逍遥たる誓いの剣、その48~イプス⑥、クルーダス⑫~
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「あいたぁ・・・やられちゃいましたぁ」
イプスは壁に叩きつけられ打ち付けた腰をさするようにして起き上がった。その衣服はぼろぼろで、そこかしこの肌が露出して一部は下着も見えている。体魔術処理を施し、市販に出回る繊維よりもはるかに耐久度に優れた戦闘用の服でさえこれである。並の装備であれば今頃衣服どころか、肉も削げ落ちていただろう。
イプスは先ほどの戦い、勝利寸前までいっていた。イプスの能力は、魔術を施した粉をばらまき魔術を使用することである。彼女が中心に、あるいは先手をとって使う魔術が炎であるため、彼女は火の精霊使いと考えられがちであるが、実は違う。爆発そのものは粉塵爆発を利用したものがほとんどであり、イプスの火系の魔術はせいぜい火種を起こすことくらいが精いっぱいなのだ。
イプスが本当に得意とするのは、氷の魔術。粉塵を相手に吸い込ませ、肺の中で氷を爆散させることで命を奪うのがイプスの戦い方だった。これならば呼吸をする生物すべてを狩りの対象にできる。軟体生物が相手では使いどころが難しかったが、ユーウェインは生物の形をとった。そして律儀に呼吸することまで再現していたのである。それならば効果は絶大だと踏んだのだが。
ユーウェインの能力が不完全ゆえか。イプスの攻撃はユーウェインの深部にまで至らなかった。ユーウェインは一度完全に体内で爆散した氷の楔に貫かれたが、残った体組織を集めて水蒸気爆発を起こし、逃げたのである。ただ、その体は元の十分の一もあるまい。
イプスは悠然と埃を払うと、後を追うことにした。
「どうやら逃げた先にはさっきの学生さん二人がいるようですがぁ、まあよいでしょう。彼らがやられようが関係ないですしぃ、さすがにただの学生さんに先ほどのユーウェインなんたらを倒せるとは思えませんしぃ。どっちにしてもここには私の結界が敷いてありますぅ。逃げ出すことはそうそう簡単にはできないですよぉ?」
イプスが衣服を整え後を追うために一歩を踏み出した時、彼女はそこに意外な顔を見た。
「あれあれぇ? 意外なところで懐かしい顔に出会いますねぇ。どうしてこんなところ、に・・・?」
イプスが疑問を口にしようとしたとき、彼女は背後から何者かに背中を貫かれていたのであった。
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ルナティカとリサは深緑宮に到着していた。ルナティカはリサを抱えたまま家の上を含めた道なき場所を、最短と考えられる方法で深緑宮まで駆けた。まさに闇夜を駆ける疾風のごとき速さだった。
リサはルナティカの腕から飛び降りるようにして深緑宮の門衛に話しかけた。門衛が呼び出すのはロクサーヌ。彼女はたまたま、今夜の番の一人であった。
「どうしたのか、リサ殿」
「少し神殿騎士たちの力を借りたいと思います! 手勢を出していただけませんか?」
「手勢だと? 何があったというのだ」
「説明している暇はありません! すぐにでも動ける人間を出していただきたいのです!」
普段は皮肉で余裕のある態度をとることの多いリサの切羽詰まった様子を見てただ事ではないとロクサーヌも察したが、そこはこの深緑宮に長らく住まう者である。逆に引き締まった顔でリサに切り返した。
「一大事ならばなおのこと落ち着くがよい、リサ殿。この深緑宮の責任者はほとんどが今は不在だ。防備だけなら滞りなく行えるが、夜間ともなれば管轄以外の場所に行くにはそれなりに手続きと段取りが必要となる。町中で起こったことならば、まずは外周騎士団や町の自警団に申し立てるのが道理。そうでなければ、容易に力を貸すことはまかりならん」
「巡礼のイプスの命令でも?」
「そうだ。それは現在では白樹宮の管轄だからな。ミランダ殿に協力を仰がれるとよかろう」
「そうはいっても――いえ、確かにおっしゃる通りですね。ですが先ほどクルーダスを見かけました。彼のことは関知していないのですか?」
「クルーダスが?」
ロクサーヌは返事に窮した。クルーダスが動いているとなれば自分などは関係ないところでミリアザールの意図があるのかもしれないが、同時に独断であるとも考えられる。
これは自分の手に余る。そう判断したロクサーヌは次々と指示を飛ばした。
「リサ殿、どのみち私では人は動かせぬ。私はここに長らくとどまってはいるが、所詮は各人の身分だ。責任者のアリスト殿には私から連絡を入れておくから、そなたは白樹宮に行って事情を説明されるがよろしかろう。それに私自身がすぐに現場に出向く。場所はどこだ?」
「地下水路です。それに行くなら人手が必要でしょう。相手は一筋縄ではいかないかもしれませんから」
「わかった、忠告は素直に受け取ろう」
「ルナ、道案内を」
「わかった」
ロクサーヌはそれだけ言い残すと、休憩中の口無したちに声をかけ、現場に赴くこととした。長らく深緑宮に滞在しているロクサーヌは、ここに勤めている者の誰が口無しなのかをおおよそ把握している。その中から、何人かを連れていくことにした。
そしてリサは白樹宮に向かった。中ではミランダがまだ仕事をしているはずだった。ミランダならすぐに人手を貸してくれると信じて、駆け足で向かったのである。
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「来るぞ!」
「!」
ジェイクとクルーダスは同時に敵の攻撃を受け止めていた。その重みにジェイクは後ろに突き飛ばされ壁に打ち付けられ、クルーダスは受け流すことで力を逸らし耐え切った。クルーダスが上にのけ反った刀を返そうとしたとき、敵は既にクルーダスとジェイクを放置し、そのまま逃走する形であった。
敵とはもちろんユーウェイン。ユーウェインは焦っていたからこそ、ぶつかった二人に気を留めることなく走り去ろうとしたのだが、そのようなことがわからないクルーダスは、ユーウェインに軽んじられたのだと考えた。まるで路傍の石と同じ扱いのように、ぶつかった何かに気を留めずに過ぎていく敵。普段なら余計な戦いをしないで済んだことこそを喜ぶべきところだったが、クルーダスの度重なる鬱積がこんなところで余計な顔をのぞかせてしまった。
瞬間的にかっとなるあたり、クルーダスは若すぎた。彼はあらん限りの殺気をもって、ユーウェインを挑発した。
「待て、そこの魔物!」
「?」
クルーダスにとって幸いか不幸か。クルーダスが放つ殺気は、ユーウェインを我に返らせ、その足を止めるに十分であったのだ。
「何か用か、人間の小僧」
「ああ、用ならあるとも。魔物が我らがアルネリアの町を闊歩するのを見て何もせぬは騎士の恥。わが剣の錆にしてくれる」
「ふん、小僧が一人前の口だけはきくがな。残念だが小物を相手にしても何の名誉にもならぬ」
「小物、だと?」
クルーダスはいたく自尊心を傷つけられた。自分がまだ年配の神殿騎士たちに比べて劣る部分が多いのは知っている。だが小物と侮られるほど自分が積み重ねた研鑽は甘くないはずだという自負もある。
クルーダスは激昂した。
「貴様のような魔物に侮られるいわれはない! ラザール家が三男、クルーダスの名を覚えて死ね!」
「ラザール家? 知らんな!」
ユーウェインは確かに人間の世界において無知であった。もしラザール家の名を知っていたなら、彼は相手が強敵か否かということは差し置いて、ラザール家に手を出せばアルネリア全体が黙ってはいないであろうことを考えることができなかった。
ユーウェインはただ、自分に殺気を向けた子どもすらも容赦する気がなかっただけだった。
「よせ、クルーダス・・・」
ジェイクはまだ全身を叩きつけられ、動けない体を無理に起こそうとしながら、クルーダスに必死の呼びかけをした。だが、熱くなった若き騎士の耳にその願いが届くことはなかった。
続く
次回投稿は、4/11(金)11:00です。