逍遥たる誓いの剣、その58~八重の森③~
「不気味な場所だ。墓場でももうちょっと活気があろうってもんだよ。なんで生物が一匹もいねぇ?」
「生きていけないのだろう。一つ残らず殺されたかもしれん」
「あるいはすべてが出払っているか」
「一匹残らずか? どれだけ統率力があるんだよ、そのカラミティってのは」
「あるいはそれに準ずる能力、性質をもっているかどうかじゃな。ジャビーよ、墓場というのはえてして合っておるのかもしれんぞ。見てみよ」
ミリアザールはその辺にある枯れた植物を観察していたが、手招きをしてジャバウォックを呼び寄せた。ジャバウォックが促されるままにその植物をよく観察すると、それは正確には植物ではなく、様々な生物の死骸が植物の周囲に固められていたのである。まるで養分を全て吸い取られた木乃伊のように。その中には苦悶の表情を浮かべた人間らしき皮もあった。
「おえっ、趣味が悪いにも程があらぁ。周りにあるこれ全部、もしかしてそうか?」
「確認するのも億劫じゃが、おそらくはそうであろうな。カラミティという者は、周囲の生命を食らい尽して生きておる。まさにその存在そのものが、害悪にしかならんものよ」
「大草原のギガノトサウルスだって、もっとましな食べ方をするだろうぜ。これは生命としての行動じゃねぇ、怨讐だ。カラミティって野郎は、この世にある全てを憎んでやがる。これは全ての命を吸い尽くすまで止まらんぜ。見つけ次第即刻殺すべきだ」
「ワシもそう思う。じゃが問題は本体を見つけられるかどうかじゃ。ゆえにワシはここに来た」
「何かあてがあるのか?」
ロックルーフが問い、ミリアザールが答えた。
「うむ。ワシの部下に便利な能力を持つ者がおってな。その場所にあった記憶を再現できるというものじゃ。カラミティの塒さえわかれば、その発生の時点や正体を突き止めることができるであろう。むろん、弱点もな」
「ほう、便利な能力だな」
「うむ、ワシの切り札の一つでもある。少々問題もあるが、能力はワシの部下の中でも図抜けておる」
「問題?」
「功名心が強すぎる。ゆえに能力では随一でありながら、人を指揮する立場にはおけなんだ。まことに惜しいことじゃが」
「それだけの能力があれば陽の目を見たいってか。お前の部下には不向きだな」
「その通り。そのことをようやく理解したのか、引退を願い出た。功績があまりに突出するゆえに無条件で受理したが、その能力が惜しくての。まだ時に依頼を出しておる」
「ふーん」
ジャバウォックはその話を聞きながら、妙な気持になった。ミリアザールが重要だと評するほどの人材が、それほどおとなしく引き下がるものだろうかと。自分は既に何千年も生きているが、生まれてからこの方その性格が変わったとは思えない。知恵は長年生きていればもちろんつくのだが、それでも元の気質というものは変わらないものだ。それは腐れ縁であるロックルーフやレイキも同じであろう。
ジャバウォックが人間心理の機微に長けているとは本人ですら思っていないが、ミリアザールの話には無理があるような気がした。ミリアザールは人間の中で長く暮らしているが、彼女もまた人間ではない。そして高潔すぎるがゆえに、そうでない人間のことなど理解できないのではないかと、ふっとジャバウォックは考えた。一見悪知恵の回るこの女狐は、意外なところですっとぼけていることもジャバウォックは知っている。
ジャバウォックはいらぬ世話かと思いながらも、念のため忠告しようと考えた。
「おい、ミリィ――」
「む、なんじゃあれは?」
ジャバウォックが珍しく遠慮がちに声をかけたせいか、彼の声はミリアザールには届かなかった。そしてちょうどその時、彼らの目の前には大きな穴が姿を現していたのだった。その大きさたるや、人間が百人手をつないでもぐるりと回りを囲めないだろう。また深さも尋常ではなく、石を投げいれても音が帰ってこなかった。
「でかいの」
「うむ、これはちょっとした谷くらいはありそうな深さだな。何があったのか」
「木じゃないのか?」
ロックルーフが上をちょいちょいと指さすと、空には確かに大木があったかのように、直上だけ木の枝が生い茂っていなかった。瘴気が濃すぎて日の光が届かないのは相変わらずだが、確かに大木が立っていたとしてもおかしくはない。
だがジャバウォックが呆れたように反論した。
「で、その木はどこにいったんだ? まさか足が生えて歩いていったとでも言うんじゃないだろうな?」
「足が生えてとは言わんが、第6層にも根を足のように使い、自ら移動する木はあった。おかしな話ではない」
「だがそりゃ普通の木の大きさの話だ。これだけ大きな木なら、根の張り方も尋常じゃないだろう。そんなのが移動したら、もっと地面がえぐれるだろうが、ええ?」
「む・・・」
ジャバウォックの意見はしごくまっとうであり、確かに穴の周囲は比較的綺麗に整えられている。何かが強引に抜けた様子はない。
加えてジャバウォックが、突如として穴に向けて火を吐いた。
「何をしている?」
「見な」
ジャバウォックが火で照らして指した先には、穴の中に横穴が沢山見て取れた。その形にぴんと来るものが多い。
「虫の穴倉・・・みたいだな」
「地下に巣を作る奴はおおかたこんなもんだな。木の中に虫を飼うやつもいるから、なんともいえんが」
「とにかく、正体をこれ以上推測しても難しいということか。やはり杠を呼ぶしかなかろうな」
ミリアザールが考えをまとめると、周囲をくるりと見渡した。この一帯を整頓しなければ、まず杠がここに来ることができないだろう。
「ロックよ、この周囲一帯を人間が入れるようにするのにどのくらいかかる?」
「うーむ、ひと月は欲しいところか。この森を破壊していいって話だよな?」
「よかろう。おそらくカラミティはここに返ってくる時間はあるまい。存分にやってしまえ」
「どうも個人的な感情がこもっていそうだな」
レイキの指摘通り、ミリアザールにしてみればこの戦いは報復戦でもあった。過去二度にわたり煮え湯を飲まされた土地である。それだけに今回の遠征がおおよそ成功して安堵する反面、肝心のカラミティがいないとなれば肩透かしを食らわされた気持にもなる。
ミリアザールとしては、今回の遠征で本格的な戦端を開くつもりはなくとも、何らかの働きかけが向うからあることを予想していた。最近の黒の魔術士たちの動きはどうにもつかみにくい。それゆえ今後のための戦力把握と、神殿騎士団の実地演習と、大胆なゆさぶりをかけて向うの出方を探る一石三鳥の考えだったのだが。あまりに反応がなさすぎる。まるで敵にやる気がないかのようだった。
ミリアザールは安堵する一方で、何か大きな見落としがあるような気分になっていた。
「(ワシの知らないところで何かが起きておる。元々アルネリアの基盤も危ういものだということがわかってきたし、薄氷の上を行くがごとき行程よな。それでも行くしかないわけだが、それにしてもなんだか嫌な予感がぬぐえない。これはいったいどうしたことか・・・)」
その時ざわり、と総毛立つような感覚をミリアザールは覚えた。怖気立つというのとはまた違う、嫌な予感が立ち込めたのだ。血の沸き立つような、中から締め付けられるようなそんな不吉な予感。ミリアザールの全身を貫いたその感覚に、彼女は何度か覚えがあった。
異変に気が付いたのは、ジャバウォック。
「ミリィ、どうした?」
「これは――いかん、いかん!」
ミリアザールは思わず走り出そうとしてその体をジャバウォックに止められた。
続く
次回投稿は、4/30(水)21:00です。