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沢村優子①

「委員長、これを教室まで運んでくれないか。」

「わかりました。そっちのダンボールも持っていきますか?」

「そうだな、すまないねぇ。頼りにしてるよ。」

「はは、お安い御用ですよ。そんなの。」


 __世の中は愛想よく笑顔を振りまいていれば特になんの取り柄のない人間でも上手く渡り合う事ができる。

 これは私が高校に上がって築き上げた哲学だ。中学まで無愛想で暗くてよくいじめられていた私が、ちょっと外見を気にして何かあると笑っているだけで周りの人間は私のところに集まってくる。何かが特別長けているという訳でもないのに。

 

「委員長ぉ〜、また課題忘れちゃった。今日で最後にするからさ、ノート見してくれない?ね、お願い!」

 ほら、いつでも私を頼ってくれる友人がいる。勉強だって大してできる訳じゃない。偏差値は中の下。だけど私が毎日生真面目に宿題をやっていて、そして何より“優しい”から友達はわざわざ私に頼ってくれるのだ。

「いいよ。別にこれからも見せてあげるって。気にしないでよ。」

「やった!さすが委員長。やっぱり頼りになるな〜。」

 笑顔でノートを差し出して言うと、彼女は他に宿題を忘れてしまった人にも見せに行くのか、すぐさまノートを持って別のクラスメイトの所へと去っていった。私の助けが多くに広まるなら、それはとても喜ばしいことである。

 私はこのクラスのとっても頼りになる委員長。みんなが私を推薦して選んでくれたのだから、これくらいして当たり前だ。むしろもっと頑張らなければ。



『じゃあ早速、委員長を決めたいと思うんだが、立候補や推薦などはあるかね。』

『委員長?私はいいや。向いて無さそう。』

『俺めんどいからパス。』

『委員長を決めるまで、今日は帰宅できないぞ。』

『えー、めんどくさ。早く帰りたいんですけどー。』

『とっとと誰か出ろよ。』

『あ、誰か手上げてる。立候補?推薦?』

『……沢村さわむらさんがいいと思います。』

『なんだ、推薦か。』

『てか、何で沢村さん?』

『あーでも、優しいし、頼りになりそうだよね。』

『沢村さーん、委員長やらない?』

『沢村さんならきっといいクラス作れるって!』



「ただいま。」

「ちょっと優子ゆうこ。あんた、また遅いじゃない。いい加減にしなさいよ。」

 重いステンレス製の扉を開くと、おかえりすら言ってくれない私の母親が洗濯物を抱えて廊下を歩いていた。狭いアパート暮しなので、家族の帰宅はすぐに伝わる。父親の靴はない。残業だろうか。

 少し前の私だったらここで口答えしていたと思う。でも今の私は“大人”なのだ。そう簡単に感情的になってはいけない。

「ごめんなさい。日直の子が塾の模試だったから、私が掃除と日誌を代わりにやってあげたの。」

「また?あんたただでさえ頭良くないんだからそんな事してる暇あったら勉強しなさいよ。何回も言ってるけど私立の大学なんて高くて通わせられないんだから。」

 うちはお金がない、いわゆる貧乏というやつだ。だから私立大学なんて行かせて貰える訳もなく、高校二年生である今のうちから必死で勉強して、国公立大学に合格しないといけないことなんてとっくに知っていた。

 でもねお母さん、大事なのは今なの。先の事じゃない。私の学力どうこうなんかよりも、私がどれだけクラスに信頼されているかの方が何倍も何十倍も大事なことなの。だからどれだけ同じ事を言っても無駄よ。



『沢村さんって暗いよね。また一人で移動教室?』

『ねー。あの子なんてクラスにいてもいなくても変わんないんじゃない?』

『毎日本読んでる割には、頭もそんなに良くないみたいだよ。』

『あー、それ知ってる。私の友達が言ってた。』

『あの子地味だし、取り柄なんてあんの?』

『まじうける。机とか隠しておいたら、一緒に本人も消えちゃうかもね。』

『確かに。やってみる?』



 ___もう、あの頃には戻りたくない。

「委員長になったんだから、仕方の無いことなの。ちゃんと寝る前に勉強はしてるから。今日はご飯いらないや。それじゃあ、おやすみなさい。」

「ちょっと!!」

 穏やかにそう言って去ると、母親は納得できない様子で返してきたが、やがて諦めたかのようにため息を付くとそれからは私に構わなくなった。

「子育て間違えちゃったかしら…」

 薄いドア越しから母親のそんな呟きが聞こえてくる。

 いいえお母さん、あなたは間違えてない。だって今、私はこうしてクラスの委員長として周りよりも幸せに学校生活が送れているのだから。



「あれ、おはよう沢村さん。朝早くからこんな所でなにやってんの?」

「あ、黒崎くろさきくんおはよう。花の水やりだよ。私の毎日の朝の日課なの。あとほんとは黒板の掃除もしたかったんだけど、今日ちょっと寝坊しちゃったから出来そうにないな〜。黒崎くんこそ、いつもはこんな時間に教室いないのにどうしたの?」

 教室で育てているチューリップに蕾がつき始めた朝 、私はたまたまクラスメイトの黒崎くんと教室で遭遇した。朝日が黒板や机に反射していてとても眩しい。ちょうど日の出の時間帯だった。

「へー、これ、毎日沢村さんが水やってたんだ。誰も気にかけすらしてないのに、ちゃんと成長してんのが不思議だったんだよ。俺はさー今日、サッカー部の朝練あると思って学校来たら実は無かったってオチで今ここにいる訳。」

「はは。黒崎くんらしいや、そういうとこ。」

 黒崎くんはサッカー部で、見た目もかっこよくて、サバサバしている性格でクラスの女子からも人気がある。そして実は私も黒崎くんの事を気になっていたりするのだ。

「にしても、チューリップって意外に成長すんの遅いんだな。結構前からないか?これ。」

 さすがは黒崎くんだ。鉢植えを置き始めた時期なんて誰も覚えていないのに、ましてや今教室にあることすら気づいてくれるか不安なのに、そんな事まで黒崎くんは覚えてくれている。私は黒崎くんのそんなところが好きなのだ。

「そうだね。でもチューリップって、他の花より成長するのが遅いのに花が咲いているのはたったの十日だけなんだよ。」

「ふうん。沢村さんって物知りだな。たった十日のためだけに時間を掛けて咲くのかぁ。なんかそう考えると植物ってすげえな。人間は十ヶ月だけ掛けて生まれて何十年も生きてるのに。あっ、沢村さん、俺も黒板掃除手伝うよ。今から二人でやれば、始業までになんとか間に合うだろ?」

「え、いいよいいよ。勝手に私がやってるだけだもん。他人巻き込んでまでする事じゃないって。」

「いいから、いくら委員長だからって全部が全部を背負わせちゃだめだろ。せめてこういう時くらいなんかしないとな。」

 黒崎くんは私がまた何か言い返す前に自ら教室の端にかかっている雑巾を手にして黒板を拭き始めた。慌てて自分も雑巾を手に取り黒板を拭いていく。

「ありがとう。誰かに手伝って貰ったの、初めてかも。」

「まじかよ。まあこれからも何か俺でもクラスメイトでも頼れよな。」

「うん。」

 やっぱり黒崎くんはとてもいい人だ。隣にいて話しているだけでとても心地がいい。けれど、私が誰かに頼ってしまったらそれは振り出しを意味する。私が自分の力で何も出来なくなって信頼を失ってしまったら、もうそれは優しい委員長の“沢村優子”ではなく、ただのなんの取り柄もない“沢村優子”になってしまうからだ。みんな私に何も無い事を気づいたらなんて思うだろう。想像するだけで恐ろしい。だから黒崎くんには悪いけれどこれ以上私は人に頼る気はない。

 黒崎くん、ごめんなさい。



 ___朝練が終わるチャイムが鳴ってからしばらく経つと、廊下が騒がしくなってきた。朝練を終えた生徒や、登校してきた一般生徒がちょうど教室に入ってくる時間帯である。

「おっし。意外に早く終わったな。」

「うん。皆も登校してくるし、ちょうど良かったね。手伝ってくれてありがとう。」

「だから、気にすんなって。」

 教室のドアがガラっと開いた。私と親しいグループの人達が登校してくる。黒崎くんの友達など、次々と他の人達も姿を現し初めた。


「委員長おはよう。相変わらずまた学校来るの早いね。…ってか珍しい、黒崎くんも一緒だったの?委員長やるじゃん。」

 いつも割と一緒に行動しているこの子達は、私が黒崎くんの事が好きなのを知っている。だから黒崎くんと何かあるとこうやって冷やかされるのだ。甘酸っぱい青春、それも私が中学時代に経験出来なかったもの。

「ち、違うよ。たまたま会ったから話をしてたの。それだけだよ。」

「へぇ〜?とか言って偶然でもほんとは嬉しかったんでしょ?堂々と喜びなよ。私達は委員長の事応援してるから、さ。」

「そうそう、ね?」

「そうかな。」

「うんうん。ところで、昨日のバラエティ番組見た?ドラマに出てる俳優のー君がさー__」

 その後に続いた日常会話にもいつも通りきちんと相槌を打つ。本当は居残りしていたから昨日のバラエティ番組なんて見てないどころかテレビすら見る暇なんてなかったけど、自分が知っている話題の俳優の情報を糧にしてそれらしく返事をすると、例え嘘でも会話は途切れない。人間関係を良好にする為には流行に付いていく事も何か特技を極める事も必要ない。ただ話す相手に合わせて笑っていればいいのだ。

 そこに窮屈さなんて、感じない。そう思わなくてはならなかった。



「以上で今日の体育は終了する。…っと、今日は体育委員が二人とも欠席か。誰か片付けを手伝ってくれる人はいないか?」

 めんど、なんで二人とも休みなのよ、四方八方からざわざわと声がする。今日の種目はハードル。片付けを面倒臭いと思っても仕方ないだろう。だけどここで誰かが出なければ何も進まない。今こそ委員長の出番だと思い、私は手を挙げた。

「はい。私やりますよ。」

「お、また沢村か。いつも悪いなぁ。」

「いえ、いいんですよ。ついでに準備室にも用があったので。」

「しかし今日の片付けは女子一人だといくら何でもキツイだろう。もう一人、手伝ってくれる人はいないか?」

 ここでまた募集したところで出てくる人なんていないに決まってるじゃない。このくらい私一人で平気だから、余計な事を言わないで欲しい。ほら、みんなもう早く戻りたそうにしてるし__

「__じゃあ、俺やるよ。」

「え。」

「あぁ、黒崎。ちょうど力のある男子にお願いしたいと思ってたから助かるよ。じゃあ沢村と黒崎、よろしく頼む。それでは授業終了。トラックの線はなるべく踏まないように。」

「「ありがとうございました」」

 号令が掛け終わると、黒崎くんは何気なしに「じゃ、片付けよっか。」と言ってハードルの下へ走り出した。いつものように女子からの冷やかしは聞こえて来なかったが、そんなことよりも私は黒崎くんに追いつこうとトラックの線に気をつけながら走る。

「あの、なんで…」

「今日の朝、言ったろ。もっと周りを頼れって。」

 ハードルを畳む時の軋んだ音のように、何とも言えない不快感というか、あまり耳にしたくない言葉が耳に入る。唯一の私の取り柄を除外しようとする音。

「そうだけどさ…、黒崎くんばっかりに助けられてたら申し訳ないよ。」

 黒崎くんは優しい。けれどたまに、的外れな優しさを感じてしまうのは何故だろうか。

「…沢村さんってさ、なんでいっつも笑ってんの?」

「え、どうしたの?急に」

 核心を突く質問に若干顔が引き攣りそうになるが、それを堪えていつも通り笑顔で返す。本当に急にどうしたのだろう。

「なんか、いつも無理して笑ってるように見えたからさ、ほら、今とか。そんなに毎日毎日楽しいことばっかなわけ?」

 “楽しい”その言葉が私に突き刺さった。確かに私はこの生き方を、人間関係の築き方を“楽”だったとは考えていたものの、“楽しい”かどうかなんて考えた事は無かったのだ。

「楽しくは…ないのかも。でも、委員長が愛想悪かったら嫌でしょう?」

「ほら、また“委員長”だからって。委員長は嫌な事があっても毎日笑わなきゃいけないの?ていうか、なんで俺がみんなみたいに沢村さんの事を委員長って呼ばないか分かる?“委員長”って呼ぶことで、沢村さんを変に縛り付けたくなかったんだよ。本当は準備室に用事なんて、片付けを引き受けやすくするための嘘だろ?」

 黒崎くんはハードルを片付ける手を止め、私に向き直って責め立てるように言う。

「そ、それは…。ていうか、なんでそこまで黒崎くんに言われなきゃいけないのよ!黒崎くんには関係ないでしょ!」

 ここまで言われてしまうともう何も言い返せず、ついに大声を上げてしまった。しかし声を荒らげてすぐに後悔した。ああ、これでまた振り出しか…。

「なんだよ、ちゃんと怒れんじゃん。嫌な事あったら、気に食わない事あったら周りの奴にもそうやって怒れよ。」

 しかし彼から出てきた言葉は予想外にも優しいもので、今までに感じたことのない安心感を得た私は、ぽつりぽつりと黒崎くんに本音を漏らしていった。

「駄目だよ。私、みんなに優しくして笑って話を聞いてる以外に取り柄がないの。それで中学の頃、いじめられてたんだから。」

「取り柄がない人間なんていないよ。沢村さんはさ、毎朝、今日みたいにチューリップに水をやって黒板を掃除して誰にも気づかれない事なのに影で努力してるんだろ?それって直接人間関係を良好にする事とは関係無いのにね。そんな事出来る人そうそういないって。」

「そんな小さな事取り柄なんて呼べないよ…。」

「そうかな?俺は努力を見せびらかしてる人よりも、どんなに小さい事も影でコツコツ努力できる人の方が凄いと思うけど?」

 黒崎くんの言葉が今までスカスカだった心の隙間をじわじわと埋めていくようで、初めて感じたその温かさに思わず涙が出てしまう。

「誰にも気づいて貰えなかったら意味無いじゃん…。」

「だからこそ、その努力に気づいて貰える人を大切にするべきじゃないのか?無理やり他人に愛想を振り撒く必要なんかないんだよ。」

「そっか…。そうかな。ありがとう黒崎くん。」

「いや、俺も元々気になってたんだ。半ば強制的に委員長にさせられて、責任負わされてて。それでも笑ってる沢村さんを見てられなかった。今日ちゃんと沢村さんの怒った顔も泣き顔も見れてよかったよ。」

「私も、今日何回黒崎くんにありがとうって言ったんだろうね。ほんと、感謝してもしきれないよ。」

 上を見上げて言うと校庭に設置された時計台が目に映る。もう次の授業開始五分前に回っていた。ハードルは三分の一も残っている。そんなに話し込んでいたのか、時計を見てまだ授業と授業の間の時間であったことを思い出すと、急いで残りのハードルを片付けようした。

「大変。早く片付けなきゃ。」

「そうだな。あとで連絡先も交換しようぜ。何かあったときにすぐ相談できるように。あと一つだけ聞きたいんだけどさ…」

「どうしたの?黒崎くん」

 もう黒崎くんには全てを吐き出してしまったのだから何でも答えられる自信はある。

「誕生日って、いつ?」

「えっ何で誕生日?十月九日だけど。」

「そうか…。あ、いや、せっかく仲良くなったんだしさ、親交でも深めようと思って?ちなみに俺は五月十二日。誕生日プレゼント待ってるぜ。」

「ちょっと、何よそれ。ほら、早く片付けなきゃ。」


 黒崎くんは、本当に優しくて、面白くて、私の本当に好きな人だ。

一章でまとめるつもりでしたが、長くなりそうなのでこちらの話は二章に分けたいと思います。

ここまで読むと、ただのラブコメですね。

次話の伏線回収、お楽しみに。

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