1. 放牧
1. 放牧 アンティーク・ショップでは、客を心ゆくまで牛歩させておくのがいいのだ
オロール・エ・クレピュスキュール。
舌がつって唇が凝りそうな、これがばあちゃんのアンティーク・ショップの名前。フランス語で暁と黄昏って意味らしい。由来は、そういや聞いてみたこともないな。
そもそも俺はアンティークになんて興味ないんだ。
ガキの頃からショップに出入りして、さんざオモチャにして遊びはした。だがゲームや漫画や女の子とのデート、世の中は娯楽に溢れてる。何も古めかしい、手入れの面倒なモノを相手にしてやる必要なんか感じない。
じゃあ、どうしてそのオロール何とかでバイトしてんのかって?
家業を手伝うのは当然だろ――なんて、そんな殊勝な理由じゃない。ばあちゃんの腰はとっくに、花瓶より重いもんには耐えられないからさ。
アンティーク・ショップの経営ってのは意外と力仕事でね。回転木馬だのライティング・ビューローだの、展示するにも梱包するにも男手はいるってわけ。
商品を売れば、その純利の半額を歩合でもらえるってのもおいしいね。居酒屋なんかであくせく働くより、よっぽど稼ぎがいい。
その場合、アンティークの知識なんぞない俺は、ちょいと手助けしてもらわないと売るもんも売れなかったりするんだけどな。
コロロンとドアベルが鳴って、入ってきたのは楚々としたおねーさん。知的だけどどっか勘のニブそうな可愛さがあって、これが店じゃなくて街中だったらナンパしちゃいそう。
「いらっしゃいませー」
店番してた俺は、奥から控えめに声をかけた。アンティーク・ショップでは、客を心ゆくまで牛歩させておくのがいいのだ。俺がショップのドアベルを密かにカウベルと呼ぶ理由はここにある。
フィーリングで買うか投機で買うか、いずれにしろまずは放牧してやる。
「あれは買うっすね」
俺はジーンズのポケットへ、小声で話しかけた。
「何が何でも買って帰るって目をしてますよ。クリスマス・プレゼントを買いに回れる日が今日しかないか、クリスマス前だってのに男に振られて、散財するのを決めて飛び込んできたかっすね」
「……後者であれば拾い食いしてしまおう、などとよからぬ思想を抱いたりはしていないだろうな?」
「抱きまくりっすよ」
「ほう。それほどの姫君とあらば、とくと拝まねばなるまい」
つまり俺に動けと言うんだな。人使いの荒いやつめ、と内心だけで悪態をつきながら、俺はポケットからそいつを引っぱり出してやった。
ティソの懐中時計だ。
ティソはスイスのメーカー。今でこそ斬新で廉価な腕時計というイメージがあるが実は、懐中時計となると話は違うんだな。
博覧会での数々の受賞を誇る優れた技術、加えて宝飾品のような芸術性の高いデザインってんで、ロシアじゃ皇帝が使ってたそうだ。エルミタージュ美術館にも飾られてるんだってさ。
そいつを模したモデルは皇帝ウォッチなんて呼ばれて、お値段ウン十万だ。
こんなウンチク、テストにも出ないってのに、こいつに語られて覚えちまった。脳細胞の無駄遣いさ、まったく。
「何をしているんだね、ルイ。姫君には、ひざまずいて手の甲にキスできる距離まで近づけといつも言っているだろう」
「へいへい」
「返事は一度でよろしい。君の不敬は年々悪化するばかりだ、まことに嘆かわしい」
歴史あるメーカーの時計だからこいつの態度がこんなにデカいのかと言うと――タチの悪いことに、この懐中時計は正真正銘、ロシアの貴族に愛用されていたアンティークときた。市場に出れば言いたかないが、数百万はかたいシロモノだ。
そんなもんがどうして俺のジーンズなんかに納まってるのかというと、長い話になるんで、またの機会ってことにしてくれ。
テーブルウェアやバス用品の一画に、楚々として知的だけどどっか勘のニブそうな可愛いおねーさんは突っ立っていた。
ははあ。
俺は今日の歩合制給料にありつけることを確信する。
おねーさんはまさに、蛇ににらまれた蛙。雷に打たれちまった。一目惚れ。金縛り状態。何とでも言え、とにかくビリビリにキちゃってる。
こうなるともう客に選択肢はない、財布を出して決済する、それだけ。もし後ろ髪引かれながら帰っても、翌日には舞い戻って買っていく。賭けてもいいね。
凝視してる視線を追うと、相手はどうやら真鍮製のソープ・ディッシュのようだ。
「ふうむ。馬に蹴られて死にたくはない、ルイ、退却するぞ」
掌の中の懐中時計がひそひそと囁いてくる。
アンティークの知識がない俺が接客する時、こいつはこんな風にひそひそとウンチク話を流してくれる。アンティーク好きな人間は総じてウンチク好きだ。興味ある品物を前におあずけ状態の牛へウンチクという牧草を差し出せば、まず間違いなく食いつく。たやすいもんだ。
だが真鍮製のソープ・ディッシュについて語ってやれるウンチクなどそうなさそうだし、何しろ退却命令が出てる。さりげなくターンして奥へ戻ると、ばあちゃんが休憩から帰ってきてた。
「ばあちゃん。先週入れた、ソープ・ディッシュ。売れそうだぜ」
「おや、まあ――どれ」
ショールをかき寄せながら、ばあちゃんは首を伸ばした。
「見覚えのあるお嬢さんだね。大事にしてくれそうだ」
「あのソープ・ディッシュにはもう少し、人間の世界を知る時間を与えるべきだよ、マダム」
「無理っすよ。買う気満々っすよ、あの人」
「そうねえ。お若い二人だから、何とかなるんじゃないかしらねえ」
二人と一個の懐中時計で噂するあいだに、おねーさんはバッグを探りだしてた。財布を出す気だな。よっしゃあ、クリスマス前だってのに男に振られて、散財覚悟で飛び込んできたパターンで決まりだ。
セールを葉書でお知らせしますから、と言うと、おねーさんはすんなり顧客名簿に個人情報を記入してくれちゃった。
アスリとは、初めて目にする名前だ。まあ、俺のルイもこの国じゃ珍しがられるってことに変わりはないけどな。
おねーさんが顧客名簿を書いてるあいだ、手持ち無沙汰なんで、包みますねと言って奥に引っ込んだばあちゃんを覗いてみた。
「短い間でしたが、お世話になりました」
「あなたとはもっとお話をしていたかったけれど。これもご縁ですからね。お嬢さんに大切にして頂きなさい」
別れを惜しんでるらしい。精霊つきのアンティークなんてそうそう転がってるもんじゃないからなあ。ばあちゃんの人徳で、このショップには幸か不幸か精霊つきがごろごろしてるが。
「取り置きにして、そのあいだに徹底教育というわけにはいかないものか。この私がみずから教鞭をとろうではないか」
こういう口うるさいでしゃばりもいるわけだ。俺は口封じに、懐中時計をジーンズのポケットにねじ込んでやった。ミニッツリピーターを鳴らして抗議してるが無視だ、無視。
アスリちゃんは精霊つきソープ・ディッシュの入った紙袋を、そりゃあ嬉しそうに受け取った。可愛いな、おい。クリスマスにデートの予定を入れちまったのが悔やまれる。
いいさ、名前も住所もばっちり入手済みなんだ。今は放牧しといてやろう。年明けにでも俺印のカウベルをつけにいこうか。
アンティークと違って女は、古くなるほど喜ばれるってもんでもないからね。




