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両手いっぱいに花束を  作者: 優悠
はじまりのお話。
5/35

#5


「久しぶりだね、信子。……それとも、リーネって呼んだ方がいい?」

 悪戯っぽく笑う彼女に微笑み返し私は久しぶりに聞いた『リーネ』という名前にくすぐったさを感じた。

 『リーネ』とはこの世界での私の名前だ。

 少し離れてから改めて呼ばれると、あの頃の自分のネーミングセンスのなさに苦笑いしてしまう。

「ふぅちゃん、久しぶりだね。元気にしてる?」

 『風歌』というのが彼女の名前だった。

 現実の世界でも、この世界でも共通の名。

 実際の名前なのかどうかはわからないし、メールだけのやり取りの関係の私たちは直接会ったことがなかったから本当の姿を知らない。

 けれど、それを深く考えたことはなかった。

 私は『風歌』に出会い、彼女に影響されて彼女に憧れていた。

 それがすべてだから。

「ちょっとステージに上ってみる?」

 ためらう私に「大丈夫。不法侵入になんてならないから」と笑う彼女に手を引かれて私はずっと夢見ていたそのステージに上がった。

 ライブハウスのステージとは全然違う広さ。見たことのない景色に私はあの頃と同じように胸を高鳴らせていた。

 端から端まで歩いてみて、その広さを体感する。

 この広いステージをたった一人で使ってお客さんを盛り上げる、それがどれだけすごいことなのか……

 ライブハウスでいろんな経験をしてきた私にはわかった。

《演出がないからつまらないよね》

《ただ歌ってるだけで見てて飽きてくる》

《自己満足のカラオケ大会かよ》

 そんな言葉をどれだけ浴びせられてきたか。

 その度に私はいろんなライブハウスへ行っては勉強をした。

 ある人は歌うことよりもお客さんと話す時間を大切にしていたし、ある人はバンドメンバーと一緒に楽しそうに走り回りながら歌っていた。またある人はとても自然体で歌いたいときに歌ってのどが渇いたと水を飲み談笑をして、次はどの曲歌おうかなー、とお客さんとゆったりとした時間を過ごしていた。

 あの時の私はこのステージしか見えていなくて、お客さんすら『数字』でしかなかったんだ。

 そもそもあの頃の私は歌うことを楽しい、と思えていただろうか?

 歌っている本人が楽しくないものを、他人が見て楽しいと感じるだろうか。

 私はなぜふぅちゃんに憧れたのだ?

 楽しそうにしている姿がキラキラと輝いていたからではなかったか。

 憧れたステージに上がってみて再確認したこと。

 逃げるように離れて初めて気付けたこと。

 すべてを胸に私は改めてこのステージで歌いたいと思った。

 それがどれだけ難しいことなのかはわかっているし、どれだけ昔の自分の間違いに気付いたところで結局のところ『数字』がすべてなのは変わらない。

 だからすぐにたどり着ける場所ではないのだと十分にわかった。

 別に夢を諦めたわけじゃない。

 ただ私は数字を稼ぐためのライブなんかではなくて、自分の歌を好きだと言ってくれて、気まぐれに開くライブに何度も足を運んでくれる人たちの関係を大切に、みんなと盛り上がれるライブをしたいと思った。

「ねぇ、信子。まだ時間ある?」

 時計を見れば八時を回っていたが、家で待っている千草は大人だ。

 きっと私が帰るまで食事を待っているだろうけど耐えられなくなったらカップラーメンでも啜るはずだ。

 それに事情は昼間に説明してあるしさほど心配はしていないはず。

 それでも仕事を辞めた私と違って明日から仕事の千草に朝食を作ってあげたいからそんなにも夜更かしはできない。

 いろいろ考えた結果、私は「日付が変わるまでは」と返事をした。



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