107 緊急事態
何かの影が地面を覆っていた。
空を見上げると、鳥の群れが太陽を遮って飛んでいるのが見えた。
鳥……?
違う。
羽は生えてはいるけれど、どう見ても鳥なんかじゃない。
「なに、あれ……」
それは全身を紫色の羽毛に覆われた生物だった。
人間と同じ手足を持ち、髪の毛のない頭には先の丸い触角が生えている。
遠くてはっきりと見えないけど、サイズも人間大なのは間違いない。
そんなのが十匹以上も群れを成して飛んでいる。
まるで悪い夢でも見ているような光景だった。
「半人半魔の妖魔型エヴィル。あれは『ラルウァ』か」
いつの間にか私の後ろにジュストくんが立っていた。
彼は空を渡る紫色の集団を憎憎しげに睨みつけながら呟いている。
その表情に昨日のような穏やかさは欠片も見られない。
私はジュストくんに尋ねた。
「妖魔型エヴィルって?」
「人に近い姿をしていて、輝術に似た力を使う種類だ。その戦闘力は他のエヴィルと比べても格段に高い」
つまり、かなり強いエヴィルだってことらしい。
「エヴィルのランクは大きく分けると三段階あって、妖魔型であるラルウァは中級クラス。クインタウロスですら下級クラスの上位くらいだ」
あの強かった牛頭で下級クラス?
それよりも強いエヴィルが、どうしてあんな集団で……
「大変だ!」
見回りに出ていたらしい村の青年が大声を上げながら戻ってきた。
「森でマウントウルフの群れを見かけた! 一匹や二匹じゃない!」
群れを成して空を飛ぶ妖魔型エヴィル。
森に突然現れた凶暴化した獣の集団。
明らかな異常事態だ。
「いったい、何が起こっているの……?」
背後のジュストくんに疑問を投げかけてみる。
けれど、彼も答えを持ち合わせていない。
何かとんでもないことが起きている。
「若い男たちは武器を取って村の入り口に集合しろ!」
「おうよ!」
「女子供は家に避難! 絶対に外に出るんじゃないぞ!」
「はい」
広場で指揮を執っているのはネーヴェさんだった。
幅広の輝士剣を背中に担ぎ、周りの人たちに次々と指示を出している。
すごいリーダーシップ。
今の姿を見ていると、昔は輝士だったっていうのも頷ける。
ジュストくんが彼女の元へ駆け寄った。
私もその後に続く。
「母さん」
「よう。万が一の場合はお前も戦ってもらうよ」
「もちろんです。微力だけど戦力として役立ててください」
「とは言っても本気で襲ってこられたらひとたまりもないけどね」
「結界は正常に作動しているんですか?」
「そのハズだけど、期待はするんじゃないよ」
二人の受け答えを見ていると、親子というより輝士の先輩後輩関係のよう。
ジュストくんも敬語になってるし。
「がんばれ、見習い輝士」
「はい」
ネーヴェさんがジュストくんの肩を叩く。
彼は力強く首を縦に振った。
「それと、ルーチェ」
ネーヴェさんが私を見た。
「あんたも大賢者の弟子なら力を貸してもらえるか?」
「たいした力にはなれないかもしれないですけど……」
状況はわからないけど、大変なことになってるのは確かだ。
村が危ないっていうのに、ボーっとしていることなんてできない。
修行は途中だし、先生の言っていた勝てない理由もわからないまま。
だけど、今の私でも少しは戦力になるはず。
ジュストくんが輝攻戦士として戦うためには私が必要。
うぬぼれるつもりはもうないけど、私もいざとなったら頑張らなきゃ。
「戦います。私もみんなを守りたいから」
私たちの後ろにいる人たち。
お世話になったフレスさんや、まだ幼いソフィちゃんの顔を思い浮かべ、私は戦うことを決意した。
私たちはまず村の入り口に向かった。
何人かの男の人たちがすでにそこで待機している。
私たちが姿を見せた途端、大きな歓声が上がった。
「期待してるぜ、輝攻戦士!」
「それと輝術師のお嬢ちゃんもな!」
先日エヴィルを退治したことで一躍村のヒーローになったジュストくん。
みんなは彼にかなりの期待をかけている様子。
あと、よそ者の私が輝術師だという噂も広まっているらしい。
こんな風に頼りにされるのは、なんだか気恥ずかしい気分だった。
「状況はどうなっているんです?」
「今のところ周囲にエヴィルはいないし、モンスター共も襲ってくる気配はない。だが油断はできないぞ。やつらの考えなんて誰にもわからないからな」
いかにも畑仕事が似合いそうな体格のいい男の人が答えた。
腕につけた腕章には『自警団』の文字が書いてある。
「武装はしてみたものの、俺たちが相手をできるのなんてマウントウルフが精一杯だ。ろくな武器もないし実戦経験があるやつもいない」
「仕方ありません。こんな事態は誰も予想できませんから」
「すまないがエヴィルが現れたら頼らせてもらう。俺たちも敵を結界に近づかせないよう体を張ってサポートするからな」
おじさんは苦々しげな顔でジュストくんの肩を叩いた。
自分たちで戦えないことが悔しいんだろう。
仕方ないことだけど、普通の人がエヴィルと戦うのは自殺行為だ。
それはきっと、村を出る前のジュストくんと同じ気持ち。
彼はおじさんの気持ちを受けとって自信満々に頷いた。
「任せてください。そのために僕は帰ってきたんです」
「それじゃあここは任せた。俺たちは周囲を見張ってくる」
「くれぐれもお気をつけて。エヴィルを見つけたらすぐに報告を」
自警団の人たちは私たちを残して村の周りに散っていった。
二人っきりになってから、今の会話で気になったことを尋ねてみた。
「ねえ、結界って何?」
「簡単に言えばエヴィルが通れない見えない壁のことだよ。村の周りを取り囲むように張ってあって、ちょうどこの辺りにあるんじゃないかな」
そう言ってジュストくんは柵の上を指さす。
確かにそこには何もない。
けれど、微妙な違和感があることに気付く。
「本当だ。何かあるっぽい」
「見えるの?」
「うん、うっすらと」
流読みを使える輝術師だからそう感じるだけだ。
実際には触れてもなにも感じないし、別に気になるわけでもない。
「この村だけじゃなく他の町や村、規模は違うけど輝工都市でも、人が住んでいる場所のほとんどには結界が張ってあるよ。そうしないとすぐにエヴィルに襲われて全滅しちゃうからね」
「じゃあ村の中にいれば安全なの?」
「いいや、強引に力づくで破られることもあり得る。結界が張ってあるのは表面だけだから、突破されて中に侵入されてしまったらどうにもならないしね」
どっちにせよエヴィルに襲われたら全力で村を守らなきゃいけないってことだ。
幸いにも、今のところエヴィルが村に向かって来ているって情報はない。
さっき空を飛んでいた中級エヴィルの集団が、一斉に襲ってくるなんて考えたくもないけど……
「どうして突然あんな大量のエヴィルが現れたんだろう」
「わからないよ。ここ数年、残存エヴィルが集団で目撃された例なんて聞いたこともないし」
故郷の村。
エヴィル。
八年前の事件。
ジュストくんにとって、思い出したくもない過去。
とてもじゃないけど、それ以上楽しくおしゃべりできるような雰囲気じゃなかった。
しばらく黙って見張っていたけれど、エヴィルは村にはやってこなかった。
周囲を見張っていた村の人たちも次々と戻ってきては、さっきまでいたはずのマウントウルフの群れが姿を消したと言っている。
「大丈夫、だったのかな?」
「まだ安心はできないよ。ラルウァがどこに向かったのかも気になるし」
途中にある村をやり過ごして空を飛ぶ妖魔たち。
あいつらはどこかを目指して移動していたのかも知れない。
「あっ」
突然、ジュストくんの背後の空間がぐにゃりとねじ曲がった。
すぐに揺らぎは安定し、曲がった部分から見慣れた人物が姿を現した。
「ダイ!?」
「お、ちょうどよかった。オマエもいたのか」
どうしてここに?
っていうか今どうやって現れたの?
「話は後だ。グレイロードが呼んでる」
「大賢者様が?」
ジュストくんの質問に頷いて答えると、ダイは私たちの手を引っ張った。
「なにするのよ」
「いいから、行くぞ」
ダイは奇妙な模様の描かれたカードを取り出して私に手渡した。
「なに、これ?」
「破いてみろ」
よくわからないけど、言われた通りにカードを破いてみる。
その瞬間。
「はわわっ!」
目の前の空間が揺らぐ。
まるでいきなり水の中に放り込まれたよう。
感覚がおかしくなり、視界がグチャグチャに歪んでいく。




