115 後遺症
コンコン。
「どうぞ」
ノックしたドアの向こうから、優しい声で返事が返ってきた。
恐る恐る部屋の中に入る。
ベッドの上で本を読んでいるフレスさんの姿が目に入った。
「あの……おはようございます」
「おはようございます。目が覚めたんですね」
フレスさんは依然と変わりない笑顔で迎え入れてくれる。
けれど、あんなことをしてしまった私が、恨まれていないわけがない。
先生が帰った後、私は真っ先にに彼女に謝りに行くべきだと思った。
力の入らない足を気合で動かしたここまでやってきた。
でも、いざ面と向かってみると何から話していいのかわからない。
いきなり罵声を浴びせられるくらいの覚悟はしてきたんだけど……
「そんなところに立ってないで、こっちに来て座ったらどうですか?」
フレスさんはベッドの脇に置かれている椅子を私に薦める。
それきり無言で私の顔を見つめてくる。
断るわけにも行かず、私はそれに腰掛けた。
「あ、あの、ごめ」
「体はもう大丈夫なんですか?」
またしても出鼻を挫かれる。
彼女が心配で来たのに、逆に心配されてしまう。
「あ、ちょっと足が重いけど、問題ないです。私よりフレスさんの方こそ大丈夫ですか?」
少し気が楽になって、私は自然に彼女の心配をすることができた。
「ええ、大丈夫ですよ」
そう言うフレスさんの顔がわずかに曇ったような気がした。
でもその言葉に少しホッとした私は、まず彼女を傷つけたことを謝罪することにした。
「あの、私、敵を倒すのに夢中で、フレスさんを傷つけてしまって」
「いいんですよ。大賢者さまから話は伺っています。ルーチェさんは私を救うために戦ってくれたって。悪いのは私の体を乗っ取ろうとした輝術師だって」
「ごめんなさい……!」
「もう、謝らないでくださいってば。私はぜんぜん気にしてませんから」
何度も頭を下げる私。
肩に、フレスさんの手が触れる。
その優しさに安堵して、顔をあげようとした時に私は見た。
フレスさんのはだけた胸元に、大きな火傷の痕。
「あの、それ……」
私の視線に気づき、フレスさんは慌てて胸元を抑える。
「あ、あはは。秋も近いのにまだ暑いですね。そんなに見つめられると恥ずかしいです」
照れたように誤魔化すフレスさん。
だけど、私はしっかりと見てしまった。
「やっぱり、私のせいで……」
「ち、違うんですよ。これはこの前お料理をしている時にお鍋をひっくり返して」
フレスさんは冗談っぽく取り繕おうとする。
なんて言うべきかわからなかった。
女の子に体にあんな大きな痕を残してしまった。
それがどういうことなのか、私だったらどう思うか。
私はその場で椅子から降りて床に手をついた。
ひたすら謝る以外に思いつかなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「や、やめてください。本当に大丈夫なんですよ。大賢者さまに治療をしていただいて、痛みももうないんですから」
「ごめんなさい」
「もう、本当にやめて――きゃっ」
フレスさんは私を起こそうとして、ベッドから体を乗り出した。
そして、そのままもつれるように倒れこんできたので、私は慌ててその体を支えた。
「だ、大丈夫ですか?」
「えっと、あの、これは」
ベッドから落ちた彼女は、なぜか不自然な格好で私にもたれかかっていた。
はじめはどこかを痛めたのかと思ったけど、奇妙に投げ出された足を見てゾッとするような不安を覚えた。
「まさか、足を……?」
「違うの!」
フレスさんは彼女らしくない大声を上げた。
私は自分の嫌な予感が当たったと感じた。
「……ごめんなさい」
その言葉を発したのは、私ではなくフレスさん。
「ごめんなさい。ルーチェさんは何も悪くないのに、ごめんなさい」
顔を伏せてぽろぽろと涙を零すフレスさん。
私の胸を、さっきまでとは違う苦しさが締め付けた。
「動かないんです。私の足、動かなくなってしまったんです。わかってるんですけど、ルーチェさんは、私を救ってくれたんだって、わかっているんですけどっ」
「フレスさん、泣かないで」
「こんな風になって、あなたを恨んでいる自分がいるんです。自分が悪いってわかってるのに、誰かのせいにしないとおかしくなりそうで……ごめんなさい、ごめんなさいっ」
「ごめんなさい。フレスさんを助けられなくってごめんなさいっ……」
私はベッドの上に身を乗り出し、今にも壊れてしまいそうなフレスさんの身体を抱いた。
二人でごめんなさいを繰り返し、私たちは泣き続けた。
「私、いっぱい修行して立派な輝術師になります。それで、いつか必ずフレスさんの足を元通りにしてみせるから」
十分以上泣き続けた後、私は思い切って決意を述べた。
彼女に後遺症を残してしまった償いは、人生を費やしてでもしなければ。
自分のためだけじゃなく、本当に立派な輝術師になろうと思った。
フレスさんは真っ赤な目を擦りながら微笑んだ。
「そんなに思いつめないでください。一緒に泣いてもらっただけで、ちょっとスッキリしましたから」
フレスさんがかなり無理をしていることは明らかだった。
それは彼女の優しさだと私は思う。
「畑仕事は無理でも、子どもたちに勉強を教えてあげることくらいはできます。だから本当に気にしないでくださいね。ルーチェさんには、私なんかのためじゃなく、世の中のために立派な輝術師になってください」
「ごめんなさい、本当に……」
「もう、謝るのはナシです。何度も言うけど怒ってなんていませんから。ちょっとルーチェさんを困らせてみたかっただけなんです。私の方こそごめんなさい」
こんな目にあってまで、そんなことを言ってくれる。
その優しさが眩しくて、悲しくて、辛かった。
「それと……ごめんなさいついでに一つお願いがあるんですけれど」
「あ、うんっ。何でも言って」
少しでも償いになるのなら、何でもしてあげたい。
「ジュストが帰ってきたら、一日だけ貸して欲しいんです」
「え?」
そう言っても、別にジュストくんは私のじゃないですけどっ。
あ、でも、ジュストくんはこれから私と一緒に村を離れるんだ。
正直、フレスさんのことがなくても、私はエインシャントに行きたいと思い始めていた。
自分の中にあるわけのわからない力を、きっちり扱えるようになりたい。
英雄になれるなんて思っていないけれど、もう自分のせいで誰かに悲しい思いをさせたくないから。
けれど、新代エインシャントへ行くってことは……
「そんな顔しないでください。別に奪おうっていうわけじゃないんですから」
「奪うなんて、そんなこと」
「知ってますよ。ルーチェさん、ジュストと一緒に新代エインシャント神国へ行くんですよね」
「……知ってるんだ」
「邪魔をする気なんてありません。だから、一日だけ、一日貸してくれるだけでいいんです。彼がまた、いなくなってしまう前に、一日だけ思い出づくりがしたいんです。前の別れのときは……最悪でしたから」
彼女はそう言って真っ直ぐな目で私を見る。
「お願い。最後に一日だけでいいんです」
そんな、頭を下げられても困る。
私だって彼のことは好きだけど、このままじゃ彼女から何もかも奪ってしまう事になる。
彼女の精一杯の頼みを拒否することなんて私にはできない。
「わかりました……がんばってくださいね」
けれど、胸の奥でチクリとした痛みを感じた私は、やっぱり自分勝手な人間なんだろうか。




