#6
ドアを開けると、私に気付いたマスターが「今日は来ないのかな、と思ってました」とにっこりと笑いながらおしぼりと水をカウンターに静かに置き「何にしますか?」と尋ねてきた。
「んー、じゃぁ、ホットココアで」
言いながら店内を見回すが、私以外は誰もいないようだ。
つまりふぅちゃんの姿もなかった。
そんな私に気付いたのかマスターが「風歌さんもまだ来てないんです」と声をかけてくれた。
先ほどのカフェと違って静かで落ち着いた雰囲気だ。
焦げた匂いどころか、甘くて香ばしい香りが店内を包み込んでいて、静かな店内には綺麗なピアノの音色が響き渡っている。
こちらの方が断然安らげるだろう。
私は騒がしかった面々を思い出して苦笑いする。
しかし、あの雰囲気も嫌いではなかった。
むしろきっと私はおしゃれで品のある喫茶店よりもあれくらい騒々しいアットホームな感じのカフェの方が好きなのかもしれない。
そんなことを考えていると目の前にコトっとカップが置かれ、その隣にスイートポテトが乗った小皿が一緒に置かれた。
「ちょっとスイートポテトが食べたくなって、作ったんですけど作りすぎちゃったんです」
照れたように笑う彼女に「ありがとうございます」と返して、とりあえずココアを啜る。
濃すぎず薄すぎずココアの風味が口いっぱいに広がる。
ココアはどこの店に行ってもあるが、おいしい!と思うココアに出会えることはあまりなくて私は感動した。
その感動を残したままスイートポテトを口にすると、これまた甘すぎないでさつまいもの風味がしっかりしていておいしい。
「マスター、現実でやっていけるんじゃない?」
心の底から思った感想だった。
えへへ、と嬉しそうに笑うマスターは「ありがとうございます」と小さく頭を下げて、でも、と続けた。
「好きを仕事にするのってなんか怖いんですよね。……いつか嫌いになっちゃう日が来るんじゃないかって」
趣味は趣味のままの方がいいんです。
そう寂しそうに笑う彼女。
なんとなくでもその気持ちはわかる気がした。
私もまた好きで歌っていた歌を夢を追いかけるあまり嫌いになった時期があったから。
「だから、ここでマスターやってるくらいがちょうどいいんです」
ほら、この世界はやりたいようにやれる都合のいい世界でしょ?
都合のいい世界……
確かに自分の好きなことを好きなようにできる。
素性を明かさなくていいから言動に無責任でいられたりもする。
しかし、それは本人にとっての都合のいい話で、心ない言葉を投げかけられた方は傷として現実世界にまで引きずることになるんだ。
そしてそんな傷を抱えていることを告白すれば「ネットと割り切れない奴はネットをやるな」と見捨てられる。
この世界にいる皆は皆自分の欲求を満たすためにここへやってくる。
そこに他人への情なんてあってないようなものなのだ。
何十人といろんな人と関わってきて、心のない言葉を浴び続けてきて私がこの世界で学んだことだった。
確かにこの世界は都合のいい世界だ。
しかし、私のように人のぬくもりに触れていたいタイプの人間には生きにくい世界。
「リーネさんは、この世界がお嫌いですか?」
しばらく考え込んでいるとマスターがふと声をかけてきた。
「へ?あぁ、うーん。……どうだろう。私は」
私は……
この世界が好きだったはずだった。
全てがキラキラ輝いて見えて、いろんな人に出会えて、いろんな経験をして、この世界には現実にないものがたくさんあるんだとワクワクしていた……はずだった。
いまはどうだろうか?
そんなに考えなくても自然と答えはするりと出てきた。
「すべての言葉を受け入れてしまう私は、この世界に生きにくいタイプの人間だと思います。言い方を変えるとすれば……このゲームは私に向いてはいないんじゃないかな、って思いますね」
へへ、と笑って見せるが、たぶん引きつっていたに違いない。
その証拠にマスターは寂しそうに微笑むばかりだった。
そしてマスターは思い出したようにエプロンのポケットから一冊のメモ帳を取り出してペラペラとめくり視線はメモ帳のまま口を開いた。
「そんな自分でも向いていないと分かっていながらこの世界へ足を運び探し続けている例のプルメリアさんという方なんですけど……最近は誰も姿を見ていないようです。一時期は少し先にある『プラネット』というカフェに通っていたようですが」
私はその情報を聞いて驚いた。
プラネットというのはここへ来る前にルコと共に行ったカフェのことだったのだ。
「兄ちゃん」はあそこへ何しに行っていたのだろうか。
日中はカフェとして経営されているようだから、客としていったのだろうか?
それともルコたちの仲間?
今度会ったときにちょっと詳しく聞いてみよう。
そう思いながら私はマスターに礼を言った。
そして時計を見ながら私はため息をつく。
「そろそろ帰らないと。明日も朝早いんです」
「じゃぁ、風歌さんには私から伝えておきますね」
ありがとう、ともう一度礼を言うと私はカフェを後にし、足早にゲートへと向かった。




