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蜘蛛の糸

作者: CAE

 弾けないギターを弾いている。

 なんて言うと矛盾があるようだが、弾けないというのは客観的事実で、弾いているというのは主体的認識だ。つまり僕からしたら「弾けないギターを弾いている」わけだが、それを見ている彼女からすれば「弾けないギターを弾けてない」僕がいるのだ。なーんて。

 ボロン。

 音色と呼ぶにはあまりに不快な、なんというか冒涜的な音でギターが鳴っている。一回鳴らすたびに何をやっているのだろうという無情感が耳を貫く。それは彼女も同じだったようで。

「あのー」

 彼女は声を上げた。堪らずといった感じだ。

「私はいつまでここにいればいいんですか?」

 向かい合って座る彼女は、少し前屈みになって僕を上目遣いで見てくる。背筋を伸ばすと僕たちは同じ目線でぶつかる。僕の背が低いわけじゃない、彼女が高すぎるのだ。

「もうちょっとだけ聴いててくれ、今からサビだ」

「はぁ……」

 納得しかねるような表情を浮かべている。サビだと言われてもピンと来ないのだろう。それどころか、どこからどこまでが曲で、どこからどこまでが雑音なのか。それすら判別できない程の雑音だった。弾いている僕にも分からないと正直に告白すれば、彼女は怒って帰ってしまうだろう。もっとも、帰る場所などないが。

「アイラーービューー」

「歌詞があるんですね」

「そうだ」

 僕は返事する。歌ってる途中に会話をするなんておかしな話だが、適当なのだから仕方ない。歌詞だって今考えたものだった。

「この誰もいなくなったせかーいーでー」

「タイムリーですね」

「今考えてるからな」

 思わず口を滑らせたが、彼女はうんうんと頷いていた。これ聴いてないぞ。

「僕たーちはー ふたーりー」

 ジャランとギターを弾いてみたが、雑音にしかならなかったのでやめた。これじゃアカペラだ。

「愛を誓おうー」

 音程も適当なので、締まりが悪い。

「アイラーブユー」

 即席で歌詞を付け足し、僕は歌いきったとばかりにギターをかき鳴らした。

 ジャカジャカジャカジャカと小刻みに、雑音が重なり合ってちょっとはマシなリズムが生まれる。ひょっとしてこのギターはマラカスみたいにリズム楽器として使った方がいいんじゃないか。思惑を試すように激しく、ギターの弦をひっかき続ける。

 ピンっと。

 ギターから高音が鳴った。手を止める。

「切れてますよ、1弦」

 彼女が指さす先には、千切れてぶら下がるギターの弦があった。

 1本切れて、残るは4本。

「4本しか弦がないギターは、果たしてギターと呼べるだろうか」

 僕は問いかけた。

「最初から5本しかない時点でギターじゃないですよ。むしろ4本になったことで、でっかいウクレレみたいになりました」

「ウクレレは4本なのか」

 僕はウクレレとなったギターを見た。

「ウクレレで歌いながら告白してもなあ……」

 少なくとも僕の思い描く理想的シチュエーションではない。もう弾くのはやめだ。告白しちゃおう。

「好きです」

「はぁ……」

 にわかに熱くなった頬が冷えていく。はぁとは。僕のロマンチックな告白に対して返事がはぁとはなんだ。ハートが全くこもってないぞ!

 怒りのあまり、そのまま口に出した。

「告白の後にダジャレを言われても」

「君がはぁとか言ったのがいけないんだ。ちょっとショック過ぎて自己防衛本能が働いちゃったぞ」

「ダジャレは防御なんですか?」

「少なくとも攻撃ではないだろう。僕はダジャレで敵を倒したことはないからな」

「はぁ」

 彼女はまた嘆息した。

「ハァとばかり言っているな。君は彼岸島の登場人物か」

「なんか現実感がなくって」

 僕の小ボケをスルーして、彼女は続けた。

「だっておかしいじゃないですか。朝起きたら周りに誰もいなくなっていて、学校がやってないどころか電車すら動いてないんですよ!」

 身振り手振りで彼女は驚きを表現している。

「それでも歩いて学校まで来るところはすごいと思った」

「周りに誰もいないんです! 何が起こっているのか教えてくれる人がいないんです! 怖いんですよ分かりますか!?」

「分かるよ分かる、僕も怖かった」

「軽いですよ!」

 もっと深刻そうに怖がらなきゃいけないらしい。

「ああ超怖かった。僕だけを置き去りにして、世界中の人が宇宙に移民しちゃったのかと思った。もうじき隕石が降ってきたり、宇宙人が侵略しに来るのかと思った」

「ですよねっ!」

 超同意された。

「私は怖くって、でも家に残り続けるのも恐ろしくて、どこかに逃げたかった。もしかしたら学校に誰かいるかもと思って、必死に学校へ向かいました。歩いたら一日以上かかりましたけど」

「車で来ればいいのに。僕はそうしたよ」

「免許持ってるんですか?」

「いいや? 歳足りねえし。でも感覚で分かるでしょ」

「先輩はおかしいんです!」

「よく言われるよ」

 彼女はまたため息をついた。

「それでも、それでも先輩が学校にいてくれたことは嬉しかったんです。私抱きつきましたよね」

「ああ、会ったときにね」

「どうでした?」

「どうでしたって……、やわらかかったよ」

「そうじゃないです! 私と会えて安心したかって訊いてるんです」

「あーそうだね、安心した」

「私もです。こんな訳分からない状況で、一番頼りになりそうな人が先輩でしたから」

「そりゃどうも」

「先輩は一年生の間でも密かに有名でした。変人で、学校に泊まっていることもあると噂があって」

「その噂が事実かどうかは、いまや君も知るところだね」

 僕たちはここのところ、僕の用意した校内宿泊所で生活している。まあ保健室なんだけど。

「保険の先生を懐柔するなんて、先輩は恐ろしい人です」

「賭けに勝っただけだよ」

 保険の先生は生粋のギャンブラーで、発覚すれば責任問題になるようなことでさえ躊躇いなく天秤に乗せた。僕が何を賭けたかは秘密だ。

「先輩ならどうにかしてくれるって信じてました」

「なるほど、全幅の信頼を置かれたもんだな。普通に重いぞ」

「重いですか……?」

 またあの上目遣いだ。僕は堪らず折れる。

「いやいや重くない。信頼されて幸せだよ僕は。先輩冥利に尽きるね」

 芝居がかった動きで胸を張る。

「でも、先輩はこの状況を解決できませんでした」

 上げて落とすのかよ。

「私に残されたのは、頭のおかしい人と二人っきりでこの世界を生き抜かなければならないという状況です」

 頭のおかしい人とは僕のことかな?

 ここには二人しかいないから、彼女が自分以外のことを指したら自動的にそれは僕だということになる。彼女以外の全てが僕で、僕以外の全てが彼女だ。今のところ。

「先輩はなんでもできる人だと思ってました」

「そんなわけねーだろ」

 ノータイムで突っ込む。無茶ぶりの芽は摘まなければならない。

「そんなわけなかったですね。ギター下手くそですし」

「弾いたことなかったからな」

「そもそもなんでギターを弾こうとしたんでしたっけ」

「僕の夢だったんだ。ロマンチックな状況で告白するのがね。その内の一つ、ギターでラブソングを弾き語りながら告白するやつをやってみた」

「やってみたかったからやってみた、と」

 呆れ顔だ。彼女のこの顔は、こんな世界になってから何度も見ている。

「じゃあ訊きますけど、ギターを弾いて告白したかったから私に告白したんですか? それとも告白したくて、それでギターを弾いたんですか?」

 正直に答えるのはマズいと、僕でも分かった。

「ギターを弾きたかったから告白した」

 僕は正直者だった。

「はぁ」

 彼女の大きなため息だ。僕は顔色をうかがう。

「誠実さだけがモテる要素だと思ってたら、それは大間違いですよ」

「嘘はいつかバレるものだろう」

「だったら、嘘じゃなくすればいいんですよ」

 そう言って彼女は僕に顔を近づけ、そっとキスをして――くれたら良かったんだけど、実際は急に近づいて呆気にとられてる僕からギターを奪うだけだった。

 彼女はイスに座り直すと足を組んで、ギターを構える。

 ちょっとカッコいい。

「あーチューニングが狂いまくってますね。これどっから持ってきたんですか?」

「音楽準備室に転がってたのを、適当に拝借した」

 彼女はギター上部のつまみを捻りながら、右手で弦を弾いてうんうん唸っている。

 音が不愉快に上下して、なんだか気持ちが悪い。

「僕の演奏の方がまだマシだな」

「なに言ってるんですか。これはチューニングです。……ほんとに知らないんですね」

 後輩に蔑まれるというのは、なんとも言い難い屈辱感がある。

「ダメだなこれ。ネジが馬鹿になってる。一曲弾き通せるかどうかすら分からないですね」

「代わりのネジが必要なのか? それともネジ回し? ドライバーならどこかの教室にあると思うが」

「別にそこまでしなくてもいいんです。ただの暇つぶしですから。それより、先輩は自分のネジを探した方がいいですよ」

「それは、僕には頭のネジが足りてないという意味か?」

「……よく分かりましたね」

 結構いろんな人に言われてるからな。

 彼女はしばらくネジをいじくり回した後、これでいいかと呟いてこちらを見た。

「弦が4本でも弾けるのか?」

「じゃあ先輩、直せますか?」

 彼女がギターを突き出す。元々なかった弦はともかく、さっき切ってしまった弦くらいは結べばどうにかならないかと思ったが、どうにもならない。というか結べない。

「ダメだ無理」

 突っ返す。彼女はなぜか勝ち誇った顔で、

「先輩にもできないことはあるんですね」

 と笑った。その笑顔の意味が僕には分からなくて、困ったような微笑を浮かべるので精一杯だった。僕にできないことは多い。ギターだって弾けないし、直せないし。それに、この世界から逃げ出すこともできない。

「大丈夫、私なら弦が4本でも弾けます」

「それは、すごいことだな」

「いえ、そもそも上から4本しか使えないんです。私パワーコードしか押さえられないんで」

 言ってる意味はまるで理解できないが、力強そうなことは分かった。

「頑張れパワーコード!」

「ほんとに分かってないんですね……まあいいです」

 彼女がギターを構えた。

「たぶん、先輩も知ってる曲です」

 彼女が深く息を吸った途端、空気が変わった。彼女の緊張が伝わる。こんなどうしようもない世界でも、心躍る経験ができる。僕はそれが、とても嬉しかった。

 彼女が歌う。

 僕の知らない歌を。












 僕が精一杯の拍手を送った後、彼女はギターを置きながら言った。

「先輩、一緒に歌ってくれませんでしたね」

 しまった。一緒に歌うタイプの歌だったのか。まあ分かってても歌えなかったけど。

 取り繕う。

「聴き入ってたんだよ。ギターも上手かったけど、何より歌が上手かった。最期に聴く生の歌が、君の歌で良かった」

 知らない歌だったけど、と心の中で付け加える。

「そっか。他に人間がいない以上、生の歌声は聴けないんですね。それでころか、私にとっての最期は先輩の『アイラーブユー』になってしまうわけですか……」

 不満そうだ。

 不満なのか? 不満だろうな、僕は歌が上手くない。

「で、やらないのか?」

 僕は催促した。

「は? なにをですか?」

「アイラーブユー」

「……はぁ?」

 眉根を寄せて、彼女は困惑の表情を浮かべた。とても照れてるようには見えない。僕が口で説明するのは、かえって恥ずかしい気がする。

「ギターを弾いて、歌を歌った。それはラブソングだった。ならば次にすべきことは、告白だろう?」

 そのためにギターを持ってきたのだ。

「…………」

 彼女は声にこそ出さなかったが、「しんじられない」と口の中で言っていた。

「……言葉を失いましたよ」

「だろうな。声が出ていなかった」

「一応確認しますが、告白というのは私が先輩にですよね」

「もちろん。この世界には二人しかいないし、ギターを弾いたのは君だ」

「だから私が告白すると? ……大丈夫ですか?」

 心配そうに僕の顔を見る。

「言うまいと思っていましたが……先輩、頭おかしくなってますよね」

 これは質問ではなく、彼女にとっては確認だった。

「元々こんな感じだが?」

 とぼける。まだ自分がとぼけるなんて高度なことができる事実に安心する。

「薬、こんな世界になる前は飲んでましたよね」

「あれは偽薬だ。偽薬と分かっている以上飲む必要はない。今までは医者を安心させるために飲んでいたんだ」

「嘘でしょ。ねぇ先輩、薬局で同じ薬を探しましょうよ。あっちこっちからかき集めれば、一生分くらいありますよ」

「マジで偽薬だからいらん!」

 少なくとも、僕の中ではそうだった。自分の記憶を都合良く改竄していなければ。

「いいですか先輩。ギターを弾いて告白するのは、先輩の夢です。私はその相手に選ばれただけです」

「君の夢じゃないから、君が告白する道理はないと?」

「そうです。先輩は自分と他人をゴッチャにし始めています。たぶんそれは、頭のおかしい人にありがちな行動だと思います」

 自分と他人との区別が付いてない。それは以前にも言われた言葉だった。全くその通りで、僕は克服するために訓練を積んだはずだった。

「まともになってください。私、怖いです」

 彼女は再び、薬を飲んでくださいと言った。こいつはどうしても僕を常人に戻したいらしい。理由は怖いから。なにが怖いんだ。僕が狂人となって、彼女を襲うことか。

「僕だって怖い。まともになるのなんて嫌だ。まともになったら、この世界をまともに受け入れなければならないじゃないか! そっちの方が怖いよ!」

 僕はそう思って、薬を飲むのを止めたんだ。狂うために。

「むしろ君の方が怖いよ! こんな世界で平気な顔して、実は君の方が狂っているんじゃないか!?」

 君、というところで力強く指をさす。

 そこに彼女はいなかった。




















 風に煽られて、鉄柵がキシキシと音を立てる。

 校庭の砂が巻き上げられて、木の葉にぶつかる音がする。

 それでもなお、彼女は現実感がないと語った。

「現実感がないというか、作り物めいてるんですよね。私たち以外誰もいないというシチュエーションもそうだし、学校で生活するってのも、ちょっと気になっていた先輩が一緒だっていうことも」

「気になられていたというのは初耳だぞ」

「口に出して確認するのが怖かったんです。なんだかこれって、お人形遊びみたいじゃないですか。私がいて、先輩がいて、学校があって、それ以外がない。もしかしたら私だけが本物で、先輩は私が創りだしたお人形かもしれない。私が気になっていたのが別の人だったら、先輩はここにいないかもしれない。それを確認してしまうのが、怖かったんです」

「それを言うなら、僕の方こそ。僕は、君が好きだ。ならば好きな人と一緒に生活する妄想をしているのは、僕かもしれない」

「私にとっては私なんです。証明することはできないけど、私目線で絶対的に揺るがないことは、私が私であることです」

 平行線だ。どちらにとっても自分が本物なのだから。しかし、自分がそう思っている以上、相手にもそう『思わせている』というイメージを与えている可能性は、否定できない。

「先輩のほうが危ういんですよね。だいぶ人間が崩れてきているし」

「危ういとは?」

「本物である可能性が低いってことです。先輩はここのところディテールが脆くなってる。それを頭がおかしいということで誤魔化してるように見えます」

 私目線ではね、といちいち補足してくれる。まだ僕を偽物じゃないと少しでも思ってくれているあたり、優しい。ていうか人間っぽい。

「例えば、先輩は私に告白してくれましたが、私を好きな理由は何ですか?」

「優しいところ」

「ほら」

 ほらと言われても。

「細部が甘い。『優しいところ』なんて、私が言って欲しい言葉ナンバーワンじゃないですか。しかも抽象性がない。偽物ポイント+1です」

 なんか足された。

「割りと君の理解が及ばないことをしているつもりだけどな。僕のやる変人的行動も、君が想像していた通りって言えるのか?」

「もちろん違います。世界がどうやら終わりそうだから、やっておきたいことは全部やろうって言い出したり、手始めにギターを弾きながら告白するのは明らかに私の考えではありません」

「じゃあ、やっぱり僕も本物だ」

「いいえ、先輩の突飛な行動は、先輩の残留思念です」

「……残留思念?」

 彼女の方こそ突飛なことを言い出した。まるで僕みたいだ。

「この世界には人が居ません。消えたと言ってもいい。でも消える前に、何か意識みたいなものがあったとすれば……残された先輩の意識が、先輩を動かしていると考えられませんか?」

「考えられるも何も……僕の肉体があって、そこに意識もあれば、僕は生きているのと変わらなくない?」

「いいえ、先輩はそのうち消えます」

 予言された。

「先輩は強烈な残り香のように、意識を空気中に残していて、私が創りだした先輩の人形にしがみついています。でも、そのうち撹拌されて薄まって、やがて消えてしまうんです」

「完全に未来のことじゃないか! 僕の私の未来予想図じゃないか!」

 まともじゃなくなっていたのは僕だけじゃないらしい。現実感が無いどころか、妄想に取り憑かれてるじゃん。

「大丈夫だよ。僕は本物。いくらでも変なことするよ」

 安心させるためにブレイクダンスでも踊ろうかと思ったら、必死な形相で止められた。

「やめてください! そんなつまんないことで残留思念を消費しないでください!」

 つまらないとはなんだ。まだやってもいないのに。抵抗しようとも思ったが、場所が場所なのでやめておく。

「先輩が消えたら、私生きていけないと思います」

「嬉しいこと言ってくれるじゃん」

「先輩が消えた瞬間に、私が一人だったことが証明されるわけですから。耐えられませんね」

 そういうことかよ。

「僕は一人でも生きていけるけどな」

「私は先輩みたいに狂ってないんです。人間は人と人の間って書くんですよ」

「そもそも二人だから無理じゃん。人と人の間にいるのが人間なんだろ? 最低三人は必要だ」

「そういえばそうですね」

「まあ、方法はあるんだけど。ねえ」

「え? うわやめてくださいやめてください! 最初に断ったじゃないですか!」

 不意に肩を抱き寄せると、彼女は顔を真っ赤にして抵抗する。

 突き放される。すごく危なかったけど、僕が悪かったので文句は言わない。

「そのうち、狂った先輩に殺される気がします」

「僕が消えても生きていけないのに、僕がいたら殺されるのか」

「そうなんですよ、八方塞がりなんです」

 両方とも彼女の妄想なんだけど、彼女は塞がれているらしい。

 僕は絶対に乱暴しないけど、それを証明できないからね。

「というかなんで、こんな端っこまで来たの?」

「先輩のアイデアじゃないですか」

「いや場所を指定してわざわざギターと椅子を運んだのは僕だけど、この位置は危ないんじゃ」

「本当に想像つかないですか?」

 僕の目を覗きこんでくる。嘘を探るように。

「僕は嘘をつけないよ」

「そういえばそうでした」

 彼女は明るく笑った。

「どうせ八方塞がりですし、ちょっとした矛盾を起こしてみようかと思って」

「矛盾……?」

「先輩が思いつかない行動をして、どちらが消えるか試すんです」

「ちょっとよく分からない」

「私が分かってればいいんですよ。じゃあやりますね」

「なにを?」

「このタイミングじゃないといけない気がするんです。私も久しぶりにギター弾けて楽しかったですし、これ以上楽しいことがあるとも思えません」

 うわ嫌な予感がする、と思った瞬間には手遅れだった。

 彼女が後ろに飛ぶ。

「どっちがき」

 彼女の言葉は途中で途切れた。

 たぶん、「どっちがきえるでしょうか?」とかじゃないかなと、後になって思う。

 本人と答え合わせができないのが残念だ。

 彼女は屋上から飛び降りた。
























 僕の理想の告白シチュエーション。

 一位はギターで弾き語りをした後、告白。

 二位は、屋上に呼び出しての告白。


 同時にやろうとしたのが失敗だった。

 屋上に椅子とギターを運んでいたとき、彼女が転落防止用の柵を確認していたのを僕は見ていた。見ていたけど、まさかそこに手をかけて、後ろ向きにジャンプするとは。

 普通の女子なら無理だけど、彼女は背が高い。柵を飛び越して、そのまま地上へ真っ逆さまだ。一瞬のことすぎて、止める手立てもなかった。

 ここのところ彼女が考え事をしていたのは知ってる。僕はてっきり生き抜く術を考えているのかと思ったが、まさかあんな妄想を拗らせているとは。狂人と呼ばれる僕も、ただただ脱帽だ。

 思えば最初から、その兆候はあったのかもしれない。

 僕と彼女がこの世界で初めてあったとき、……彼女が居ても立ってもいられなくなって学校へ一日歩いて(一日歩いて!?)やってきたとき、僕もまた学校で飼ってるコイのことが気になって車を飛ばし学校へ侵入していた。

 植物以外の生き物がいないのがこの世界のルールらしく、僕の愛したコイは居なくなっていたのだが、代わりに彼女を発見した。僕を見た彼女は涙を浮かべながら抱きついてきて、これはイケると思った。

 生き物の居ない世界、そこに残された男女。やるべきことは一つのように感じる。手塚治虫の火の鳥でも、おんなじような話があったはずだ。

 力強く抱きしめたまま、僕は彼女に告白した。それまでは別に好きじゃなかったが、その瞬間から好きということになった。僕は嘘がつけないから、感情の方を変更する。

 で、断られた。

「だって、アダムとイブみたいで気持ち悪いじゃないですか」

 彼女の断り文句だ。キリスト教徒が聞いたら激怒すると思う。僕は仏教徒なので、どうも思わなかったが。

「そういう型に嵌まったことはしたくありません。神話の模倣なんて、安直!」

 変なところで芸術家肌だなあと思っていたが、今思うと、あれが彼女の全てだったのかもしれない。

 現実感のない、世界で。

 神話みたいな状況を用意されて、神話と同じことをしてしまったら。

 誰かの思惑に乗せられているようだ。だから僕らは、それを拒否した。

 自分たちの思い通りの世界に、改変した。

 アンチ神話、アンチテンプレ!

 異常を演じてみせたのだ。狂ったように、いや実際狂ってたけど。

 結果がこれだ。

 彼女は早々にリタイアして、僕だけ取り残された。

 彼女がリタイアした後、僕はしばらく呆然として……、ギターを持ち上げた。

 レクイエムでも歌えば、僕たちの物語として良いエンディングを迎えられるのではないかと思ったが、あいにく僕はギターが弾けなかった。

 仕方ないので、別のことにしよう。

 弦を一本ずつ外していく。全部で四本、それを結び合わせて一本の糸にする。

 今度はうまく結べた。

 太さの違う紐を、無造作に繋げてできた糸。これを屋上から下に向かって降ろす。


 ――カンダタを不憫に思ったお釈迦様は、地獄から救い出すべく蜘蛛の糸を垂らしたのです。


 ……たぶんこんなストーリーではなかったはずだ。もっと説法めいた、意味のある話だった気がするけど、僕の場合はこれでいい。

 飛び降りた彼女に向かって、ギターの弦で作った蜘蛛の糸を垂らす。これこそ不条理で、無意味で、狂人めいている。

 誰も予想しない行動だ。つまりこれが、僕が本物である証だ。

 風が蜘蛛の糸を揺らす。しばらく待ったが、誰も掴まってのぼってくる気配はない。

 屋上から下をのぞき込むと、彼女の姿はなかった。

 死体も、血も、服も。

 彼女が偽物だったから消えたのか、それとも死んだから消えたのか。

 理由は分からない。しかし彼女は、きっと本物だった。

 僕なら、なにがあっても自殺は選ばない。

 一人になった僕は、生きれるだけ生きよう。

 気を抜いた隙に、指でつまんでいた蜘蛛の糸が滑り落ちて、消えた。

 もしくは、僕の目に見えていないだけかもしれない。

 何もかも。

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