005:悲しみよこんにちは
そんなこんなで十数年ぶりに学生生活をエンジョイしているわけだが、感想は「意外と普通」である。
社会人として長年働いていると「また学校に行きたい!」とか「小学生から人生をやり直したい!」「今度はちゃんと勉強するぞ!」などと思ってしまうのだけど、いざ10歳の身体で再び学校に通えるようになると、授業中に落書きしたり周りの悪友と駄弁ったりと、やっていることは当時のまま。
「さっさと休み時間こねーかなぁ…」
休み時間が一番楽しみなのも当時と同じ。
三つ子の魂百までとは、昔の人は上手いこと言うもんだ。
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「えー、ここにこの数字がきてー。えー、この数式に当てはめると、えー…」
営業セミナーの講師が喋るときに「えー」とか「あのー」を言う変な癖があると、そこばっかり気になって全然頭に入ってこなかったり、無意味に「えー&あのー」の回数をカウントして微妙な気分になったりしたけど、まさかこっちの世界でも同じ気分を味わうことになるとは…。
だが幸いにも教科は算術、つまり算数だ!
文字の形は違うものの同じ10進法が採用されているので、転生前の知識がそのままフルに使えて、いわゆるチート&俺ツエー状態に等しい!
元ビジネスマンの底力を見せつけてやる!!
「えー、ではクリスくん。この問題を…」
先生に当てられ、前に出て解答を書く。
ドヤァ!
「えー、惜しい! えー、ここは9ではなく8だな。えー」
ウヒィィ! 子供向けの算数問題で間違っちゃったよ!!
しょんぼりと落ち込みながら席に戻ると…
「まあ、長いこと休んでたんだもの。仕方ないよっ!」
笑顔で慰めてくれる委員長。
この子の笑顔は俺の傷ついた心を癒やしてくれる……。
『……ロリコン』
うるせぇ、と言いそうになるのをグッと飲み込んで、席に戻った。
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「いつになったら魔法を習うんだろうなー?」
休み時間にいつものメンツで集まっていたところ、クラスメイトの一人が俺の言いたいことを代弁してくれた。
「確かに、ワクワクするよな!」
「先輩から教えてもらったんだけど、3学期からだってー」
「じゃあ半年後には、ついに俺も魔法が!!」
「バーカ、最初は座学だけで実際に魔法実技は上級生になってからだよ」
『ちくわ大明神』
「えー、つまんねー」
やっぱり子供にとって魔法はワクワクするものなのだなぁ。
…何か余計な一言を割り込ませたバカが居たけど無視しよう。
「そうか、あと半年後か…楽しみだな」
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放課後はいつも通りクレアのところへやってきた。
結局、退院後もほぼ毎日通っているし、もはやクレアがそれを指摘することもなくなってしまった。
「というわけで、三学期から魔法の授業が始まるらしい」
「先生の配ってる"よい子のたより"に……ちゃんと書いてあったよ……?」
「あー、鞄の中で丸まってる気がする」
「悪い子……」
ぐうの音も出ない。
それから少しだけ無言になり、クレアが口を開いた。
「私は……魔法を習う前に退院できると思う……」
「本当か!!」
「パパとママから手紙が届いてね……。もうすぐお薬が買えそうなんだって……」
そう言ってクレアが嬉しそうに笑う。
「そっか、良かったな!」
「うん……嬉しい……」
ここ最近は起きて話すだけでも辛そうだったから、本当に良かった。
それにしても、病気で入院している愛娘への連絡手段が手紙とは…。
入院中に一度もクレアの両親に会わなかったが、それほど遠い所に出稼ぎに行っているのだろうか?
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今日は朝からずっと雨ザーザー。
微妙に服やら髪が濡れた状態で客先に突撃すると、新規のお客さんがちゃんと話を聞いてくれる確率が上がるんだよなぁ…と、前の生活を思い出しながら教室から窓の外を眺めている。
この世界にも傘はあるものの、人類が撥水の利便性に気づいて雨傘が発明されたのはごく最近で、しかも使うのは大人の女性に限られるらしい。
街の人々は全身びしょ濡れでも全然気にせずに道を闊歩していたりするので、雨に濡れるのを避けたいという価値観そのものが根付いていないのだと思われる。
確か転生前の世界でも、もともと女性専用だった雨傘を、とある男性が変態呼ばわりされながらも何十年も傘を使い続けることで、結果的に傘を使う文化が出来たと聞いたことがある。
「雨やまねーなぁ。ヒマだーっ」
「こういう時は読書でもして過ごすものよ」
「Zzz…」
クラスメイト達が雨空を見ながら、のんびりと過ごしていると……
ピカッ!!
「うわー! 光った!! 雷だ!!!」
「隠れなきゃ!!」
ドタドタドタッとクラスメイト達が物陰に隠れる。
「クリスくんも早くっ!」
委員長に手招きされたので、何となく早足でトトトッとそちらへ向かう。
なるほど、いわゆる「雷様にヘソを取られる」みたいなもんか。
こちらの世界では雷に見つかると撃たれるとか連れて行かれるとか、そんな感じなのだろうな。
ピカッ
…
…
…
ドオォォォン!!!
「キャーーーーッ!!」
「うわーーーっっ!!」
腹に響く落雷の爆音で教室はパニック状態に。
「うーん、これは近いなー。稲光と雷鳴の時間差から1km以内かなー」
そして一人だけ冷静に窓の外を眺める俺。
「…クリスくん、ホントたくましくなったよねぇ」
委員長がしみじみ呟く。
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結局、雨が激しくなってきたため本日の授業は2時間目で中止になった。
帰りのホームルームの内容はもちろん「雨天時の下校の心がけ」である。
「気象調査魔法で雨雲を調べたところ、この雨はいつ止むのか全く分からないそうだ。そして、大通りから西部に繋がる渡り橋が増水のため通行禁止になっているから、くれぐれも近寄らないように!」
我が家は大通り前にあり、渡り橋を通った先にメディラ病院があるわけで、つまり今日はクレアの御見舞に行くことができないということだ。
うーん、今日も顔を覗かせたかったのだがなぁ…。
『愛しのあの子の顔を見たかった、の間違いじゃないの?』
「よーし、お前を昆虫標本にしてやる!」
『虫!? 私を虫扱いですってぇ!!?』
陰鬱な天気だが、このバカ妖精のおかげでちょっとだけ元気が出た。
「明日は晴れると良いんだがなぁ…」
しかしこの願いは叶わず、雨は三日三晩降り続いた。
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ようやく雨が止んで、空は雲一つ無い晴天。
しかし、いざ外に出ると大人達はてんやわんや大忙しである。
連日の大雨により、街中では床上浸水や未舗装路の陥没などのトラブルが多数起きており、山間部などでは土砂災害や農作物への被害もかなりあったらしい。
浸水被害の出た倉庫の片付けや土嚢の撤去などで、今日1日はどこも仕事になるまい。
なので、それに伴って今日は学校も臨時休校になっている。
気になる大通りの渡り橋は通行規制が解除されているようなので、せっかくだし今日は久しぶりにクレアの御見舞に行くとするかな。
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メディラ病院に到着し、いつものノリで挨拶を。
「オッス、オラご…」
…いつものノリで病室に入ろうとしたが、異様な雰囲気に言葉が詰まる。
何があった……?
入り口で立ち尽くしていると、クレアが俺を見上げて弱々しい笑顔を向ける。
「うん………こんにちは………」
ほとんど聞こえない程に小さな声に、俺も返す言葉が見つからない。
そんなクレアを見て、美人ナースのお姉さんはこらえきれずに泣き出してしまった。
同室の子供達も皆、うつむいてずっと無言のままだ。
「な、なあ…っ! …な…何があった…」
乾いた喉から声を絞り出して聞いてみるが、最悪の答えが返ってくる予感がする。
頼む、頼む、頼む、頼む……!
嫌だ、嫌だ、嫌だ、辛い話は聞きたくない……!
「パパとママ、死んじゃった………」