066:おさかな天国
長旅には資金が必要となるため、城に戻り国王に相談したところ、快く援助を受けられることになった。
国境を渡る事に関しても通行手形を発行してくれるとの事で、これで国境の移動に手間取ることも無さそうだ。
まあ、人を勝手に呼びつけておいて自給自足で頑張れとはさすがに言わないか……。
「しかし、チアにまで御足労をかけてすまないな」
この侍女の娘は自分の身の回りの世話のため、同行する事になった。
「ううん、本当は私が馬車を走らせないと行けなかったのに、御者さん付きで旅が出来るだけでも十分だよ。その分、しっかりと働くからねっ」
チアは王室で働く侍女向けの服ではなく、旅が出来るように身軽な服装になっているが、その荷物の量が凄かった。
中身は自分を世話する為の物が揃っているようだが、代わりに持とうかと提案したが「お兄ちゃんに荷物持ちなんてさせられません!」と即断られた。
自分としては妹に荷物持ちをさせているようで、余計心苦しいのだが……。
『ヌフフー、両手に花で旅だなんて、世の男共が羨ましがるよ~』
エクレールが訳の分からない事を言う。
「片手ならともかく、どこに両手分の花があると言うのか」
『………』
「おい! 無言で両手をこちらに向けるな! 冗談だ!!」
「ふふっ、私が花だなんて光栄だね~」
御者さんも思わず苦笑いしているではないか。
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それから予定より少し遅れ、十一日かけて馬車は神都ポートリアという街に到着した。
しかし馬車一台でひたすら遠方を目指すのを見た限り、この世界の移動手段は驚く程に原始的のようだ。
途中に「馬車一台で馬に無理させて頑張るのではなく、中継する街で馬車と御者を代えて乗り継ぐ方が効率的だろう?」と発言したところ、御者の男が驚愕していた。
この様子では、この世界に鉄道網が敷かれる事は当分の間、期待出来そうにない。
「わー、海だーっ!」
チアが馬車から身を乗り出して指を差した先には、丁度夕日が沈みかけた橙色の海。
神都ポートリアは海沿いの港町で、漁業が盛んらしく、街並みを見ていると自分の故郷の風景を思い出す。
「海は初めてなのか?」
「うん、普通は生まれ育った街から出ることなんてそう無いもの。王様の付き人とかなら別だけど」
なるほど、そんなものなのか。
街に到着して御者に別れを告げると、二人と一匹は宿に向かって歩き始めた。
「ここは規模が大きい割に道が石畳じゃないのだな」
「この街は物流が盛んで、お馬さんのためにあえて舗装していないみたい」
「物流……ああ、魚が穫れるからか」
そう言うと、チアが嫌そうな顔をする。
「魚は……苦手かなー。堅いし」
魚が堅い? この世界の魚は一体どんな姿をしているのだろうか。
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宿に到着して隣国から来た事を伝えると、既に手紙で詳細を伺っているとの事だったので、どうやらこの世界にも郵便の仕組みはあるらしい。
女将に案内されて、入り口の左手奥の階段から二階に上がり、寝泊まりする部屋に荷物を置くと、再び一階に戻った。
今回選んだ宿は一階に定食屋があるのだが、正直料理にはあまり期待していない。
移動中に寄った街の料理は、いずれも自分の舌には合わなかった。
……少し前まで飢えて死にかけていた事を思えば我が儘な話だとは思うが。
だが、ここで思わぬ物を見た。
「刺身……だと……」
さすがに醤油は無いが、香辛料や塩などで味付けをして生食するらしい。
異国では生魚を食べる日本の風習に対して否定的だと聞いていたのだが、この世界ではそんな事は無いらしい。
ただ、それを見たチアは不思議な顔をしている。
「あの白いブヨブヨ…なんだろう…」
「何を言っている? あれが魚だぞ」
「ファッ!!?」
自分と魚を交互に見ながら不思議そうな顔をしているチア。
……あぁ! そういうことか!!
「お前、干物しか食ったこと無かったのか!」
「え、干物…?」
そんなやり取りをしていると、常連らしき人達が集まってきた。
「お嬢ちゃんは内陸から来たんだなー。そりゃ無理もねえ」
「ハハハ、干さんと持ってったら、一日で腐っちまうよー」
まだ不思議そうな顔のままのチアを見て、思わず笑ってしまったが、せっかくなので女将さんに注文だ。
「女将さん、刺身定食ふたつ!」
……普通に伝わった。
どう考えてもこの世界にサシミという言葉があるわけもなく、恐らく国王の言っていた「翻訳」という仕組みなのだろう。
なんと凄まじい技術力だ……。
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というわけで、机の上に置かれた定食を見てチアは戦々恐々だ。
干物と刺身が頭の中でどうしても結び付かないのだろう。
不思議そうな顔をしているチアを眺めているだけで時間を潰せそうだが、そろそろ可哀想になってきたので、自分が手本を見せてやろう。
塩は見たままの岩塩のようだが、問題は一緒に添えられている香辛料だ。
胡椒や山椒のような見た目なので、それに近い味だと思うが。
「頂きます…」
少量で驚く程に辛い可能性も考えて、塩を多めにして頂いた。
これは……とてつもなく美味い!!
考えてみれば、刺身などここ何年も食べた記憶がない。
何の魚に似ているのかさえも思い出せないが、大変に美味である!!
『カトリ、何だか凄い顔してるケド……うわぁ! 泣いてるっ!!?』
ああ、涙くらい流すさ。
これ程までに美味いのだから。
白米があれば更に最高なのだが、そこまで望むのは強欲であろう……。
「チアよ……」
「な、なに…お兄ちゃん…」
「この定食は…最高に素晴らしいものだ…」
「な、泣くほど!?」
「ああ、泣くほどだ……」
向かいに座るチアが振るえる手で刺身を掴んで口に運んだ。
「………うわーーーーーっ!!!」
店に女の子の叫びが響き、客がざわつき始める。
「これが魚…。私が今まで食べていたのは…一体何だったの…?」
「いや、これは単に魚が美味いという理由だけでは説明出来ない。素人が魚を捌いてもここまで美味くはなるまい。料理人の腕が大変良いからだ!!」
それを聞いて床に崩れ落ちるチア。
「なんてことなの…私は今まで何の為に生きてきたというの…?」
「悲しむことはない! 人生はまだまだ長いのだ」
「お兄ちゃん!」
「チア!」
ひしと抱き合う二人を見て、店内は拍手喝采となる。
…あれ? 自分は一体何を……。
翌日、異国からやって来た兄妹があまりの美味さに感動して泣き出した定食屋として大繁盛し、その御礼に一番良い部屋が割り当てられた。




