いつも通りの放課後
「……どいてよ」
「……嫌だ」
奈月は溜息を吐いて「勝手にしなよ」とスマホをいじる作業に戻った。それを下から見上げながら、口元が勝手に緩んでしまう。
奈月の膝はわたしの特等席。
いつも通りの平日の放課後。
いつも通りわたしの部屋には奈月がいて、正座した奈月の膝にはわたしの頭が乗っている。
特に何も変わらない、いつもの風景。
「そーいやさー」
スマホから目線を外して、わたしを見下ろす奈月。そして淡々と事実だけを告げるように、
「私、男子に告白された」
「……は!?」
ちっともいつも通りの放課後じゃ、無かった。
「ちょ、こ、告白って……あの……?」
「そ、あの」
健全な高校生の間で告白といったら、あれしか無い。そう、付き合って下さいというあれだ。わたしは大人しく膝枕されている場合じゃ無くなり、慌てて体を起こすと奈月の正面に座り直す。
「つ、付き合うの?」
「……考え中」
また奈月はスマホに目線を落として、涼しい顔をする。一方のわたしはわなわなと震える体を止めるのに必死だった。
か、考え中って。付き合うって選択肢もあるって事じゃないか。
「相手、相手は!?」
「んー、サッカー部の山田って知ってる?」
その名前には聞き覚えがあった。確か、サッカー部でふぉ、ふぉわーど? とかいうのをやっていて、女子達の間でたびたび話題になっているさわやか系のイケメン男子だ。そんな人が、どうして奈月に。
いや奈月が釣り合ってないとかそういう事では無い。むしろ釣り合って無いのは山田の方で、奈月は本当に可愛いくてロングの髪がよく似合っていて、じゃなくて、いや、もうなんだかよく分からなくなってきた。
「ほら、この人」
奈月はスマホの画面をわたしに見せて来る。そこにはメッセージアプリの山田のアカウントが表示されていた。
「あ、あぁー、この人ねー」
とりあえず笑う。いや、笑っている場合じゃない。もうアカウントまで教え合っているという事じゃないか。
「前に委員会で一緒になってさ、その時から好きだったんだってさ」
「へ、へぇー」
委員会、とは多分去年の文化祭実行委員の事だろう。確かに今思うと山田は奈月の周りをうろついていた気がする。
「まぁとりあえず友達になりましょうってアカウントだけは交換したんだけどね」
スマホを戻して、またいじり始める奈月。
そりゃ、そうだよね。わたし達華の女子高生なんだもんね。そりゃ恋だってするよね。
わたしだって恋愛には憧れるし、周りの子たちは色々遊んでいるって聞いて少し焦ったりもする。でも奈月もわたしと一緒だからまぁいいかなって思ってたのに……。
「この裏切者ー!!」
「え、ちょどうしたのいきなり」
ぺしぺしと奈月の膝を叩いて非難する。
奈月に彼氏が出来たらついに独り身がわたしだけになっちゃうじゃないか。
それに加えて奈月と過ごす時間も減ってしまう……こっちの方が嫌だ。
奈月は呆れ顔でわたしを見据える。
「いや裏切り者って……わたしだって彼氏ぐらい作ったっていいでしょ」
「うー、この膝は誰にも渡さーん!」
倒れ込むように仰向けに寝転がって、また奈月の膝に頭を乗せる。そのまますりすりと擦り付けてみると、くすぐったそうに奈月が身をよじった。手をわたしの頭に乗せる。そのまま髪を梳くように、撫でてくれる。
「千夏は私離れしなくちゃ駄目だね」
「むー……」
別にわたしが奈月に依存してるとかそういうわけでは無い。ただわたしだけ置いていかれるのに加えて、放課後に奈月がこうして気軽にわたしの家へ寄ってくれる関係が無くなるのが嫌なだけだ。
……まぁ、結局は全部わたしのわがままなんだけどさ。
「今度どっか遊びに行こうって誘われてるんだ」
「……ふーん」
奈月はそんなわたしの気持ちは知らず、平然とそんな事を言う。表情からはどう思っているのか理解出来ないけど、本当に嫌だったらとっくに拒否している事だろう。
「拗ねないでよ。千夏だっていつか素敵な人が現れるって」
「……勝者の余裕ってやつですかねー」
ふん、と鼻を鳴らして目を瞑る。奈月はまだわたしの髪を触り続け、頭を撫でていた。
何でだろう。いつもならこうしてもらっていると心の底から安心出来るのに、今はちっとも出来ない。
「千夏はさ、私がもし山田君と付き合ったらどうする?」
ふいに奈月がそんな事を言って、わたしは目を開いた。
どうするも何も、どうするんだろう。
やっぱり、何か嫌だな。でもわたしが口を出せる事じゃない。
体を横に倒して、顔を見せないようにする。頬が奈月の制服のスカートに触れる。
やばい。何だか泣きそうになってきた。
こうして奈月がほぼ毎日わたしの家へ寄ってくれて、特に何をするでもなくだらだらと過ごして、わたしに膝枕をしてくれる。こんな放課後がいつまでも続くものだと信じていた。
でも永遠に続くものなんて無くて、少しずつわたし達は変わっていかなくちゃならない。
「……させないもん」
そんなの嫌という程に分かっているのに、ついわがままを口にしてしまう。
すると奈月はまた涼しげな顔で「……そっか」とわたしの頭を撫でてくれる。わたしは必死に涙を堪えていた。別に会えなくなるわけでもないのに、この日常が壊れてしまう事が嫌で仕方が無い。
わたしはまた瞼を閉じて、視界から奈月を締め出す。
ただ髪を梳くその感覚と、頬に当たる温かくて柔らかな感触に身を委ねる。
「……ふふっ」
ふいに奈月の身体が揺れて、空気が漏れ出したような笑いが聞こえた。だんだんとそれは大きくなってきたので、わたしも何事かと目を開けて頭の向きを変え、奈月を見上げる。
「……どうしたの?」
「あっ、いや……ふふっ、ごめんごめん。ほんとに素直だなぁ千夏は」
今度は堪えないで普通に笑い出した。
いきなりどうしたんだろう。
しばらく経ってからようやく落ち着いたようで、奈月は穏やかに微笑んで言う。
「ほんとは告白された時にきっぱりお断りしたよ。どうしてもって言うから友達になったのはほんとだけどね」
……え?
「えっ、じゃあ考え中っていうのは……」
「嘘だよ」
悪戯に笑う。
その瞬間、さっきまで抱いていた不安が一気に消えていくのと同時に、激しい羞恥と怒りが湧き上がってきた。
だ、騙された。わたしをからかったのか。
「っ! 奈月のバカ!」
「ごめんって」
またわたしの髪を撫でて、優しげに微笑んでくれる。
普段は表情に起伏が無くて、笑っている事も少ないから思わずその微笑みに見とれてしまう。何だか知らないけど、すごく嬉しそうだった。わたしをからかうのがそんなに面白かっただろうか。
「いや、まさか千夏が私をここまで好きだとはね」
「……好きじゃないもん」
むすっと奈月を見つめる。わたしが好きなのは奈月じゃなくて奈月の膝枕で、こうして奈月と過ごしている時間なの。
「んー、じゃあ私が彼氏作ってもいいんじゃない?」
「……それはやだ」
わたしが奈月にべったりだと思われるのは癪だけど、それとこれとは話が別だ。身体を動かして、顔を奈月の方に向ける。
「この膝は誰にも渡さない」
「……はいはい」
呆れた様子でため息をつく奈月。その甘えてくる子供を見るような優しい微笑みに安心してしまうのが、少し悔しい。
奈月はいつもこうだ。どうやらわたしを世話の焼ける子供か何かと思っているらしい。わたしがどんなことをしても、どんなことを言っても全て柔らかく受け止めてくれる。
そしてそれに、わたしが甘えてしまっているのも事実。
瞼を閉じて、いちばん近くに奈月を感じる。甘く優しい匂いがわたしを包む。
いつまでもこの関係じゃいられないことは分かっている。わたしもいつかは大人になって、奈月から離れなくちゃいけない日が来るってことも。
それでも、今だけは。今だけは、この心地よい時間が続いて欲しい。
「……ほんとに、千夏は一生私が面倒見ないとだめかな」
突然耳に届いたその言葉に、再び目を開ける。
奈月はわたしを見下ろしたまま、少し頬を赤く染めているように見えた。
掌編第2弾。
冒頭が前作と丸かぶりになっていることに書き終えるまで気付きませんでした。統一感があっていい感じですね(?)。
この後二人がどうなったのかは、読者様のご想像にお任せします。