逍遥たる誓いの剣、その65~マスカレイド④~
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ドーラは急ぎ足で地下水路を移動していた。道順はわからないが、闇の多い土地はドーラにとって昼間の街道と同じくらい慣れたものである。かすかに感じる気配や空気の流れを頼りに、ドーラは地下水路を移動する。
多くの気配が地下水路には集まってきていた。おそらくジェイクが応援を呼んでおいたのだろうとドーラは考える。向うみずに見えるジェイクの行動だが、騎士という自覚が芽生え始めてからは変化が訪れていた。前回の悪霊討伐で、ドーラはジェイクの変化を実感していたのだ。
「少し前まではただの小僧だったのにな。人間の成長は早い」
ドーラは嬉しいような、物悲しいような、それでいて少し恐れるような不思議な感覚を抱いた。守れと命令された少年は、いつの間にか自分の手を離れていく。息子が巣立つ時はこのような感覚だろうかと、ドーラはふっと感じていた。
「俺も家族を持つべきだったかな。まあ今となってはもう、その気もないが」
ドーラはそんなことを考えながら、慣れた気配をつかみ取りそちらへと足を向けた。今はなんとしてもこの地下水路を無事に脱出しなければならない。ドーラは深緑宮の中にいる魔獣3体のことを、マスカレイドから聞いて気にかけていた。だがドーラは現在その3体――ジャバウォック、ロックルーフ、レイキが3体ともアルネリアを留守にしていることを知らなかった。そのような魔獣がアルネリアにおらず、ドーラにとって脅威がないことを彼が知っていれば、もう少し安全な策を取れたかもしれない。
ドーラは一瞬息をひそめると、目標の背後に忍び寄り、口を押えて大声を出せぬようにしたうえで声を潜めて話しかけた。
「俺だ、マスカレイド」
「!」
ドーラは大声を出すなという仕草をしたうえで、そっとマスカレイドを放した。既にアルネリアの騎士たちがきているのなら、センサーが同行していてもおかしくないからだ。
マスカレイドもその辺は察しているのか、簡易の結界を張ったうえで声を潜めて話した。
「首尾は?」
「ユーウェインは死んだ。予定外の者も殺すことになったがな」
「予定外?」
「ラザール家の三男、クルーダスだ。ジェイクを守るためには仕方なかった」
ドーラは簡単に経緯を説明した。マスカレイドは難しそうな表情で聞いている。
「・・・確かに、それはやむを得ないかもしれないわね」
「後味は悪いがな」
「そうまでして、あの少年を守る価値が?」
「ある。そのために俺は潜入していたのだ。少なくとも、オーランゼブルと俺はそう踏んだ」
「ユーウェインが死んだ今、私は引き続きアルネリアの潜伏を続けるつもりだが、彼のことはどうするべきかしら?」
「気にかけてくれれば嬉しいが、その必要もないかもしれん。もうあの少年は、自分の身を守るだけの力をつけつつあるよ」
「わかったわ。では脱出経路の手筈を教えるわ、こっちへ」
マスカレイドはいち早くドーラを案内しようとした。ドーラが後から続きながら、マスカレイドの表情をうかがう。
「溜飲は下がったか?」
「多少は。ユーウェインは闇雲に逃げていたつもりでしょうけど、私が地下水路にめぐらせた罠は、行動に影響を及ぼすものよ。奴は必至で逃げているようで、実は同じ場所をぐるぐるとまわっていただけだと気付かせてやりたかった。お前が死んだのは私が誘い込んだせいだと耳元で告げることができなかったのは、唯一心残りね。
ですが、やはりブラディマリアの眷属とはそりが合わない。逆らってはいけないと思いつつも、どうしても腹が立ってしまう」
「仕方ない。スコナーもシーカーも、誇り高い種族だ。あれらが我慢ならんのは仕方ないさ。第一、ブラディマリアとそりが合う者がいるはずがない。奴は自分以外を従えるか、殺すかしか考えていないのだから」
「スコナーのことを知っているかのような話しぶりですね」
「知っているつもりだ。俺はスコナーとシーカーが袂を分かつ前から知っているし、戦友もいた。彼らに何があったかも、歴史の真実もな」
ドーラの言葉に、マスカレイドの足が止まる。
「・・・では、私がこんなことをしている理由も知っている?」
「おおよその見当はつく。難儀なことだな、察するぞ」
「いえ、その一言で慰められました。こっちへ」
マスカレイドはやや胸にこみ上げるものを抑えながら案内を続けた。別に誰かに認められたくてやっているわけではないが、それでも素直に嬉しい時はある。
マスカレイドがドーラを案内した場所は、地下水路の入り口の一つ。アルネリアの裏通りにある入り口なので、一見してわからないところに作ってあるものだ。そこの鍵を開けると、予想通り外には人気がない。既に時刻は夜半であった。
マスカレイドはこくりと頷くと、ドーラを外に出した。ドーラ外に出て周囲を確かめると、マスカレイドを振り返る。
「よく鍵があったな」
「周辺騎士団の一人を誑かして、鍵を少し拝借した隙に複製しただけだわ。鍵はひと月に一度取り替えられ、扉に施された魔術も随時更新される念の入れよう。同じ要領で手に入れた、西側の正門通用出口の鍵も渡しておきます。本来は私の脱出用に考えていた経路なんだけど、仕方ないわ。これを使えば門の中には入れるだろうけど、そこから先はまだ調査不足なので詳しい様子はわからないわ」
「最後は力づくになるかもしれんが、正門を物理的な方法でぶち破る以外ならなんとかなるだろう。お前はどうする?」
「潜伏はまだ長引きそうだし、また何か新しい脱出経路を考えるわ。この後の段取りだけど、半刻後に近くの酒場から小火が出るわ。その消火作業に門の警備兵の何人かが向かうでしょうから、その隙に門を突破するしかないわ。お気を付けて」
「うむ、お前も達者でな」
ドーラとマスカレイドは短い挨拶だけをかわしてその場を離れ、ドーラは町の闇の中へ滑るように身を隠し、マスカレイドは再び地下水路に戻った。このまま地下水路を使って自分の家に戻るのだ。地上は既に夜遅く、行動、就労制限のあるシーカー達の集落は、既に出入り禁止の時間帯だ。表から帰る方がよほど怪しまれることになる。
マスカレイドは、まだアルネリア教会がシーカーたちが信頼を置いていないことを内心では称賛していたが、今は面倒くさいだけだった。そのせいでこんな綱渡りをしなくてはならないのだから。
マスカレイドはため息をつきながら、地下水路を急ぎ足で移動した。最短経路でも、半刻近くかかるだろう。明日、フェンナに仕えるアミルとしての朝は早い。このままでは仕事に支障が出てしまうではないかとマスカレイドは急いだ。
その行動に油断があったのか。マスカレイドはすぐ後ろに忍び寄る何者かの気配を感じ、懐の短剣を振り返りざま突き出していた。こんなところに味方がいるはずがないのだ。ならば確認するまでもなく殺しても構わないと思ったのだが、相手はマスカレイドよりもはるかに接近戦に優れた相手であった。
マスカレイドの短剣はたやすく叩き落とされ、マスカレイドは後ろ手にあっという間に拘束されてしまった。
続く
次回投稿は、5/10(土)19:00です。