第五話 精霊の祝福
翌日、お勉強の時間の後で、さりげなくエルシアに例の噂 …… 『マリシリスティア姫は高熱を出して病死?! 今の姫は替え玉なのか?!』を、耳にしたと言ってみた。わははは。『週刊誌の見出し』みたいだ。
エルシアは、私の耳にまで噂が入っている事に血相変えて、すぐに母上の執務室に連れて行ってくれた。エルシアは、私への影響をとても心配してくれていた。調子に乗ってノリノリで話して、ごめんなさい。
母上の執務室は、相変わらず忙し過ぎて、誰にもが自分の仕事に熱中していた。だから、室長達には敢えて声を掛けなかった。
私達は、母上の執務室奥の休憩室に真っ直ぐ案内された。母上は、私を膝に横向きに座らせて抱きしめて微笑んだ。うふふ。スキンシップは大事だよ。
「あら、その噂は大丈夫。解決しているのよ。だから、もう心配いらないわ。それより、王太子殿下が起こした問題で頭が痛いわ。ふふっ …… 」
「えっと、私の病死と入れ替わり説を、どうやって解決したのですか?」
「 …… ふふっ。それは、また今度ね」
あら、母上が誤魔化した?! これは、聞いちゃダメって事かな? 母上が駄目なら、父上に会ったら聞いてみよう。父上が駄目なら、シド様に聞いてみよう!
最近、父上はとても忙しいので、母上の執務室にも来ていなかった。何でも、他国から要人が王宮を訪問する予定だそうだ。王宮の式典警備や要人警護は、近衛騎士団のお仕事だからね。この前、父上に会ってから十日は経ったかな? ありゃりゃ、王宮内単身赴任状態だよ。
それにしても、王太子殿下が起こした問題って何だろう?
「母上、何があったのですか? …… ヒイッ!」
母上は、額に青筋をたてながら、麗しい微笑を浮かべた。なんて器用な表情筋なの! 母上の絶対零度の視線に射殺されそうだから …… えいっ! クッションでガードしちゃえ。
「馬鹿兄と奴の派閥の貴族どもが、アレクシリスとゲンタリオス国の王女と婚姻させようとしているのよ ……!」
「えっ! シィ様は、まだ五歳になったばかりでしょう!」
「王族の結婚は、条件さえよければ年齢なんて関係ないわ。身分、政治的、結婚適齢期が重なる年齢差なら …… 特に、婚約者としてだけなら、幼い頃から婚家の王族として、他国の王宮で育てられる場合も珍しくないの。ふふっ …… 王太子派の奴ら、陛下がご病床の内に、勝手に決めてしまおうと画策した事、後悔させてあげなくてはね …… 」
「シィ様は、婚約のお話を知っているのですか?」
「私の目の黒いうちは、そんな事を許すはずないでしょう。シシィに、余計な事は言わなくてもいいわ。マリーも黙っていてね」
「はい、承知しました。 …… はっ! 来訪される要人って、ゲンタリオス国からですか?」
「ふふっ。どうやら、シシィに会うのが目的らしいのよ。大丈夫よ。そいつは、私がオモテナシしますからね」
「オモテナシ、怖っ!」
母上は、そう言って笑いながら怒っていた。妖艶な美女の氷の微笑にガクブルだよ。エルシアが、簡易キッチンからお茶を持って来てくれたのに、そのまま回れ右して …… あっ、逃げないで! お願い、助けて! エルシア〜っ!!
ファルザルク王国の直系王族は、たった五人しかいない。国王アレクサンドロス、王太子アレクトレス、母上のアレクサンドリア、第二王子のアレクシリスと王孫の私だ。
貴族達は、王太子殿下派と王女殿下派と中立派に分かれていた。王位継承者のまわりを、取り巻きの貴族達の思惑がドロドロ渦巻いている。
それが最近、傀儡の王太子殿下よりも、政治手腕の高い王女殿下を次代の国王にと望む派閥が、中立派を大きく取り込んだ。貴族の派閥は、水面下で争われているとはいえ、中々にシリアスな政情だ。
普通、王位継承争いだなんて、王族の結束が強ければ起こらないはずだ。
でも、母上の兄は、王太子の地位にあっても、妹姫である母上の失脚を狙い続けている。叔父と母上は正真正銘、同じ父母から生まれた兄妹なのに、幼い頃からとても仲が悪いのだ。むしろ、二人は憎み合っているみたいに感じる。
二人の母君は、母上を産んだ直後に亡くなった。それが、まず原因の一つ。二人は、複雑な事情で別々に育った。一言で言えば、血のつながりのある他人だ。
…… 二人の確執は、他にも色々ありそう。
シリスティアリス妃殿下のご実家は、ハイルランデル公爵家。家柄、容姿、知性、品位、全てに秀でたシリスティアリス様は、ご幼少の頃より王太子殿下の婚約者だった。
それが、王立学園の卒業式の日、王太子殿下は婚約破棄騒動を起こした。王太子殿下は、在学中に真実の愛とやらを男爵令嬢と見つけた。そして、シリスティアリス様と婚約破棄し、男爵令嬢と新たに婚約し、後に結婚した。何でも、宰相が男爵令嬢を養女に迎えたから、王太子妃になる事が出来たそうだ。
アレクシリスの母上、シリスティアリス様は、学園を卒業した直後に、国王陛下の後妻として王家に嫁いできた。当時、お祖父様は、まだ三十代後半だったし、後妻とはいえ国王の正妃だ。最初は、婚約破棄されたシリスティアリス様の名誉の為にされた婚姻だと私は思っていた。
しかし、真相はシリスティアリス様が国王陛下に逆プロポーズしたそうだ。マジですか …… 。
翌年、王太子殿下は件の令嬢と結婚した。二人の間に、まだ御子様はいない。
学園卒業式の婚約破棄騒動で、幾つかの上位貴族が処分を受けた。身近にいる、エルシアの実家がその一つだ。
学園時代、ノーリーズ伯爵家嫡子だったエルシアの兄が、例の男爵令嬢を奪い合って、王太子殿下と決闘をして、殿下に怪我をさせた。王族に、危害を加えた者は、反逆罪で貴族であっても血縁者は全て処刑される。
だが、決闘が王太子殿下の一方的な強要だった上に、怪我をさせたのも故意ではなかった。しかも、目撃者が大勢いたから母上達の嘆願でなんとか一族は減刑された。
エルシアは、家族が反逆罪で処刑されなかったのは、母上のおかげだと感謝している。残念ながら、彼女の兄は処刑されてしまった。ノーリーズ家も、伯爵から男爵に降格され、領地や財産も大部分を没収されたそうだ。
ノーリーズ夫人は、母上の乳母だった。長女のナサラフィ=パティ=ノーリーズは、母上の侍女頭を務めている。次女のヴィヴィアンの夫は、母上の従者頭のガブラン侯爵だ。そして、三女がエルシアになる。
そして、私の専属護衛騎士の二人、ブーフィング子爵親子だ。当時、父親のロベルトは、近衛騎士団長だった。ロベルトの長男、イトラスは王太子の専属護衛騎士だった。
卒業式の婚約破棄騒動直後、次男が不祥事を起こして処分を受けて失脚した。次男は、王太子殿下の婚約者となった令嬢を、誘拐しようとした。誘拐未遂の罪で流刑にされた。
父親のロベルトは、責任を問われ近衛騎士団長の役職を失った。兄のイトラスは、王太子殿下の護衛騎士を解任された。
しかし、二人は群を抜く実力を持つ優秀な騎士だ。父上の信頼も厚く、私の専属護衛騎士を新たに任じられた。そして、私の事情を知る協力者だ。
私の主治医リカルド=ベイルクス先生も、間接的に処分を受けた一人だ。
騒動以前は、リカルドレア=ルクス=アルタイゼスという名で、アルタイゼス侯爵家の次男だった。そして、幼い頃から王太子殿下のご学友の一人だった。
当時の先生は、『学園での王太子殿下の監視と報告をせよ』という父親からの命令を無視して、男爵令嬢との交際を黙認したのだ。
アルタイゼス侯爵は、ハイルランデル公爵と懇意な間柄だった。それにも関わらず、シリスティアリス様が婚約破棄されるまで、何も知らなかった事で、面子を潰されたと怒り狂った。侯爵は、反抗的な次男の身分を平民に堕として放逐した。
先生は、リカルド=ベイルクスと名を改め、母上の協力で隣国に留学した。そこで最新の医療を学び、帰国後は近衛騎士団の専属医をしている。
当時の学園で何があったのか、全て知りたいような、知りたくないような …… 。一見、乙女ゲームのざまあな展開かと思ったが、結局はいったい誰得?! な展開だ。
冷静に客観視すると、処罰を受けた貴族の派閥に偏りがあるし、どこか仕込まれた様な違和感がある。水面下で準備や根まわしがされた策略なのか …… ? それとも、ただの偶然なのか? 私の考え過ぎだろうか …… ?
ただ、乙女ゲームの『世界の強制力』的な物騒な運命が、存在しないように祈った。
「シド様。 …… で、どうなったのですか?」
「 …… 何がだ?」
私は、お昼寝もそこそこに、蝶の群れに導かれて『妖精の庭』にたどり着いた。
これも不思議なのだけど、私が『妖精の庭』を訪れると、必ずシドがいる。シドは、大木の下に座り込み、珍しく本を読んでいた。私は、彼に尋ねる。
「国王陛下の孫姫死亡説のお話です!」
「ああ、その話か …… 」
シドは、本を閉じて立ち上がり、私に手を差し出した。私は、彼の左手を取り並んで歩き、長椅子に二人で座わる。
「お嬢さんの周りは、この噂の顛末を知らないのか?」
「皆様、色々と忙しくて、お話しする暇がないのです」
「なんだか、俺が暇だと言われている気がするな。お嬢さん」
「あら、シド様、違いますか? ふふっ …… 」
シドは、私が笑った瞬間、とても驚いていた。ボサボサの髪で顔がよく見えないから、正確にはそんな感じがしたのだ。シドが驚くような、何かあったかな? 何だか仕返しとばかりに、シドに頭をわしゃわしゃと撫でられてしまった。力加減が強いから、くっ、首が、頭がグラングランする。
「お嬢さんは、もちろん知らないだろうな …… 。マリシリスティア姫が、生まれた時は王宮が大変な騒ぎになった」
「新しい王族が、生まれたからですか?」
「それもあるが、王宮に精霊が溢れかえったからだ」
「 …… せ、せ、精霊?!」
何ですと! 魔法がある世界なだけでなく、精霊がいるのですか! 新事実に、カミまくりました。
「マリシリスティア姫は、生まれながらに『精霊の祝福』を授かっていた」
ええっ! 知らないよ?!
「『精霊の祝福』って、何ですか?」
「精霊が人と契約を結ぶ事を『精霊の祝福』と言うのだ。マリシリスティア姫には、生まれながらに新たに生まれた精霊が憑いている。それで、王宮には精霊が溢れたのだ。新たな精霊とその契約者の誕生を祝うために …… 。だから、王宮の精霊達に異常がないのに、姫が死んでいたりするはずないだろう。『精霊を視る』魔術士が、王宮内外の精霊に異変や異常は無いと証言している」
「わぁ、なるほどですね。わ、姫様の精霊って、何の精霊なのですか?」
我ながら、白々しい言い方だよ。だって、衝撃の告白だよ。両親も、誰も教えてくれなかった! 初耳だよ!!
「俺は、知らん。『精霊を視る』ことが出来る者は少ないし、会話することが出来る者はもっと少ない。ただ、高位精霊らしいとしか分かっていない。何の精霊なのかも、秘密にされているようだな。或いは、まだ何の精霊になるのか決まっていないのかもしれない」
「わた、姫様にも、わからないものなのですか?」
「 …… 『精霊の祝福』を授かっても、『精霊を視る』能力があるとは限らない …… らしいな」
そうだよね、私は今まで一度も精霊さんを視たことないよ。精霊って、精霊って、いったい何ですか?!
「ふっ、なんて顔しているのだ。そうだな、『精霊の祝福』を持っているからといって、どうって事も無いらしいぞ」
「 ………… ??」
そんな馬鹿な話はないでしょう! 『精霊の祝福』だなんて、大層なモノとしか思えない!
「例えば、『小麦の精霊』の祝福持ちは、小麦を育てるのが上手かったり、小麦粉の料理が上手かったりする」
「こ、小麦? それはまた、親しみのある精霊ですね」
「『砂利道の精霊』の祝福持ちは、砂利道を歩いても転ばないし、転んでも怪我をしない。とか、『ミルク壺の精霊』の祝福は、壺のミルクが腐りにくいとか、他にも色々ある」
「ふふっ、『精霊の祝福』って、親しみがあって色々と面白いのですね」
「ああ、『湖の精霊』の祝福持ちは、湖の魚を好きなだけ捕れたが、湖の生き物を捕り尽くしてしまい、『湖の精霊』を滅ぼして祝福を失った。高位の『火の精霊』の祝福持ちは、感情が昂ると周りが炎に包まれたせいで、町が一つ焼け落ちたそうだ。『精霊の祝福』とは、 …… そういうものだ」
私は、再び衝撃を受けた。
「万物に精霊は宿り、精霊の契約者の魔力を糧に、精霊は事象を起こす。ささやかならば、面白く楽しいものだが、人の欲望に歪み易く、過ぎた力は災いを呼ぶ。それでも、『精霊の祝福』とは世界と精霊と人を繋ぐ、創世神に愛されている証拠のような物なのだろう。だから、『精霊の祝福』を授かった者は、大切にされる …… と、この本に書いてある」
「 …… はい?!」
「お嬢さんも読んでみるといい」
「はい?!」
シドは、さっきまで読んでいた本を私に渡しながら、何でもない様に言った。
「つまり、『精霊の祝福』なんて、人生の『おまけ』みたいなもんだ」
『おまけ』かぁ …… 。
「はぁ、シド様、教えて下さいまして、ありがとうございます。でも、この本を持ちかえってしまうと、家の者にあやしまれます」
「ここに、置いておけばいいだろ。この庭は、在りし日のファルザルク城の一日を、永遠に繰り返す魔法の庭だ。雨にうたれて傷む事もないだろう」
「 …… はい。ありがとうございます」
シドから、この庭の秘密をはじめてまともに聞けた。何気なく言ってるけど、時間を繰り返すなんて、もの凄い魔法じゃないのかな? 私は、本の綺麗な装丁の金文字を撫でて、パラパラとページをめくりながら考える。繰り返す庭の時間と、侵入者の私達の時間はどんな感じに流れているのか、ぐるぐる考えたけれど解るはずもなかった。とにかく『妖精の庭』は凄い。
「それから、俺はもう読んだから、その本はお嬢さんにやるよ」
「 ……!! 嬉しいです。ありがとう! シド様、大好き!」
少しだけ読んだ本は、子供でも理解しやすい文章と内容が綴られていた。最初からシドは、私のためにこの本を用意してくれたのだろう。私は、満面の笑みでシドに抱きついた。
だから、その時のシドが、どんな顔をしていたか知るよしもなかった。
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