122 ▽新しい学舎
暖かな風がやんわりとそよぎ木々の枝を揺らして通り過ぎていく。
長かった寒い冬が過ぎてこの海辺の都市にも春がやってきた。
鮮やかな色の花びらがひらひらと舞い幾つもの出会いと別れを演出する。
肌を刺すような寒さもようやく身を潜めた暖かな過ごしやすい季節。
ぽかぽかと日差しが心地いい日だった。
そんな春の陽気にあてられ少女は足取りも軽くレンガ敷きの道を歩いていた。
歌を口ずさみながら肩で切りそろえたピーチブロンドを風になびかせる。
四月五日。
中等学校で涙の卒業式を終えてから一ヶ月。
少女……ルーチェはこの日をずっと楽しみに待っていた。
晴れた空は気持ちいいくらいに青い。
さらに言えば今日は彼女の誕生日でもある。
思わず歌も口ずさみたくなるというものだ。
若草色のブレザーは初々しく鏡に映った自分は少し背伸びをしているよう。
それでもずっと憧れだったこの制服を身に包んでいるというだけで気持ちは高鳴る。
今日からは南フィリア学園の一年生になる。
新しい生活の幕開けにルーチェの心はうきうきと高揚しっぱなしだった。
フィリア大通りを横切ったところで見知った後ろ姿を発見した。
「ジルさん! ターニャ!」
二人の少女が振り返る。
背が高いセミショートの少女はジル。
それとは対照的に線が細い部分みつあみの髪型の娘がターニャ。
二人とも中等学校で仲の良かった友人である。
どちらもルーチェと同じ若草色のブレザーに身を包んでいる。
「よっ、ルーチェ。おはよ」
「おはよう」
「おはよ!」
南フィリア学園の制服を着た友人は中等学校の頃よりも大人っぽく見える。
ルーチェにはそれがなんだか自分のことのように嬉しく思えた。
「今日からまたよろしく」
「うん。ジルさん南フィリアの制服似合う。カッコイイっ」
「へへ、ありがと」
「ターニャもかわいい」
同じ制服でも着る人によって随分印象が違う。
スラッとして背の高いジルはより大人びて小柄なターニャはより可憐で儚げに見える。
自分はどんな風に見えているのだろう?
ルーチェがふとそんなことを考えていると、
「ルーチェも可愛いよ。なんだか大人っぽく見える」
「そ、そうかな」
心の中を読んだようなタイミングで褒めてくれるターニャ。
彼女の言葉がルーチェには素直に嬉しかった。
中等学校の制服は淡い水色のセーラー服。
それはそれで可愛いかったけれどこっちの方が断然大人っぽい。
昔からずっと憧れていた若草色のブレザー。
先輩たちの姿を目にするたびカッコイイなあと憧れたものだった。
「また一緒のクラスになれるといいね」
これからまた三年間付き合うことになる友人たち。
できるなら一緒のクラスがいい。
ちょっとの不安とそれ以上の期待に胸を膨らませながら、三人は学園への道を歩いた。
※
海へと続く道を途中で左に折れ木漏れ日が注ぐ木々のトンネルを潜る。
緩やかな坂を上る途中で通い慣れた中等学校の校舎が視界の右端に見えた。
ちょっぴり切ない気持ちを振り切って前へと進む。
今日からはこっちの道が通学路。
この辺りはまだ自然が多く道の左手はうっそうと木々が生い茂っている。
坂を上がりきると途端に視界が開けた。
海辺の台地は遠く水平線までハッキリと見渡すことができる。
これから毎日この風景を見て登校するのだろう。
海をバックに聳える豪奢で大きな建物。
白を基調としたスティーヴァ王朝時代の神殿を模した校舎は控えめながらも優美な印象を受ける。
広い敷地も大きな校舎も何もかもが中等学校とは違う。
天使のレリーフが飾られたアーチ状の校門の前でルーチェは足を止めた。
南フィリア学園。
今日から憧れたこの学校の生徒なんだと思うと感動で胸がいっぱいになる。
同じ学生でも中等学校までとは気合の入り方がまるで違う。
これからは街の女の子たちの手本になるような立派な人間になることを心がけなくてはいけない。
一歩を踏み出した。
右足が校門のレールを跨ぐ。
全面タイル張りの敷地に足を踏み入れた。
高等学校生活最初の記念すべき一歩。
「えへへ」
嬉しさに自然に頬がにやけてしまう。
続いて両足ともに敷地内に入り、くるりと振り返った。
ジルとターニャもルーチェに続けて最初の一歩を踏み出した。
二人ともルーチェに負けないくらいの笑顔で。
※
「えっと、えっと……あ、あった!」
新入生のクラス編成表は中央校舎脇の掲示板に張り出されていた。
ルーチェは五分近くかけてようやく自分の名前を発見する。
「一組だって! ジルさんとターニャは?」
「あ、あたしも一組だ」
「私も」
「本当? やったぁ!」
これで二人とは中等学校から数えて四年連続で同じクラスである。
三人は手を取り合って喜んだ。
特にルーチェは嬉しさのあまりぴょんぴょん飛び跳ねて喜びを表現する。
ジルは少し恥かしそうに、ターニャは困ったような笑顔を浮かべながらもはしゃぐルーチェに付き合ってくれた。
新しい出会いにも期待しているけどやはり気心が知れた仲間と一緒に過ごせるのは嬉しく心強い。
「じゃあ、いこっ。教室は二階だっ――」
振り返り、校舎へ向かって歩き出そうとして。
後ろにいた人物とぶつかりそうになった。
「あ、ごめんなさいっ」
顔を上げて謝るルーチェ。
その人と目が合った。
ものすごい美人だった。
卵型の小さな顔を縁取るように流れる金色の髪は優雅の一言。
ぱっちりと開かれたブラウンの瞳は吸い込まれそうな不思議な輝きを放っている。
鼻は小さく唇は薄いピンク色。
ルーチェよりも少しだけ背が高い。
同じ若草色の制服を着ていても自分なんかよりもずっと似合っている。
大人びた雰囲気のとても綺麗な女性。
その雰囲気に見とれていたルーチェはふと我に返り、なんとなく気まずい気持ちになった。
「あ、あの……」
先輩だろうか?
少女は何も言わない。
失礼な態度を取って怒らせてしまったのかもしれない。
「よそ見してごめんな――」
「ルーちゃん!」
もう一度謝ろうとした瞬間、金髪の美少女は突然両手を大きく開いた。
かと思うとわけもわからないまま抱きしめられてしまった。




