっ」
馬鹿にされたと思った。
しかしベラが発していた恐ろしい気迫はほとんど消失している。
「面白い娘だなと思って」
何か笑わせるようなことを言ったか?
「だって聞いてもいないのにルーチェのこと大切だって。そっちで張り合われるとは思わなかったからさ」
言われてナータは顔が赤くなるのを感じた。
確かに売り言葉に買い言葉で何か言ったような気がするが、よく覚えていない。
先ほどの自分の言動を振り返ってみようとするが上手く思い出せない。
「さっきのは冗談だよ。本当に君には素質があると思ってるし、練習次第では私に追いつけるかもしれないぞ」
ポン、とナータの肩に手を置く。
「君みたいな新入生を必要としてるのも本当だ。うちの部の後輩はいまいち闘志に欠けるし、やる気のある人間なら大歓迎だよ」
「はあ……」
「挑発したのは悪かった。だがこれで確信したよ。あんな風に私と張り合える人間はそうそういないからな」
さっきから褒める振りして自慢しているように聞こえるが本人に自覚はないのだろう。
まあ、きっと彼女の言っていることは誇大ではない真実なのだ。
「君は本当にルーチェのことが好きなんだな」
「えっ」
「なっ!」
ルーチェとナータが同時に声を上げた。
ベラは気に留めず続ける。
「つい嫉妬して挑発をしてしまった。姉代わりの立場としては、妹が元ヤンに弄ばれないかと不安だったんだよ」
な、なんだ、そういう意味か……
じゃなくって。
「ちょ、ちょっと!」
「『もとやん』ってなあに?」
小さい子供のようなほわほわした口ぶりで首をかしげるルーチェ。
ナータは慌ててと取り繕い、そして再びベラの方を向いた時にはすっかり頭が冷えていた。
「せっかくですけどあたし、やっぱりスポーツって合ってないって思うんです。素質があるかは知らないですけど、それを伸ばす努力ができるとは思えないし」
「無理に部に入れとは言わないわよ。強制的に入部させても意味がないしね、ただ……」
不平を言うルーチェの口を押さえ、やや真面目な態度でベラの言葉を聞く。
「さっきの君の解釈で一つ間違っている部分を訂正しよう。今の時点で君は私の足元にも及ばない。そんな弱い人間に可愛い妹を任せることはできないな」
「なっ……」
「そうだな、もし君が私に手も足も出なかったことを悔しいと思うなら、いつでも再挑戦してきてくれて構わない。もっとも今のままじゃ百年経っても私には敵わないだろうけどね」
あからさまな挑発にナータはなにも言い返せない。
ベラはルーチェに「じゃあ、また」と告げて部屋から出て行った。
ばたんと小さく音を立ててドアが閉まる。
同時に背後でルーチェがため息をつく声が聞こえた。
「よかった、ナータとベラお姉ちゃんがケンカにならないで。ナータが剣闘部に入ったら面白そうとは思ったけどすぐには決められないもんね。もう少しいろいろ見てまわってから……」
「ルーちゃん」
「は、はいっ!」
別に脅そうとしたわけではない。
ルーチェの名を呼ぶ声は自分でもびっくりするくらいに大声になってしまった。
「入部届けって、どこに行けばもらえるの?」
※
「インヴェルナータです。よろしくお願いします!」
やや大げさに礼をすると、部員たちから盛大な拍手があがった。
「あなたみたいな人が来てくれるのを待ってたよ」
「トーネに勝ったんだって? 新人戦が楽しみだね」
「はいはい静かに」
ベラが手を叩いて部員たちに注意をすると道場内は水を打ったように静かになる。
さすがお嬢様学園の部活動だけあって規律はしっかりとしている。
「多少腕は立つが入学したての新入生には違いない。みんなもどんどん扱いてやってくれ」
ナータはベラをキッと睨みつけたが彼女は笑っている。
「しっかり練習して、早く私に追いてきなさい」
「いわれなくてもそのつもりですわベラお姉さま」
「楽しみにしてる……さて練習を始めるぞ。お前たちも学年が上がったからって気を抜くんじゃないぞ。新入生に遅れをとるようなことがあったら毎朝の基礎トレを倍にするからそのつもりでいろ」
部員たちの中から不満の声が上がった。
ベラはナータの肩を叩き、
「追い上げてくる後輩がいれば部全体の底上げになる。期待しているぞ、ナータ」
嬉しそうに微笑みかけた。
その仕草は優雅でありながら堂々として圧倒的な自信に満ち溢れている。
ラウンド1は完敗。
だが、いつか必ず勝ってみせる。
ルーチェの憧れの人に負けたくないというのもあるけれど、それ以上に自分自身が彼女に勝ちたいと思ったから。
はっきりと言葉にして認めたくはないが、ベラは何でもソツなくこなしてきたナータが初めて出会った目標となりうる人物なのだ。
「よし!」
いっちょ気合を入れて頑張ってみよう。
「まずはランニングだ! 場内百週! 周回遅れになった者は一周につき腕立て十回! インヴェルナータお前もだぞ!」
さっき以上の不満の声が上がるがベラは気にしない。
ナータはむしろ面白くなって逆に挑発を返した。
「つまりあたしが周回遅れにさせれば、部長も腕立てをなさるわけですわよね?」
「へえ? 面白い。やってみるか?」
対抗意識を燃やし始める二人の会話を聞いて、部員たちはひときわ大きなため息を吐いた。




