逍遥たる誓いの剣、その38~クルーダス⑦~
「そうか、俺たちのせいか・・・俺たちに課せられた宿命に耐え切れなかったのか。そして俺も――」
クルーダスはふらりと歩き始めた。この宿命に殉じることができる兄アルベルトは、正直驚異だ。いや、むしろ兄アルベルトこそが異常なのだと、クルーダスは思い始めていた。
だがクルーダスはなんとなくその理由を知っている。兄アルベルトが肌身離さなかった胸のペンダント。かつてはその中身を知らなかったが、今はそれを身に着けてはいないことでおおよその見当はついていた。アルベルトは守りたいものを手に入れたのだ。そしてそれはラファティも同じ。剣には、騎士には、守りたいものが必要なのだ。だが、それが自分にはない。
クルーダスにとってマリオンもミルトレも得難い友人である。だが、その彼らも剣を振るって守るべきものかと言われれば、それは少し違う気がする。ラザール家の名誉も、正直クルーダスにはどうでもよいことだった。
「これから・・・見つかるといいが」
クルーダスは歩くうちに気付いた。まだ自分の剣には決定的に足らないものがあると。これでは剣をいかに振るおうとも、伸びるはずがない。ジェイクの剣を脅威に感じるのは、そういうことなのだ。彼には剣をふるうだけの十分な理由も、強くなる必要性もあるのだから。自分より上達が早くて当然だった。
クルーダスは面を上げた。見れば太陽がまぶしい。こんなまぶしい太陽を、久しぶりに彼は感じた気がした。いつの間にか空を見ることすら忘れていたように、彼の心はふさぎ込んでいたのだ。だが今は、少しなりとも太陽の日差しのようにまさに光明が見えた気がした。
「まだ剣だけにのめり込むには早いということか。俺は俺の、俺だけの剣をふるう理由が欲しい。剣が好きなだけでは足りないということか――よし」
クルーダスは一度深緑宮に帰ろうとして、ふっと自分が今いる場所を見た。今は町の北側にいるはずだが、あまり見慣れぬ場所だ。少しうらぶれたその場所に、見慣れぬ路地が見えた。
「これは確か、地下水路への入り口か」
細い路地の先にある地下水路の入り口は、見張りがいない。そこかしこに多く設けられた地下水路の入り口はまさに非常用とでも言うべきものであり、点検用に使われるものだ。見張りがいるわけではないが、厳重な鍵と、それとわからぬように魔術で固く封がされている。
クルーダスはふと思い出す。グローリアの授業に、治水学があったことを。講師は非常に珍しく、学問の都メイヤーでもまだ様々な論議がなされているところだと言っていた。アルネリアで育ったクルーダスには不思議なことだったが、大陸の多くの町では水が安定して得られず、また洪水や下水の処理に困っている場所も多いと言われているのだ。そして下水設備が整わない町ほど疫病が流行りやすく、発展が遅れるとも。
アルネリアの公共事業のうち、多くの労力が各地方での安定した水の供給に費やされている。まだ未開の授業らしくその講義内容は確立していない理論が多かったが、クルーダスは興味を持って聞いたことを覚えていた。
「ここにも入り口があるのか。そういえば緊急用の出口だけで百はあるとか講義内で言っていたな。この町の地下には迷路のように水路が巡らせてあるとも。これがその一つか・・・ん?」
クルーダスは興味を持ってその入り口を見たがゆえに、暗がりにあったその入り口の違和感に気が付いてしまった。鍵が壊れているのだ。水路への入り口は子供たちが迷いこまないように、厳重に封がしているはずなのに。
水路への入り口はどんな小さなものも、ひと月に一度は必ず周辺騎士団によって管理がなされている。それが壊れているとなれば、ここ最近壊されたものに違いなかった。クルーダスは近寄ってその鍵を見ると、それは内から破られた跡があった。
「妙だな」
クルーダスはその扉をそっと開けて中の様子を少しうかがうと、すべるようにしてその中に入った。既に感覚は戦闘態勢に入りつつある。足音を可能な限り忍ばせ、呼吸は最小限にとどめる。足元を見ればそこは濡れているため、クルーダスは本能的に水を踏まぬように足を運んだ。水を踏めば足跡にもなるし、センサーは水に沿わせてソナーを飛ばす方がやりやすい。水の上に足を置いていては、発見してくれと言っているようなものだと彼は知っている。
だがクルーダスも無謀ではない。今は帯剣していないのだ。不審者との遭遇は身の危険を高くする。少し中の偵察をして、引き上げる予定だった。だが100mも進まないうち、彼は本能で何かの存在を察して近くに横穴に身を隠した。彼自身は気付いていないが、歴代のラザールの中で最も動物的感覚に優れるクルーダスならではの危険察知能力が働いたのだ。
「なんだ、何が来て――」
そこまでつぶやきかけて、クルーダスは天井を水が走っていくのを見つけた。ゼリー状の軟体生物のようなその物体は、見たこともないような速度で天井を移動していた。軟体生物は非常に珍しい魔物だが、いないわけではない。クルーダスも事実、二回ほど戦闘の経験がある。だが奴らは一定の意志などを持たず、触れたものを取り込み吸収することで生きながらえる魔物だし、明確な意思を持たないため積極的に移動することは非常に稀だとされていた。まして、高速で移動するのは生命の危機があるにしても、ありえないことだ。
だが今見た魔物は、明らかに違っていた。
「あれは――あんなものがアルネリアの地下に? どうなっている?」
クルーダスの中に疑問がわいたが、悩むのはすぐにやめ、彼は一度深緑宮に戻ることにした。ここは敵が近すぎる。すぐにでも先ほどの魔物が戻ってくるかもしれず、自分は丸腰だった。さすがに剣がなくては戦うこともままならない。
クルーダスは来た時と同じように、そっとその場所をあとにし、素早く深緑宮に戻るのであった。
続く
次回投稿は、3/22(土)12:00です。