大草原の妖精と巨獣達、その3~大草原南部~
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「風が――変わった」
大草原の半ばに佇む少女が1人呟く。傍には愛馬を従え、そのたてがみを撫でている。馬の方も主人の様子の変化を感じ取ったのか、普段は撫でるに任せるその馬も、主人の方を心配そうに見つめた。
「心配しなくていい――と、言いたいが。あいにくと我も不安なのだ。こんな風は初めて・・・いったいこの大草原に何が起きるというのだろうか」
「心配なのか・・・?」
少女の独り言ともとれる疑問に、どこからともなく聞こえる低い声が応える。少女は一瞬返事を躊躇ったようだが、凛とした声ではっきりと返答する。
「ええ、少し」
「この風をどう感じる?」
「なんだか全てを押し流すような・・・とても激しく、でも優しくもある風。正直よく――わかりません」
「お前がそういうとはな。原因はわかるか?」
声もまた、少し心配そうに尋ねる。
「それもまだ。ですが我々もまた無関係ではいられないでしょう」
「そうだろうな。だがしかし」
「ええ、全ては大草原の意志に委ねるのみ・・・」
そういって緑の美しく長い髪を風に任せる少女。夏も最中であるにも関わらず、既に嵐の季節の到来を告げるかのような強い風が吹き付けていた。
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「あ、暑いよ~ミランダ~」
「アルフィが長袖なんか着てるからでしょ。だから前に言ったのに・・・見てるこっちも暑くなるから、もう脱いじゃいなさい」
「調子に乗って全部脱がないように」
「私は痴女か?」
「大差ありませんが?」
「ひ、ひどい・・・」
リサのひどい突っ込みを受けながら、馬に乗って大草原を進むアルフィリース一行。
「アルフィリースさん、脱ぐのはフェンナさんだけにしておいてください。僕の目のやり場が無くなるので」
「私の恰好に何か問題が、カザスさん? シーカーといえば夏場はこのような恰好です」
「いや、獣人も大概薄着だが、それはさすがにどうかと思うぞフェンナ・・・」
ニアの突っ込みもしょうがない。フェンナは既に暑いからという理由で、大草原に入ってからは人目もたいして無いのを良いことにかなり薄着に着替えていた。通常街中で着ていたやや姫然とした長めのワンピースのような恰好から、ミニスカート・タンクトップのような服に変えている。しかもかなり生地が薄くぴたりとしている。真夏でも呪印を隠すために長袖でいるアルフィリースとは対照的な格好だった。もっともこの大草原は比較的大陸の北寄りであり、ピレボスから涼しい風がよく吹くのでそこまで暑さが厳しくないのは、アルフィリースには幸いだったといえる。
ところで森の民であるフェンナに下着をつける習慣は無かったわけだが、さすがにニアとリサが説得をして下だけはなんとかはかせている。女だけの旅なら多少構わなかったもしれないが、今回はカザスが同行しているのだ。だがフェンナは堂々とカザスの前で着替えをするので、カザスの鼻血が止まらないやら、ミランダが強制的に回れ右をさせようとしてカザスの首が変な方向に向くやら、大草原に入った当初は大変だった。フェンナ本人には至って悪気はなく、ユーティがその様子を見て、腹筋がねじ切れんばかりの大笑いをしていたぐらいのものである。
「だからこのパーティーに男を入れるのは嫌だったんだ・・・まあこんな軟弱なチビに、アタシ達をどうこうできるとは思わないけどさ」
「大丈夫です、僕はちゃんと襲うときは宣言してから襲います。みくびらないでいただきたい」
「どんなところできっちりしているのやら」
どうもミランダとカザスはいまいちウマが合わない。既に大草原に入ってから七日が経過してるのだが、ずっとこの調子である。さすがに前ほど悪態を付き合うことはなくなったが、どうもギスギスしている。そんな折、斥候に出ていたユーティが帰って来る。
「どうだった、ユーティ」
「大丈夫よ~ワタシの睨んだ通り、当分魔物の気配はないわ。むしろ魔物・魔獣を避けすぎて、食料が底をつくかもね。北側に入る前に何かしら大物を仕留めて、肉を補充しておきたいかも」
「そうね・・・確かにそろそろ持ちこんだ食料が底を尽くかしら」
「食料はあと3日分というところか。水は余裕がある」
ニアが食料を確認する。
「ユーティ、大草原で食料にできそうな動物はいるの?」
「イノシシ系の魔獣を狩れば大丈夫じゃない? 森の中に多いと思うけど、ちょうどここから1日くらいで手頃な森があるわ」
「そこで私の出番だな。追跡なら任せろ」
ニアが得意げに胸を張る。尻尾の動きも絶好調だ。一方でリサはこころなしかしょんぼりして見える。
「リサがお役に立てないのが残念です・・・本当にここではセンサーが役に立たないのですね」
「いや~貴女が単純にレベルが低いだけじゃない?」
「失礼な!」
「本当よぉ。だってセンサー能力をここでも使える人間はそこそこいるわよ? もっともそれでも場所に寄るんでしょうけど。あなたみたいに大草原全体でダメとか、初心者センサーのセリフね」
「・・・悔しいですが役立たずの今、リサには返す言葉もありません」
「あら素直ね、でもその方がいいわ。まずは自分の欠点を素直に認めないと、進歩も何もあったもんじゃないからね」
ユーティはニヤニヤしているが、リサは悔しげな顔をする一方で真剣にどうすればよいかを考えていた。
「(そういえば・・・レクサスでしたか? あの男にも甘いと言われましたね・・・まだリサの知らないセンサー能力の使い方があるということですね、きっと。我流にも限界があるということなのでしょうが、どうやれば上達するのか。誰か師匠のような人がリサにもいればよいのですが・・・)」
リサは大草原に入ってからのここ何日か、ずっと自分の能力向上の方法について思い悩んでいた。センサーが全く使えない状況では彼女はただの盲目の少女であり、戦闘を行うどころか私生活もままならない。また魔術でもセンサー能力を封印できることがわかった以上、リサにとって自分の能力を上げることは必須の課題であった。
「(ここ大草原では完全にアルフィリース達のお荷物ですね・・・いかに自分が井の中の蛙だったのか思い知らされます。彼女たちに迷惑だけはかけたくない。盲目だからと侮られたり、気遣われるのはごめんです。だいたいこのままではアルフィリースをからかえないではないですか!)」
リサの悩みは同時にアルフィリース達と友人として対等でいたいという気持ちの表れでもあったのだろうが、そのことに本人は気づいていなかった。そこまで自分の感情に敏感になれるほど、リサも精神的に成熟してはいなかったのだろう。また周囲・他人の情況に敏感なセンサーだからこそ、自分に鈍感だと言えるのかもしれないが。
***
だがリサの悩みもよそに時間は過ぎる。結局森の中ではイノシシ型の魔獣を仕留め、その解体・腑分け作業にアルフィリース、リサ、ニアが取りかかり、森の中の植物採取や水の確保には残りのメンバーで向かうことになった。植物に詳しいフェンナ・ユーティがいるため時間もさほどかからず、ミランダは主にキャンプへの荷物運び、カザスがその番をやっている。
「まったく・・・か弱い乙女にこんな重労働させるなっての」
ぶつぶつ文句を言いながらもゆうに30kgはあるであろう水を一斉に運ぶミランダ。今日はこの水を使って即席の風呂を作るつもりである。適当な深さの穴を掘り、周囲を特殊な樹皮を塗りつけた木の板で囲み水漏れを防ぐ。そうして水を流し込み、焼けた石などで温めればできあがりという寸法だ。
別に水浴びでもよかったのだが、大草原の夜が思ったより冷え込んでおりさすがに昼でないと水浴びは厳しかったのと、その水場には昼には大量に魔獣や魔物が集結するらしく、様々な生物の足跡がかなり多くあった。だが水浴びは我慢できないとの全員の意見の一致により、なんとかしようと考えたのが風呂の作成である。
こういうとき軍隊勤めのニアの存在はありがたい。軍人として最初に仕込まれるのは人間・獣人に関わらず、たいていは行軍の方法だからである。行軍は食料調達の方法や斥候の仕方などもそうだが、寝床の確保なども重要となるからだ。風呂の作成もニアは実にてきぱきと行ってくれた。
「まあでも風呂は楽しみね。『温泉ドッキリ大作戦!』で裸のアルフィをカザスの目の前に突き出したら、どのくらい鼻血出すかしら? 楽しみだわ、キャッ♪」
などとミランダがよからぬ企みを考えていると、ふとミランダの耳に届く音が消えてなくなった。一転ミランダが真剣な表情に戻り、周囲に警戒すべく荷物を全て地面にどさりと降ろした。
続く
次回投稿は、12/18(土)12:00です。