第十三話 アレクシリスの初恋
今回も、幼児虐待の表現があります。
不愉快に思われるかもしれません。
ご注意下さい。
寝室のカーテンは、半分だけ開けられて、明るすぎない程度に保たれていた。アレクシリスは、寝間着に紺色のガウンを羽織って、ベッドの端に座っていた。
「マリー、良かったら隣に座って?」
「はい。シィ様。エルシアもいいですか?」
「もちろん、いいよ」
エルシアは、私達に遠慮して、少し離れた場所の椅子に座った。
「マリーは、僕らが結婚できないって、いつ知ったの?」
「私は …… それを知ったあと、高熱を出して倒れました」
「あの時、そうだったのか …… 」
私は、エルシアとの何げない会話で、その理由を知った。私達は、叔父と姪の関係で、国法で結婚出来ないことを知った。『約束』を守れない事が、本当に悲しかった。
…… ズキリと、頭が痛みを感じた。
「義兄上から、マリーの前世の記憶についてききました」
「父上が、シィ様に話した方がいいと、判断したのですね」
「マリーは、前世の記憶に苦しんだのでしょう?」
「シィ様もです。 …… ごめんなさい。私のせいで、両親がシィ様の周りの異変に気が付けなかったのです。ごめんなさい」
「マリーのせいじゃないよ。謝らないで …… 」
アレクシリスが、ベッドサイドのチェストから、見覚えのある不恰好な白い花冠を出した。それは、魔法で保存されているのか、あの日のままだった。
そうだ、アレクシリスだけだった。あの頃の私に、微笑みかけ、遠慮なく接してくれたのは …… 。
私の記憶。前世の知識が甦る前の記憶。そして、片隅の違和感 …… それらを無理やり思い出そうと意識すると、ズキズキとした頭痛がするので、考えないようにしてきた。
あの日よりも以前の父上は、私を抱きしめてくれただろうか? 母上は、私を何て呼んでいた? アレクシリスは?
私の記憶の中に、腫れ物に触るように距離を置く、よそよそしい両親の姿があった。
私は、三歳まで乳母に育てられた。
私は、乳母と乳姉妹の名前すら覚えていない。忘れてしまったのか、それとも、思い出したくないのかもしれない。
確か、乳母は上位貴族の夫人だった。そして、彼女は子供部屋の支配者だった。
乳母は、私を愛してはくれなかった。優しくしてもらった記憶は、欠片もなかった。私の世話は、乳母ではなく、使用人達が交代でしていた。なのに、私に愛情を与えるような使用人は、乳母によって解雇されていなくなった。
私は、喜怒哀楽の乏しい人形のような子供に育っていった。私は、ただ生かされていた。
私が、乳母や乳姉妹の気に入らない行動をすると、罰として食事を抜かれた。夜になっても、ベッドに寝かせてもらえず、一晩中立たされもした。
藍白の言っていた様に、『精霊の姫君』として国に大切に扱われていたとは、とても思えない仕打ちだった。
私は、子供部屋の密室の中に隠されて、従順で扱いやすくなる様に、飼育されていたのだ。今なら、そう理解する事が出来る。
一昨年の春先に、乳母と幼なじみは身内の葬儀のために、実家の領地に帰って行った。彼女達は、里帰りの道中で、盗賊に襲われて亡くなった。
乳母亡き後、私は両親の元に戻された。両親の庇護と、エルシア達が専属侍女になってから、大きく生活は改善された。それまで、私は庭にすら出たことがなかった。
私は、とても少食だったし、普通の子供よりも成長が遅かった。今でも、四歳には見えないくらいに身体は小さいが、肉付きはぷにぷにと良くなったし、体力もかなりついた。
もしかしたら、私を救い出す為に、乳母達は盗賊に襲われたのではなく、本当は …… 。今の私には、知る由もないことだ。
私は周囲と打ち解けられず、両親と暮らし始めても、他人行儀な関係だった。子供部屋にいた頃も、面会 …… としか表現出来ないような短い時間しか、両親と一緒にいられなかった。私は、親とは何なのかという事さえ知らなかった。
両親は、私をなるべく自分たちの目の届く距離に置いた。母上は、自分の執務室。父上は、近衛騎士団の詰所。でも、両親や皆も、私に対して腫れ物にでも触るように遠巻きにしていた。
私が、無表情で何も反応を返さず、喋らなかったからだ。私は、子供部屋の外の世界が、騒しく、とても怖かったのだ。当然、両親との距離は、縮まらなかった。
そんな私に、アレクシリスはとても身近に接してくれた。
初めてアレクシリスに紹介された時の事だ。シリスティアリス王妃殿下は、とても美しい笑顔を浮かべながら私に対して、これから一緒に暮らすのだから、アレクシリスを『あにうえ』と、呼ぶようにと言った。そんな言い方をすれば、幼い子供は誰しも、自分達が兄妹だと誤解してしまうだろう。
事実は、両親が外交で他国を廻り留守にする間、私を王妃宮に預けていただけなのだ。
『マリシリスティアでは長いから、マリーだね。よろしく!』
私はアレクシリスにいきなり手を握られて、驚いて手を振りほどいてしまった。私はシリスティアリス様に叱られて、アレクシリスに嫌な奴だと睨まれていると思った。
『シシィ、いきなり女の子の手を握ってはいけません』
『はい、母上様』
『マリー、シシィが驚かせてごめんなさい』
『ごめんね、マリー』
おずおずと、俯いていた顔を上げて視線を合わせると、アレクシリスは、愛らしくて眩しい笑顔を返してくれた。
アレクシリスは、私を遠慮なく引っ張りまわして遊んだ。庭はもちろん、王宮の廊下を走り、使っていない部屋の中に忍び込んで探検した。
その頃の私は、とても虚弱でよく微熱を出して寝込んだ。それでも、アレクシリスは私と遊びたがり、ベッドに寝ている私に、たどたどしく絵本を読み聞かせてくれた。
アレクシリスは、手段はわからないが、護衛騎士をまいて、私を部屋から連れ出した。それなのに、遊びに夢中になると、私を置いて先に行ってしまう。私は、体力がないうえに、一人で歩きまわると簡単に迷子になってしまう。
私は、知らない大人に見つからない様に、廊下の柱の影や、部屋のカーテンの中に隠れていた。少し待っていると、アレクシリスが探しにやってくる。私は、アレクシリスに見つけてもらうのが嬉しかった。
『マリー、見つけた!』
私を見つけて、うれしそうに笑うアレクシリスが大好きだった。
アレクシリスの、男の子らしく自由奔放で、疲れ知らずな行動力に、私は戸惑いながらも一緒に行動して遊びを覚えていった。私の中で、アレクシリスの存在が、どんどん大きくなっていった。
そして、妖精の女王様の様に美しい、シリスティアリス様が、そんな私達を見守ってくれていた。
シリスティアリス様は、私に無理に話しかける事もなく、いつも微笑みを絶やさず側にいてくれた。
シリスティアリス様は、ちょっと不思議な人だった。時折、微笑みを浮かべながら、何処か別の世界を見ている様なぼんやりとした瞳をしていることがあった。庭の東屋で、私の頭を撫でながらだったり、お茶を飲みかけてカップを手にしたまま、しばらく固まっているのだ。アレクシリスや、お付きの侍女も、いつもの事だと気にしていなかった。
表舞台のシリスティアリス様は、見惚れる程の美貌を持つ完璧な王妃殿下だった。銀の髪に、濃いすみれ色の瞳、柔らかな微笑みに完璧な知性。社交界の女性の頂点で、華やかに咲き誇る真白き薔薇を思わせた。
初夏の王宮の庭には、白い花が咲き乱れていた。私は、シリスティアリス様に花冠の作り方を教えてもらって、不恰好ながら出来上がった花冠を、アレクシリスの頭に被せた。無言で …… 。
自分でも、どうかと思う。出来上がった花冠をアレクシリスにあげたいと思った。でも、なんと言って渡せばいいのか分からなかった。
そんな私に、アレクシリスは、本当に天使の様な笑顔で、ありがとうと言ってくれた。
そして、私達は小さな『約束』をした。
『マリー、大きくなったら、僕とけっこんしよう』
『けっこんって、なに?』
『ずっと、いっしょにいて、マリーを守るやくそくだよ』
『ずっと、いっしょ?』
『僕は、マリーがだいすきだよ』
『マリーも、あにうえが、だいすき』
『やくそくだよ』
『はい、あにうえ!』
あの頃の私達は、結婚の意味もよく知らず、ずっと一緒にいる『約束』を誓った。ただ純粋な喜びだけが、そこにあった。花冠は、幸せな『約束』の印になった。
それから、私は蕾が花開くように、明るく元気になっていった。
両親を、拙い口調で『ちちうえ』『ははうえ』と、呼ぶようになった。執務室の文官達の口真似をしたり、近衛騎士団の騎士達に遊んでもらったりするようになった。まだまだ、普通の子供らしさは足りなかったが、日に日に成長していく様子を、微笑ましく周りも見守ってくれていた。
だから、『約束』を失った時、『絶望』した。
たった、四歳の子供でも、幼いながら真剣に考え悩み葛藤している。子供とは、自我も思考も倫理もない獣から、人間に成長する過程などではない。最初から人間は、幼くても人間なのだ。
ただ、知識や感情表現や伝える手段が未熟なだけで、求めているのだ。生きる意味を、愛される喜びを …… 。私は、自分の経験と前世の知識でそう思う。
だから、『絶望』した …… ?
生きる気力が無くなるくらい、前世なんて思い出してしまうくらい …… ?
ズキリ、ズキリと痛む頭が、何か変だと訴えている。
だけど、よく笑い、よく泣き、怒り、我がままなくらい感情を表すようになり、両親やエルシアに甘える様になれたのは、前世を思い出してからだった。
だって、約束したから …… あれ? 誰と何を …… ?
ズキリとした痛みと、片隅の違和感は、記憶の海を泳ぎまわる正体不明の魚のようだ。捕えたかと思うと、影のようにスルリと逃げられ姿を見失ってしまう。
「義兄上が、マリーが前世の記憶を思い出して、泣きながら話をしてくれたのに、とても驚かされたって …… 。異世界転生者であることは、知られなければいいだけで、マリーの心を知ることが出来て良かったって。それより、僕が勝手に竜騎士の契約を交わす為に、杜若と誓約したのに、もっと驚かされた。そう言った後、ものすごく叱られた」
アレクシリスは、私の父上に叱られたというのに、ちょっぴり嬉しそうに話してくれた。
「シィ様は、精霊の祝福を知っていますか?」
「うん。マリーに精霊の種がたくされているって、母上様からきいていたから知っている。でも、僕にはマリーの背中の精霊の祝福が見えないから、いつもは忘れていた。義兄上は、再びマリーを取り上げられ、上位貴族の政権争いの道具にされない様に対応するのに精一杯だった。今さらだけど、僕を守りきれなかったって、謝って下さった。でも、僕も色々勝手なことをしたから、謝ったよ。義兄上も僕に協力して下さるって約束していただいた」
両親は、私が、災厄の精霊を育てないように、悪意を遠ざけ、私を守る為に、心を砕いてくれていたのだろう。
王族の後継者の力関係は、母親の実家の力関係に比例する。父親の国王が、特定の子供に肩入れすれば王位継承に影響するので、なるべく国王は実子に関わらないそうだ。
アレクシリスの場合、母親のシリスティアリス王妃の実家は、ハイルランデル公爵家で、申し分のない上位貴族の後見人だ。
しかし、アレクシリスの祖父のハイルランデル公爵は、高齢で病いを患い王都の別宅に引き篭もっていた。
一人娘のシリスティアリス様が嫁いで、公爵家の縁戚から後継者が選らばれた。しかし、不幸な事故や病で、次々と亡くなってしまい、遠縁から養子を望もうとしても、適当な人物がいない現状だ。今では、公爵家の存続さえ危うくなってきている。
その為、アレクシリスの異母姉である私の母上が後見人に付いた。それでも、足りない部分があるのだろう。
王族と貴族の間にある深い溝を考えて、不安で気持ちが暗くなった。
「ねえ、マリー。僕は、マリーが大好きだよ」
アレクシリスは、私の手を握りしめて真剣な眼差しをむける。
「僕は、マリーと結婚出来ない。でも、早く本当の竜騎士になって、マリーをずっと守るって約束するよ。だから、この花冠は僕が持っていていい?」
「 っ …… はい!」
私は、アレクシリスの新しい約束に、胸がいっぱいになった。そして、涙を浮かべながらも笑顔で素直に答えた。
お読みいただき、ありがとうございます。