逍遥たる誓いの剣、その45~イプス③、ユーウェイン②~
「リサ、悪い。増援の手配は任せた。俺は奥に行く!」
「待て、ジェイク。私も行くぞ」
「ちょ、ちょっと。待ちなさい!? まだ話は――」
突如走り出したジェイクを、クルーダスが機を得たとばかりに追う。そしてリサとルナティカはぽつんとその場に残された。
「リサ、どうする?」
「・・・ああ、もう! どこに連絡をしたらいいというのですか? リサは深緑宮以外に顔がきくわけではないのですよ?」
「では深緑宮。心配しなくてもいい、リサ。ジェイクもそうそう簡単にやられる戦士ではない。それに隣にいた騎士はジェイクよりも強いはず。相手がなんであれ、死ぬようならば撤退するだけの判断はできる。私たちが今すべきなのは――」
「わかっています。すぐにでも深緑宮へ!」
リサが深緑宮の方向を指さしたので、ルナティカが頷いた。
「ならば最短の方法を」
「へ? ちょっとルナ?」
ルナティカはリサの返事を待たず、彼女を抱え上げると全力で走り出したのだ。馬と同速で一日かけ通すルナティカの脚力である。短距離ならば、並の馬を置き去りにする。その速さを体感し、リサはセンサーが間に合わずうろたえるばかりだった。
「ルナ、ルナ。ちょっと早すぎ・・・」
「しゃべるな、舌を噛む」
「ひえぇぇぇ」
リサが他人の前では決してしない間の抜けた声を出しながら、彼女たちは地下水路を駆け抜けたのであった。
***
ユーウェインは焦っていた。敵は取るに足らないマスカレイドだけだと思っていた。だから歯牙にもかけていなかったし、いつでも力づくで従えることができると思っていた。
もう一人、アルネリアに潜入している者がいるのは知っていた。だがそれが誰かはブラディマリアからも聞かされていなかったし、ブラディマリア自身も知らないようだった。どうやら名前と正体を明かすわけにはいかなかったらしい。その代り、向こうも自分のことを知らないと言っていた。互いのことを知るのはマスカレイドのみということで、三者が均衡を保っているということだ。
ユーウェインは大して興味を持たなかった。どうせこのアルネリアでの任務は退屈なものになるだろうし、今までもそうだった。ユーウェインはその体の性質上、積極的な戦闘よりも斥候を命じられることが多かった。ブラディマリアの実力でもってすれば斥候など必要ないと考えられたが、ブラディマリアはそういった無駄な『遊戯』が好きである。ユーウェインは不満をため込みながらも、鬱々とその命令に従ってきた。自分とて、本能の赴くままに壊し、殺し、蹂躙したいというのに。主たるブラディマリアはまるでそのことを知っていて楽しんでいるかのように、ユーウェインには表立った戦闘を命令しなかった。
それでも自分の実力が劣っているとは微塵も考えたことがない。機会さえあればと、隙を伺っていたのだが。
恐れてしまった。先ほど自分に攻撃を仕掛けてきた者の、剣の鋭さに。姿は見えなかった。ただ漆黒の影の中に、美しい瞳を見た気がする。戦う相手のことを美しいと思うのはおかしなかことだが、本当に美しいと思ったのだ。その瞳はまるで宝石のように輝き、ただ一点、自分の死だけを見つめていた。純粋なる戦士。あれはそういうものなのだろうと、ユーウェインは考えた。
と、同時にユーウェインの足は止まっていた。先ほどは驚いた故に応戦する気も起きなかったが、よくよく考えれば絶好の機会なのではなかったか。戦闘は好敵手いてこそ、自分の技量が確かめられる。先ほどの敵なら、全力で戦うに相応しいはずだ。
ユーウェインは向かう方向を変えた。先ほどの敵に会い見えねば。いざという時の脱出経路に向かおうとした自分を律し、動き始めた途端である。
「いたいた、見つけましたよぉ?」
ユーウェインの向かう先の道から、ひょっこりとイプスが顔を出したのだ。その表情はあくまで緩やかに、かろやかに。これから命を懸けて戦おうというものには、微塵も見えない表情であった。
ユーウェインは突如として現れた人物に問うた。いや、その存在は今日の朝から知っている。自分を探しているのか、地下水路を徘徊していた連中の一人であった。あえて相手をすることもあるまいと距離を取っていたのだが、いつの間に接近したというのか。いくら動転していたいたとはいえ、これほど接近されるまで気配に気づかぬユーウェインではない。
イプスは表情を崩さず、軽やかにユーウェインに話しかける。
「ふふふ~、どうやら大物さんのようですねぇ。久しぶりに腕が鳴りますぅ。思わぬところで点数を稼ぐ機会に恵まれましたぁ」
「・・・なんだ、キサマは」
ユーウェインは気分を害していた。先ほどの相手を求めて動こうとした刹那、余計な者が目の前に現れた。即座に殺して動こうとしたが、それは難しいことがわかった。既に相手が臨戦態勢に入っていることがわかったからだ。
それは、ユーウェインが知っている人間とは全く別物の殺気を放つ人間だった。しいて言うなら、その殺気は自分たちのものに似ている。そう、狩られる側ではなく、明らかに狩る者の殺気。狩りなれた、殺し慣れた者が放つ時の、歓喜を混ぜた殺気だった。
イプスがばさりとローブを脱ぎ捨てた。そのローブの下は加工したシスター服であり、サリーのように長い布を一つ羽織り、その下は短い市井の者が夏に着るような丈の短いスカートと袖のない服であった。その肌はあらわになったが、その皮膚は多くの部分が焼けこげ、傷ついた跡があった。まさに歴戦の兵といった傷のつき方である。
「さてさて。少々準備と舞台に欠けますがぁ、ちゃっちゃと終わらせてしまいましょう。この後大口の依頼が舞い込んできていますし、私はこれからまだまだ出世する予定なのでぇ。私の踏み台になっていただきましょうかぁ?」
「なんだキサマは?」
ユーウェインはもう一度問うた。今まで見てきた人間とは違う、その図抜けた態度。先ほど探索の時に感じていた小さな気配はもはやどこにもない。口調はそのままに、体が威圧感で何倍にも大きく見えた。
それでも軽やかにイプスは答えた。衣服の下から小さな小袋を指の間に仕込みながら。
「これは失礼しましたぁ。戦いなんて勝てばいいと思っていたのであまり名乗らないのですがぁ、今日は特別に~。
私は巡礼8位のイプス=ハーメル=ミルティーディスと申しますぅ。紛争解決、民族問題などで実績を上げたことになってますがぁ、実質のところ得意技は、問題ごと敵をぶっ潰すのが得意でしてぇ。こういうの、あんまりアルネリア教会じゃ歓迎されないんですよねぇ。だからこれからやっちゃう敵相手にしか暴露できないのが難点ですぅ。ちなみに、渾名なんてのもあるんですがぁ、『灰塵のイプス』なんて私のことを呼ぶんですねぇ。失礼しちゃいますよねぇ、草木くらいは残して歩いてきましたよぉ。
あー、言いたい放題言ったらすっきりしたぁ。じゃあさっそく殺しちゃいますねぇ」
「キサマも相当なものだ。人よりもむしろ我々に近い」
「それ、褒めてくれてますかぁ?」
イプスはにこやかにしながら、手の中の袋から粉をまき散らし、それが光輝いたときが戦いの合図となったのである。
続く
次回投稿は、4/5(土)11:00です。