逍遥たる誓いの剣、その75~メイソン①~
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所は変わって、さる辺境。人が制覇した西の大陸といえど、まだ未開の地や人の手が加わっていない場所は多い。そういった場所には魔物や、幻獣。あるいは死刑囚や手配犯などがすみつくようになる。
そういった場所は概して『辺境』と呼ばれ、開発を諦められ、打ち捨てられた土地となる。有名なところとなると、グルーザルドはるか南にある『大森林』。アレクサンドリア北東にある『原生境』。クライア領内にある『死の砂漠』。西の大陸の端にある『岩棚』などがそういった場所として知られている。以前アルフィリース達が踏み込んだ大草原北部や沼地も、これらの辺境の一つとして考えられている。
それらの辺境は隣接する国を悩ませる要因となることが多いが、同時に絶妙な均衡が取れている。当事者同士にしか知りえないその均衡は、ちょっとしたことで揺れもするが、決して互いを完全に破壊するまでには至らない。どちらかを完全に駆逐すれば、自らも終わりということを互いに理解しているのだ。
そうして各地の辺境は成立している、場所にもよるが、多少腕に覚えがある程度では、生きて戻れないほどの危険地帯がほとんどだった。
そのような辺境を好んで仕事場としている巡礼者がいる。アルネリアに仕えて既に30年以上が経過し、誰よりも敬虔な神父として有名であった男。聖女アルネリアの教えに傾倒し、それゆえにどんな苦行も困難とせず、行きつく限りあらゆる修行と戦闘を潜り抜け、結果として巡礼者の中で最高の戦力とまで言われるようになった男である。名を、メイソンと言った。
彼は今、およそ人の寄り付かないような荒れた土地で、数人の男たちと対峙していた。そこはどこの国にもいるべき場所をなくした人間が辿り着く場所。アルネリアには珍しい黒の神父服に身を包んだメイソンと、明らかに人相の悪い男たちは10歩ほどの距離をおいて会話をしている。
「テメエらが盗賊団『漂泊者』でいいのか、よろしかったですか?」
「だったらなんだ?」
「あまり見かけねぇ格好の神父だな。アルネリア関係者には見えねぇ。ギルドから派遣されてきたのか?」
「そんなに俺ら有名になったかねぇ? 今、俺らの賞金いくらよ?」
ある男はふてぶてしく、ある男は卑屈な笑いを浮かべたが、メイソンは表情を変えずに答えた。
「いーや、俺はギルドの者じゃねぇ、ですよ。だから賞金とかがいくらかも知らねぇが、テメェらの中に一人、人の道から外れた奴がいるなぁ、ってことです」
「なんだてめぇ、妙なしゃべり方しやがって。舐めてんのか、コラ」
「・・・で、その人の道を外れたってのはなんなんだ?」
男たちはメイソンの妙な言葉遣いに食ってかかったが、一人、冷静な男がメイソンに問いかけた。
メイソンは答える。
「ただの盗賊団なら問題ねぇ。お前らが誰の者を盗もうが、誰を殺そうが、そんなものは聖アルネリアの慈悲の前じゃ些細なことだ。だが『人食い』は人道に悖るだろ、ええ? しかも食い散らかすたぁ、躾もなってねぇ。そう思わねぇか? 思いませんか?」
「人食いだと?」
男たちはぎょっとして顔を見合わせた。さすがにその行為は、およそ思いつく限りの犯罪を犯した男たちにとっても吐き気をもよおす行為だった。彼らのまとめ役と考えられる男が、仲間を睨んだ。
「おい、こいつの言葉は本当か?」
「まさか。いくら俺らが下衆でもそれだけはやらねぇ」
「確かに俺らも飢えちゃいるが、それでも飢え死にするほどじゃねぇ。でもよ――お前は最近妙に血色がいいよな?」
男たちが最後尾にいた男を振り返った。男たちは山賊といえど身なりは貧しく、やはりこの打ち捨てられた土地において彼らも困窮していることは一目でわかったが、その中に一人だけ、妙に肌艶のよい男がいた。
全員がじり、と距離を開ける。見つめられた男は、不敵な笑みを浮かべていた。
「どうした、お前ら。そんな顔で見るなよ」
「・・・るせえ。そういや変だと思ってたんだ。お前はいつも愚図でのろまだったくせに、飯だけは人一倍食いやがった。それが最近じゃ俺らと同じものを食っていても、文句の一つもたれやがらねぇ。そういうことだったのか」
「決まりだな」
メイソンが前に出た。まとめ役と思われる男がメイソンに声をかける。
「なあ、あんたアルネリアの関係者だろ。こいつを差し出したら、何か俺らにゃ利益はあるのか?」
「何が望みだ。それによる、でしょう」
「罪を不問にしろとは言わねぇ。せめて俺らがここで好き勝手しているのは見逃してくれねぇか。ここを追い出されたら俺たちも困るんだよ。そりゃあもう、困りすぎてさらに多くの人間に迷惑かけちまうだろな」
男の表情は薄笑いを浮かべていた。その言葉は嘘ではないだろうが、明らかに脅しを含んだ内容だった。メイソンは胸の内ポケットより黒色の丸眼鏡を取り出して身に着けると、彼らに答えた。
「・・・聖女アルネリアの慈悲は無限大。幸あらんことを祈ってやる、あげます」
「ありがてぇ」
「ただし」
メイソンが黒の司祭服の前を開けながら語る。彼の司祭服は前が金属の留め金で固定されており、一つ開けるだけでも重量感を伴う音がした。そのメイソンは男たちにこう忠告したのだ。
「ここを生き延びてからの話だ、でしょう」
「あん?」
そしてメイソンと盗賊たちの目の前で、男は異形へと変貌を始めた。その変貌は一瞬であり、反応の遅れた男が一人、頭を食われて絶命した。一人が死んで初めて、男たちは本当の危険に晒されていることに気が付いた。
男は食虫植物のように変形した頭部を広げ、メイソンを威嚇した。腕は無数の植物のように変貌し、歩く巨大植物のような形をとっている。
「キィイイイイ!」
「醜悪な姿だ。救いようのない人生だが、せめて慈悲をくれてやる、あげます」
メイソンは無遠慮に近寄ると、伸びた触手を至近距離でするりと躱し、広げた頭部を黒の手袋で鷲掴みにして、そのまま手が傷つくのも構わず強引に握りつぶした。飛び散る血が周囲の男たちに届いた時、初めて忘れていたかのように悲鳴が上がった。
「ひぃい!」
「な、なにしやがる!」
「『何しやがる』だと? 何かするのはこれからだ、です」
メイソンが指摘すると、家ともいえないような廃材の寄せ集めのごとき建物から、ずるずると異形が多数出現した。どれもこれも歪な姿をしており、うめき声とも奇声ともとれる声を出しながらのそりと彼らの方に歩み寄ってくるではないか。
男たちは突如として現れた現実味のない光景に、後ずさりしながらメイソンに救いを求めた。
「なんだこいつら!? どうなってやがる!」
「さしずめ魔王の村、ってところか。けったいなことだ。気づかなかったのか、ですか?」
「知るかよ!」
「そうか。危機感知能力に欠けるな、お前たちは。どのみち死ぬ運命か、ですね」
メイソンは司祭服の下から錨のような武器を取り出すと、それに鎖を取り付けて振り回し始める。同時に、空いた左手には火球を魔術で作り出していた。そして心底吐き出すように、憎々しげにつぶやいたのだ。
「面倒な仕事だ、本当に面倒だ。俺の相手になりそうな奴が一体もいないとは。とんだはずれクジだ、じゃないですか」
メイソンが振り回す鉄杭は、彼の機嫌を反映するかのごとくうなりをあげて異形の群れに襲い掛かった。
続く
次回投稿は5/30(金)18:00です。




