072:備えあれば憂いなし!
ラピスや子供達と別れ、再び南西のワラント国を目指して移動を始めた。
聞いた話によると、ライン公国のように巨大な国家ではなく、城と城下町を併せても神都ポートリアよりもずっと小さい規模らしい。
ただ、一つ気になっているのが、別れ際にラピスから言われた注意だ。
『必ずイクイプの町で装備を揃えてくださいね』
装備を揃えて行けとは、何とも物騒な話だ。
もしかすると、ワラント国はあまり治安が良くないのかもしれない。
『あっ、町が見えてきたよっ! きっとあれがイクイプの町だねっ』
うっすら遠くに見える町並みは…緑と茶色だ。
あの色合いは、竹や葉などを編んで作った家だろう。
前の世界で東南地域に行った時に似たような集落を見たので、恐らくそれと近い文化と思われる。
そう言った地域は総じて治安が悪かったので、やはりこの辺りから気を引き締めて行かねばなるまい。
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『似合ってるよカトリ! ……プッ!』
自分の頭には猫の耳、臀部には猫の尻尾が生えている。
ふざけているわけではなく、店主に「ワラント国に入る為に必要な装備をくれ」と言ったら、こうなってしまったのだ。
「何故こんな仮装を……。ワラント国とは一体……?」
自分の疑問に関して、店主が爆笑している。
「なんだお前、知らずにこの町に来たのか? ワラント国は獣神ティーダ様を崇拝しているから、国民は獣人の姿をしなければならないんだよ」
知らない単語がいくつも出たが、獣の格好をしなければならないという事は理解できた。
「だが自分は異国の者だぞ?」
「別に観光客は普通の格好でも良いんだけどよ。周りが全員獣人の姿なのに、自分一人だけ違うのはかなりキツいぞ?」
うっ……!
規律を重んじる国の人間としては、この店主の言葉は辛い。
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というわけで……
『カトリ、お手っ!』
「お前を……殺す。というか、それは犬だろう」
猫が馬に乗るという不可思議な格好でワラント国を目指しているわけだが、心なしか馬も不満げな表情をしているのが何とも言えない。
恐らく今日中にワラント国には着くはずなので、早くこの馬を楽にしてやりたいところである。
『ねぇカトリ~』
「なんだー?」
『さっきの町で人間たちが話してたんだけど、ワラント国に獣神ティーダが降臨したって、大騒ぎになってるらしいんだ』
「へぇ…」
自分の元居た世界とは随分違うとは思っていたが、まさか神まで降りて来るとは、わざわざこんな格好までして信仰する理由も頷ける。
『でもおかしいよ。この世界を創った創造神ラフィート様は間違いなく存在しているけど、獣神ティーダは人間が勝手に創った架空の神様なんだ』
なるほど、新興宗教らしい話だ。
「適当な奴を神として祭り上げて信者集めか。よくある話じゃないか」
『ボクもそう思うんだけど、もう一つ気になる話をしててね。どうやらその獣神ティーダは子供の姿をしているらしいのだけど、とても人間が仮装したとは思えない程に獣っぽいらしいんだよ』
あー、エクレールの言いたい事が分かった。
「実は獣神ティーダの正体が渡り人だー…って言いたいんだろう?」
『カトリ凄いね! よく分かったね!』
あそこまで御膳立てされて気づかない訳がない。
「残念だが、自分の居た世界には獣の姿をした人間なんて居なかったし、そもそも妖精すら居なかったんだ。神は八百万人も居ると言われていたが、一人も見たことが無いな」
『はぅー…』
返事を聞いたエクレールが残念そう肩を落とした。
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ワラント国は大陸南西に位置する小国という事は話に聞いていたが、雰囲気はイクイプの町と酷似していた。
恐らくイクイプの方がワラント国に似せて造られた町なのだろう。
城下町を歩く人々の姿は……犬、猫、馬、牛など皆が様々な姿をしており、中には鳥や爬虫類を模した者まで居た。
国の規模は小さいのだが、ここまで本気だと、仮装大国と呼んでしまっても良いかもしれない。
『妖精の格好をしてる人は居ないねぇ』
「さすがにな……」
夜にも関わらず街は明るく、とても活気づいているのが印象的で、もしかすると獣を模しているだけあって夜に行動する傾向があるのかもしれないな。
だが、この世界は夜になると魔物が徘徊して人々を襲うのではなかったのか?
この街の人々はどうして夜にも関わらず普通に出歩いているんだ?
「ひとまず酒場に行ってみよう」
当然の如く、酒場も大賑わいだった。
虎の格好をした店主の正面の席に座ると、早速声をかけられた。
「見ねぇ顔だな?」
店主が予想通りの言葉を吐きながら話しかけてきた。
ここで前回はエクレールを登場させてしまったせいで大騒ぎになったのだが、同じ過ちを繰り返すつもりは無い。
「ああ、獣神様が降臨されたとかで、お目にかかれればな、なんてな」
自分がそう言うと、店主が親指で店の隅の席を指した。
「???」
「獣神ティーダに会いに来たんだろ? アレだよ」
「『へっ!?』」
鞄の中に隠れていたエクレールと同時に素っ頓狂な声を出してしまったが、その席を見ると、狼の姿をした十歳前後くらいの小さな女の子が豪快に麦酒を何本も空けていた。
あの体のどこに入るんだろう……じゃなくて!!
「あんな幼い子に酒を飲ませるとか、この店は何を考えている!」
自分が非難の声を上げると、店主が青ざめながら奥に逃げて行き、それに続いて周りの客達も大騒ぎで店から出て行ってしまった。
「何なんだ……?」
唖然としていると、先ほどの女の子がゆっくりと立ち上がった。
「面白いコト言ってくれるね、お兄さん」
まるで獣のような赤い目を細めて不敵な笑みを浮かべる女の子。
その瞬間、何故か自分の右手が勝手に刀の柄に手をかけた。
……こんな小さな子供相手に刀を?
と、理性が訴えかけるよりも速く、無意識に身体が反応し、抜刀する!
ギイイィィンッ!!!
その刀に何か硬質な物がぶつかる音が響き、すぐにそれが目の前の子供の指から生えている爪だと気づいた。
「なっ!!?」
「今の攻撃に反応出来るなんて人間業じゃないよっ? どうして私が攻撃するって分かったのっ?」
とても嬉しそうな笑顔で問いかけてくるが、刀を圧してくる力を弱めてくれる気配は無く、関節からミシミシと嫌な音がしている。
街に来る前にエクレールが『仮装したとは思えない程に獣に近い』などと言っていたが、大間違いだ。
コイツは完全に獣だ……!
『カトリ! 避けてっ!!』
後ろから聞こえてきたエクレールの声に反応し、刀を引いてその場から飛び退いた。




