逍遥たる誓いの剣、その53~クルーダス⑬~
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血がぽたぽたと滴る音がジェイクの耳に聞こえている。全身の筋肉が悲鳴を上げ、疲労を知らぬはずのクルーダスの息はとうに上がっていた。クルーダスは目の前のユーウェインに、手も足も出ず防戦一方となるのが現実だった。
イプスがユーウェイン相手に有利にことを進めることができたのは、相手の脅威度を正確に判定したうえで、全てユーウェインの先手を打ったから。元来ユーウェインの攻撃は人間の目に追えるものではない。クルーダスの直感があるからこそ、首の皮一枚で凌いでいるにすぎない。
いや。仮に攻撃できたとしても、物理攻撃しかほとんど決め手を持たぬクルーダスではユーウェインを殺しきれない。その事実を、クルーダスは戦い始めてから気が付いたのだ。
ユーウェインは目の前の敵が自分に決定打を持たないことを悟ると、余裕をもって対峙し始めていた。
「どうした小僧、終わりか?」
「くっ」
ユーウェインが攻撃するふりをすると、クルーダスは反射的に防御の動作を取る。そんなことを繰り返しながらユーウェインがクルーダスをからかっていることを悟るのに、そう時間はかからなかった。当然のごとくクルーダスの誇りはいたく傷ついている。
「(この魔物、俺で遊んでいるだと! 俺を舐めるのも大概に――)」
クルーダスがそこまで考えて、ふとクルーダスは自省した。舐めていたのはどちらなのか。人の忠告を聞かずに暴走したのは誰なのか。クルーダスの心に後悔の念が湧いていた。
「(戦いに向かない、か。確かにそのように言われてこれほど冷静さをなくすようでは、戦士として失格だ。だがしかし、この魔物をここから逃がすわけにはいかない。最低でも増援が来るまでは、ここで食い止める必要がある! その意地すらなくしては、今まで神殿騎士団であったことそのものすら否定するのではないか。どれほどの者達が魔物との戦いで散っていったと思っている、クルーダス!)」
クルーダスは自分に奮い立たせるように己に言い聞かせると、一つ深呼吸をして覚悟を決めた。自分がやるしかない。ジェイクの先ほどの反応を見る限り、目と体はついていっても、ジェイクの体格ではまだこの重い一撃を支えられない。下手をすれば受け止めた剣で自ら死ぬような羽目になりかねないと、クルーダスは彼の身を案じていた。
クルーダスが言葉にしたわけではない。だがジェイクはクルーダスの背中から、自分を案じる気配を察知した。そして、彼が取り返しのつかないようなことを始めようとしていることを。
「よせ、クルーダス・・・・」
ジェイクは壁に叩きつけられた時に頭を打っていた。目の前の光景はまだぼやけており、手足に力が入らない。立つことはできても、まともに戦うことは今しばしの間不可能であると自分で分かっていた。クルーダスを止めようと伸ばすその手も、ままならない。
クルーダスはジェイクを振り返りもせず、ユーウェインとの対峙を続けた。
「貴様は確かに私よりも強い。だが、ここから逃がしはしない」
「面白いことを言う。どうやって逃がさないつもりだ?」
「元来器用な方ではないからな。力づくだ!」
その言葉と共に、クルーダスの体に変化が訪れた。クルーダスは父モルダードに似てがっしりとした体格であるが、さらに筋肉が隆起し、もはや人の体ではなしえないような形へと変貌していた。さらに全身に金色の毛が生えていた。獣人にも等しいその体は、人間というよりはまさに剣を持った獣であった。
ジェイクの目の前の光景が信じられなかったが、さしものユーウェインもこの変化には驚いた。
「貴様、人間ではないのか!?」
「貴様の知ったことではない!」
先ほどまでとはまるで違う速度と膂力でユーウェインにとびかかったクルーダス。ユーウェインが反射的に出した防御のための体の一部を一瞬で斬り飛ばし、その眉間に剣を突き立てた。
軟体生物であるユーウェインに痛みはないが、その速度と攻撃の凄まじさに目が見開かれる。
「こ、小僧!」
「うおお!」
クルーダスがそのまま走りぬけるようにユーウェインの頭を切り裂き、ユーウェインの背後に着地した。そこに切り飛ばしたユーウェインの体が変形し、オオカミのような形になってクルーダスに牙をむく。
だがクルーダスは振り返ることもなく、とびかかってきたオオカミの頭を鷲掴みにすると、壁に力任せに叩きつけた。鈍い音と共に壁が大きく破壊され、当然のごとくユーウェインの体でできたオオカミはクルーダスの手の中で潰されていた。叩きつけたユーウェインの体が再生しないのを見て、クルーダスは凶暴な声で呟いていた。
「どうやらある程度以下の大きさに破壊すれば、再生はできないようだな?」
「ぬう。それがわかったところで、できると思うか?」
「やれるさ、やってみせる!」
クルーダスがユーウェインに切りかかり、確かにその言葉通り戦いはクルーダスに優勢だった。だが、クルーダスだけではなく、ジェイクもまたこの戦いが長く続かないことに気が付いていた。
「(クルーダス、そんなことができるならなぜ最初からやらないんだ。仮においそれと使えない切り札だとしたら、何らかの代償が必要なんじゃないのか? いけない、その力はむやみに使う物じゃないはずだ)」
ジェイクが痺れる体に鞭打つようにして動いていたが、この疑問に答えるようにクルーダスも一つのことを考えていた。そしてジェイクの危惧は的を射ているのである。
続く
次回投稿は、4/20(日)22:00です。