逍遥たる誓いの剣、その54~クルーダス⑭、ユーウェイン⑤~
「(獣化――と代々の騎士たちはこの力のことを呼んでいたが、私は特にこの力に親和性があった。だが、その私をもってしても数分が限界。それ以上は頭痛がひどく、この力を維持できなかった。今日はたして、数分のうちに決着がつけられるのか。いや、それよりも――)」
逃げるべきだと、頭は理解していた。この相手は正直手に負えない。それにこの姿で仕留められなかったら最後、獣化が解けた後はひどい頭痛と筋肉疲労で動くこともままならなくなる。兄アルベルトも、獣化そのものよりも使用した後の反動が克服できず、実戦で使うに至らないのだ。ならば人に見られてはならぬこの姿は相手と決着をつけるための最後の手段として、あるいは逃走用にとっておくべき能力だったのである。
クルーダスは自分でも気付いている。これはもはやただの意地なのだと。これで駄目なら、死すら覚悟しての攻撃なのだと悟っていた。その際ジェイクのことを案じなかったのは、やはり彼の嫉妬心なのかどうかは、クルーダス自身も気付いていないことだった。
「うおお!」
クルーダスの咆哮と共に、ユーウェインの体は再生不能な大きさに切り分けられていった。だがユーウェインは非常に冷静にクルーダスの行動を見ていた。これはユーウェイン自身にも驚きだったが、ユーウェインもまた先ほどのイプスとの戦闘で成長していたのだった。
ユーウェインは直感で気が付いていた。この攻撃は長続きするものではないと。ならば凌ぐことに全力を集中すればよい。それならば――
ユーウェインがとった行動は非常に理にかなったものであった。ユーウェインは体を分裂させると、それぞれ別の方向に走らせたのである。
「何っ!?」
驚いたのはクルーダスである。どんなに素早かろうと、別々に別れた個体を同時に攻撃することはできない。クルーダスが動揺し、一瞬できた隙をついてユーウェインが反撃に移る。四方八方から飛んできた攻撃をほとんど叩き落としながら、クルーダスにそのうちの何発かが届いていた。
「ぐあっ!」
「どうやら筋力は強化できても、耐久力までは強化できないようだな?」
ユーウェインは得意げにクルーダスを見下ろすと、彼が動けないようにその手足を拘束した。自分の何倍もある体積にのしかかられ、さしものクルーダスも身動きができなくなる。
「ぐぅうう!」
「そのまま食ってやろう。人間を食うのは久しぶりだからな、欠けた体を補うのにちょうどよい」
ユーウェインがクルーダスを一飲みにしようと口を開けた光景を見て、クルーダスは必死に逃げようともがき、この上ない力を出そうと本能が全開になった瞬間、クルーダスは確かに見たのだ。体の中に眠る、金色の獣。鱗の上に金色の体毛を纏ったその獣は、自らと比較して山のように巨大と言わざるを得ないほど差があった。クルーダスは恐れた。その獣を解放すれば、間違いなく自分は太刀打ちなどできないと。歴代の騎士たちが発狂し、あるいは自ら命を絶ったのがよくわかる。人の精神であんなものを御しきれるはずがないのだ。
同時に、兄アルベルトはその作業を成し遂げようとしているのだと悟り、クルーダスは馬鹿げていると思った。そんな発想を持つこと自体が、もはや人の領分を超えているはずだ。
それだけの危険を悟りながら、クルーダスは意識の中にいる獣にそっと触れてみた。その力の一部でも借りることができれば、この窮地を乗り切ることができるかもしれないと考えたのだ。だが獣に触れた瞬間、金色の体毛はクルーダスにからみつき、クルーダスが意識を我に返して離れようとした時には既に遅かった。クルーダスは逃げることかなわず、金色の獣に取り込まれることを理解した。ならば意識の中で腕の一つでも差し出してでも逃げるべきか。そのことで現実の体にどのような影響が出るかは知らないが、クルーダスが完全に取り込まれるよりもましだと思い覚悟を決めた時、クルーダスは自分の名前を呼ぶ声を聴いた。
そしてクルーダスは半ば自分の意識に埋没しながら、そして半ば覚醒しながら信じられない光景を見た。
「クルーダスからどけぇええええ!」
ジェイクが走り出していた。先ほどまでの動きの鈍さが嘘のように、その速度は今までのクルーダスが知っているジェイクの速度ではなかった。いや、他の神殿騎士たちと比べても、今のジェイク以上の速度を出せるものが何人いるのか。
ジェイクの行動がユーウェインには意外だったのか、無造作に出したのは盾のような体の一部。ジェイクは防御のためのその体を一瞬で両断してユーウェインに肉迫した。今まで小石程度にしか考えていなかった人間の攻撃に、ユーウェインの表情が歪んだ。
「鬱陶しいぞ!」
ユーウェインから槍のように変形した体の一部が、無数に放たれた。まがりくねりながらジェイクに襲い掛かるその槍を、ジェイクは表情一つ変えずに全て切り落としたのだ。
目を見張ったのはユーウェインもクルーダスも同じ。至近距離から突然放たれた多方向からの攻撃。それら全てを叩き落とすことなど、もはや人間の反射神経では不可能である。
そしてユーウェインの隙をついて繰り出されるジェイクの攻撃。ユーウェインがはっと我に返るまでの一瞬の間に、ジェイクの攻撃はユーウェインの体に深々と突き刺さっていた。
「ぐっ」
ユーウェインがジェイクを突き飛ばして後退した。そして体制を整えなおし一歩を踏み出そうとして、ユーウェインは体の異変に気が付いたのだ。左足が、何の前触れもなく、落ちた。いや。ユーウェインの体には正確に左足と呼ぶべき場所はないので、体の一部が崩れたと言いかえた方が正確である。
とにかく、ユーウェインの体は彼の意志に反して動かなくなったのだ。
「なんだ、これは?」
出来事はユーウェインの理解の範囲を超えていた。その間にとびかかってきたジェイクの攻撃は、先ほどよりもさらに速い。ユーウェインは防御も間に合わず、今度は体を深々と切り裂かれたのだ。
「ぎゃあああ!」
「とどめ!」
ユーウェインはわけがわからなかった。確かに彼も生命体である以上、死というものは訪れる。貫かれれば傷つき、死ぬという結末から逃れるすべはない。だが、ユーウェインの命に係わる部分というものは、彼の質量に比して非常に極小である。例えれば、砂浜で一握の砂を探すに等しい。戦いの中でその部分を貫かれることは、まずありえないことをユーウェインは知っていた。だからこそ、自分より力が上の執事たちが多数死にながらも、自分は生き延びてきた。
それをこうも正確に攻撃してくるこの人間は何なのか。ユーウェインの中に再び恐れが蘇り、彼は自然と逃げの一手に出ていた。
「うあああっ」
ユーウェインは無様という言葉も忘れ、悲鳴と共に逃げ出していた。なぜか勝てない。ユーウェインがジェイクに抱いた感想は、そのようなものであった。ユーウェインは体を無数の小さな部分に分割して逃げることにした。そうすれば追撃は不可能であると考えたのだ。本体以外の分裂した部分はある程度遠くに離れると動かなくなるが、それでも本体が逃げるだけの時間は十分に稼げるはずだった。元の体積に戻るのは相当の時間と労力を必要とするが、恐怖が勝っていた。
ユーウェインは体を爆発させたように分裂した。そうして安堵と共に、優越感に浸っていた。体を元に戻したら、最優先でこの小僧を殺しに来よう。その時はあらん限りの残酷な殺し方で嬲るように殺してやると、心に決めたのだ。今からその時を考えながら再生のために時間を過ごせると思うと、楽しみでしょうがない。
ユーウェインは自分に殺される運命のある少年の顔を覚えようと、ちらりとその表情を見た。が、その時少年と視線が正面からぶつかったのだ。
「(は・・・?)」
無数に飛び散った体は当然ジェイクにもあたっている。普通なら反射的に顔をかばうため、こちらなど見ることなどできないはずなのに、なぜ視線が真っ向からぶつかるのか。そして、どうしてこの無数の体から自分を見つけることができたのか。
「な、なぜ!」
「俺にもわからない。でも、お前の位置はわかる。クルーダスはお前なんかに殺させない!」
ユーウェインが最後に見たのは、ジェイクの剣が自分に突き立てれられる場面だった。
続く
次回投稿は、4/22(火)22:00です。