114:海の向こうからはるばると
「ちょっといいかしら?」
私が老人に話しかけると、その人は嬉しそうに笑った。
「ヌッフ! ワラントへ来て早々にべっぴんさんに話しかけられるとは、老いた身体に鞭打って遠出して来た甲斐があったわい」
なんだこのジジイ。
しかも、私が訝しげな顔になるのを見て「ウッホ! その目もたまらんのぉ! ゾクゾクするぞい!!」とか言い出して大変困った。
「ワシがもう30若ければのぉ」
「年齢以前の問題よ……」
私にとってはこのジジイも赤子みたいなモノなのだけどね。
「冗談はさておき、わざわざこの老いぼれに話しかけてきたとなると、何か事情があるのじゃろう?」
「ええ、この国に獣神ティーダが現れたと聞いて、詳しそうな人を探してたの。でも、さっきの口ぶりからして、貴方も他所から来たみたいね」
ジト目のまま残念そうにぼやく私を見て、今度はジジイはかんらかんらと豪快に笑った。
「なあに余所者ではあるが、これでも南の海の向こうにあるオースという街で考古学研究所の所長をやっとってな。そこら辺の馬の骨よりは多少詳しいと自負しておる。それに、観光地というものは地元の者よりも客の方が詳しいものじゃろう?」
確かに私もお店をやってて、観光客から質問されて初めて地元の名所を知った~なんてこともあったなぁ。
それをクリス君に言うと「勉強が足りない!」とか一蹴されそうだけど。
そんじゃいっちょ、このジジイの腕試しをしてみようかしらね。
「なら、この世界で70年前にどんな事があったかは知ってるかしら?」
私が軽くジャブを放つと、ジジイはポカンとした顔をした。
「いきなり前史の話を振ってくるとはなかなか強者じゃのぉ。渡り人に殺し合いをさせる悪趣味な娯楽で盛り上がっていた王族が、うっかり魔王を召喚してしっぺ返しをくらった、酒のつまみにもならん話であろう。お偉いさん共は無かった事にしたいようじゃが、人の口に戸は立てられんでな……。まあ、こんな面白みの無い話は語り継がぬ方が良かろうて」
いきなり満点の解答でカウンターが返ってきて驚いた。
厳密には召喚された魔王と実際に魔王を名乗った人は別人なのだけど、そこまで具体的な資料が遺されていないのだから仕方が無い。
だけど、この人が酔狂で考古学者をやっているわけではない事は分かった。
「前に獣神が姿を見せたのもその頃じゃな。そして、獣神がどこかの飲み屋に入り浸っていたという文献も残っておるのじゃが、残念ながら具体的な店名までは書かれておらんでな……」
うわー、惜しい! でも偶然とは言え、その入り浸ってた店にノーヒントでたどり着いちゃうだけでも凄いよ。
「仕方なく毎日色んな酒場をハシゴしておるわけじゃが、どういう訳か獣神が姿を見せた店は一件もなくてのぅ」
「っ!?」
「文献に書かれる程までに人の集まる酒場に入り浸りたがるような神が、数十年ぶりに姿を見せたにも関わらず、全く酒場に顔を出さないというのは、はてさてどういうことじゃろう? ……あまり大きい声で言うと袋叩きにされそうじゃが、ワシは再降臨の話は嘘じゃと思っておる」
確かに、私がこの店にやってきたのは情報収集という大義名分はあったものの、自分の特等席で一杯やりたかったのが一番の理由だった。
つまり、このジジイは自らの仮説で獣神の出現パターンを予測し、噂の獣神と遭遇しない事に違和感を覚え、自力で偽者説に到達したという事になる。
「獣神ティーダは恥ずかしがり屋さんで、姿を変えてコッソリ呑みに来てるんじゃないの?」
「じゃが、獣神はとんでもない目立ちたがりと書かれておったぞ……?」
おい、誰だよそれ書いた奴。
私がキレ気味に不満そうな顔をすると、突然頭の上をポンポンされた。
「じーさん、その話詳しく教えてくれないか?」
「っ!?」
唐突にダーリンがジョッキ片手に話に参加してきた!
「良かろう。数十年前に降臨した獣神は、夜な夜な酒場をハシゴし、気にくわないチンピラに喧嘩をふっかけては叩きのめし、いつしか人々は獣神を『夜の女王』『回避不能の大嵐』の二つ名で呼ぶようになった……などなど、数々の伝説を残しておる」
「うははっ! ずいぶんヤンチャだったんだなぁ~」
ダーリンが笑いながら横目でコチラを見ているのが居たたまれない。
若気の至りだから許してくれえ……!
「他にも、神殿の床下にビンテージ物の蒸留酒を隠していたとか……」
ちくしょう! 秘蔵酒の存在までバレてたのかっ!!
早く回収しないと……って、今どこにあるんだっ!?
「ちなみにその酒は先日、獣神の元に返されたそうじゃ」
………はい?
「えーっと、その隠し酒はつまり……」
「獣神様が召し上がったという事じゃな」
………。
バターーーーーーーーンッ!!!
「おおおおおいカレン!! 受け身無しで顔から前のめりに倒れるとか、今の絶対痛いだろっ!!!?」
「大丈夫かお嬢ちゃんっ!?」
ははは、私の秘蔵のお酒が……。
私の………クスン。
◇◇
結局、ダーリンに過去の「お痛」がバレるわ秘蔵酒が偽者に取られるわと散々な状況で、私の酔いは一気に醒めてしまった。
はぁ、何だかテンション下がるわー……。
「老いぼれが余計な事を言ってしまったかの」
「いや、大丈夫……。ちょっとダメージがね……」
「ふむ……」
ジジイは腕を組みながらしばらく考え事をしていたが、荷物袋をゴソゴソとしてから何かを取り出した。
「お主にはこれをやろう」
そう言って机に置かれたのは、古ぼけたアミュレット。
あれ? コレどっかで見たことあるような???
「この街がモンスターに襲われた時、獣神が応戦した際に落とした物じゃの」
「えーーっ!?」
空飛んで襲ってきたデカい蝙蝠と戦った時かっ!
たぶん、吹っ飛ばされて壁に叩きつけられた時に落としちゃったんだなー。
「いや、でも……なんで私に???」
キョトンとした私を見て、ジジイは再び豪快に笑った。
「せっかくの装飾品をこんな老いぼれが持つより、ちゃんと持つべき者の手に渡る方が良いもんじゃよ」
そう言いながらジジイはカウンターに代金を置いて、機嫌良さそうに店から出て行くと……
「今度は落とさんようになー」
「っ!!!」
慌てて表に飛び出したものの、そこにジジイの姿は無く、私は呆気に取られながら席に戻った。
「あのじーさん、カレンの事に気づいてたんだな……」
「知ってる上で私に散々ムチャ言って勝ち逃げとか、ムカつくわー……」
不満げに頬を膨らす私を見てダーリンは楽しそうに笑った。




