106 足りないもの
「氷矢と氷障壁と風飛翔。俺はこの三つしか使わない。かすり傷でもつけられたらお前の勝ちだ」
「え、そんなんでいいんですか?」
翌日の修行はいきなりの実戦訓練。
これまでとは違い、明確に勝ち負けを決めるそう。
ハンデありでの先生との全力勝負。
あらゆる術を使いこなし、その手数で翻弄する先生の戦い方はすごい。
この前のスカラフとの戦いを見て改めて思ったけど、術の威力も桁違いだ。
けど、使う術を限定してくれるのなら、勝機は見えてくる。
しかも、攻撃の手段が比較的威力の低い氷矢だけ。
先生の術は発動もスピードもスカラフとは比べ物にならないけれど、油断さえしなければ迎撃できるはず。
一撃を当てるくらい私でも十分にできるはずだ。
「その代わり、戦術においての手加減は一切しないぞ」
「わかりました」
「一分間倒れずに立っていた時もお前の勝ちでいい」
それはいくらなんでもハンデ付け過ぎですよ。
守りに徹してれば一分なんてすぐだし。
「行くぜ」
「はい」
返事をすると同時に、先生が輝言を唱え始めた。
これが勝負開始の合図。
腕を伸ばし、指を立て、弓を引くように人差し指を曲げて親指に引っ掛ける。
「火矢!」
先手必勝。
先生が術を放つより先に、弾いた指先から火の矢を撃ち出す。
勝負の結果から先に言うと、私の負けだった。
所要時間――わずか十五秒。
私が火の矢を撃った直後、先生はすでにその場所にいなかった。
超スピードで上空に舞い上がり、次の輝言を唱え始めていた。
いくら先生でも、術の発動中には僅かに動きが止まる。
そのチャンスに、上空の先生めがけて火の蝶を放つ。
が、四方向から迫る私の攻撃は、空中移動だけであっさりと避けられた。
その事に驚いたときにはもう、無数の氷の矢が私の周囲を取り囲んでいた。
虚空に突如出現した氷の矢を避ける術はなく、その場で私の敗北は決定。
最後の抵抗を試みて正面から火蝶を撃ち返すものの、あっさりと氷障壁で防がれた。
直後に次々と地面に氷の矢が突き立ち、気づけば私は即席の氷の牢獄に捕らえられてしまった。
逃げ場を失った私に照準を合わせた先生と目が合った瞬間、私は両手を挙げて降参した。
「うう……やっぱり先生には敵いません」
天然輝術師の特徴……
輝言を必要としないことは、すごく有利なはずなのに。
スカラフ相手には序盤はそれが確かなアドバンテージになった。
今回も連続攻撃で攻めようと思っていたけど、先生はそんなチャンスを与えてくれないほど圧倒的に強かった。
しかも、初歩的な術しか使っていないのに……
うう、ちょっとショック。
輝術の威力とか上手さ以前に、戦闘力がまるで違う。
「昨日、何故助けを呼ばなかった」
「え?」
「逃げようと思えば逃げられたはずだ。勝てると思ったのか、あのスカラフに」
う……
何も言えない。
この数日の修行で、私は自分が強くなったと錯覚していた。
けれど、実際には強力な輝術を使えてもちゃんとした戦い方を知らない。
だからこうして初歩的な術しか使わない先生にも負けてしまう。
エヴィルや悪人との戦いは命のやりとりになる。
油断なんかしていたらすぐに殺されてしまう。
……んだよね。
チリ一つ残さず消えたスカラフのように。
昨日だって、先生が助けてくれなかったら死んでいたかもしれない。
運よく助かったものの、肩を貫いた氷の槍の痛みは鮮明に思い出せる。
正直言って、あんな目には二度と合いたくない。
そのためには、もっと力がいる。
もっと、もっと強く――
「今日の修行は終了だ。少し頭を冷やしてこい」
「え、でもまだ……」
意外な先生の言葉に私は拍子抜けした。
てっきり、これから悪い部分を指摘されて、戦い方を本格的に教えてくれると思ったのに。
修行が始まって以来、模擬戦一回だけで終わりなんて初めてのこと。
「今の模擬戦、お前が俺に勝てる要素は十分にあった」
「え……」
「村へ戻って負けた理由を良く考えてこい」
「負けた理由……?」
「それがわかるまでは、これ以上の修行は無意味だ」
※
何が足りないんだろう。
今のままじゃどうやったって先生に勝てる気なんてしない。
経験の差があるのはわかっているんだけど、そういうことじゃないんだろうなあ。
そういえばスカラフと戦ったとき、劣勢に回るととたんに輝術が上手く使えなくなってしまった。
そういう精神的な弱さを直せって言ってるのかな。
でも、修行で殺される心配は(たぶん)ないし。
あの恐怖と緊張感はやっぱり実戦じゃなきゃわからない。
こればっかりは一度や二度の訓練で克服できる事じゃないと思う。
もう、一体何をどうすればいいっていうのよ!
「お疲れ様です」
椅子に腰掛けて考えていると、フレスさんが紅茶を出してくれた。
この数日で私の好みを理解してくれたのか、山盛り砂糖を別皿にして一緒に置いてくれる。
私はそれを遠慮なく全部カップに流し込んだ。
「今日は終わるの早かったんですね」
「なんか、頭を冷やせって言われちゃいました」
私が先生に弟子入りしたことはフレスさんも知っている。
疲れて戻ると甲斐甲斐しくお世話をしてくれたりする。
こうしていると、いいお嫁さんみたい。
私は紅茶のカップに口をつけた。
この地方の名産らしいお茶っ葉で入れた紅茶はほんのりとした渋みの中に深い香りが閉じ込められている。
それを大量の砂糖で程よい甘さに調節して飲むミルクティーは本当に落ち着く味で……
「きゃーっ!」
と、外から悲鳴が聞こてきた。
何だろう、水の入ったバケツでも零したのかな。
そんな風に軽く考えていると、外がにわかに騒がしくなった。
村の人たちが何事か騒いでいるみたい。
「何があったんですかね」
「さあ……」
最初の叫び声以外にも、大勢の声が聞こえてくる。
どうもただ事じゃなさそうなので、様子を見に行ってみようと立ち上がると、
「大変よ!」
勢いよくドアを開けてスティが駆け込んできた。
「ど、どうしたの?」
「はぁ、はぁ……」
スティは膝に手を付いて息を切らせていた。
よっぽど急いで来たんだろう。
「ともかく落ち着いて。はい、これでも飲んで」
フレスさんが水の入ったコップを差し出す。
スティはコップをひったくる様に受け取って中身を一気に喉に流し込んだ。
一呼吸置き顔を上げると彼女は大声で叫んだ。
「エヴィルが……エヴィルの大群が空に!」




